2階に配達先があるアパートの階段下に、「桃の水」と赤い文字が目立つ空箱が転がっていた。一昨日のこと。「また不心得者がいるな・・・」と通り過ぎた。
今日で3日目だが、まだその空箱はある。誰かが踏んだか、へしゃげている。
今朝、思った。「私が処理しなければならないのか・・・」「辺りにゴミをほかす所は無い」「それなら、拾って帰って処理すれば・・・・」という考えが浮かんだが、何もせず。
明日あったら、拾うか・・・。
我が家である借家のゴミ置き場に、岡山市指定のゴミ袋を使わないで、ゴミを出している人がいる。ゴミ回収者は、持って行かない。残ると、カラスがつついてゴミが散乱する。母親が置き場の管理を委託されていて、困っている。このゴミ置き場は借家10世帯余りの専用なのだが、近隣のアパート住人の中に、ここへゴミを出している人がいる可能性がある。
「岡山市指定のゴミ袋以外はダメですよ」という注意文書をこの借家世帯に配った後も、まだ指定の袋を使わない。その度に、母親は指定の袋に入れる作業を、強いられる。
ルールを守るから、この世は回っている。ルールが破られたとき、それを補う働きがあるから、正常さが保たれる。
「自分」というコトバは、「自という個を表わすもの」と「分という全体との関係を表わすもの」とから成り立つ。
社会の安心・安全が保たれるのは、人々が「自分を保っている」から。
明日、「桃の水」を拾うか・・・。
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