無料ブログはココログ

2009年7月13日 (月)

昨日のブログはなんじゃ!?

昨日は寝ぼけた状態で書いた。書き始めて寝てしまい、気がついて、書き足した・・・と記憶しているが、今日読んでみたら、この有様。

暑さ加減に油断して、7月8月の暑さを読み間違いした・・・というような心情を書くつもりだった。

1億5000万km。太陽から地球までの距離。午前3時過ぎから太陽が昇るまで、暗いし涼しい。それが、午前7時を回って、太陽光がどどーっと溢れるころになると、この温度の上がりようはなんじゃ・・という地球になっている。

太陽はすごい・・・。この22日は皆既日食だと。地球と太陽の間に月が入って、太陽光を遮る。鳥たちが騒ぎ、あたりは暗くなる。

じっとしていても汗が出てくるいまの岡山。

そういえば、まだ「夕凪」「朝凪」はまだだ。暑さはまだこれからなんだ。

都議選は民主圧勝・自民惨敗となった。昭和48年だったか、当時、民社党から立候補したH君の選挙運動のスタッフで活動した。結果は1万余票で届かなかったが、善戦であった。いまのような状況なら、当選だろうな・・・。

今回の都議選で杉並区の候補者に、当時の仲間の名前を見た。「そんなの関係ねー」の小島君の父上も、そのころの活動仲間だった。

何かを模索した時代。曖昧に生きたその後・・・。何かをそれなりにまとめたい、いま。ああ、やってるな・・・・・と、記事を読んで思う。

2009年7月12日 (日)

蒸し暑い日が来て、いままではまだ夏じゃない・・・と気付く

これまでも、「真夏日」と言える天気はあった。しかし、今日のこの蒸し暑い日はなんだ。昼前、「劉邦と項羽」のドラマを見て、蒸し暑い日をまた扱いして、満足か。

いままでの暑い日、もっと暑い日をイメージしていたが、よう判った。

2009年7月11日 (土)

西の窓から涼しい風が入ってくる

この借家の西側には、川がある。農業用水だから、この時期、水量は豊富な時が多い。その川面を渡る風が、涼しい。今夜は、蒸し暑かった昨夜に比べると、別天地。蛙の声が、今夜の良い気分をさらに促す。

(ここまで書いて、寝てしまった。11日午前1時25分再開)

この時間、蛙もオヤスミか、聞こえてくるのは車が疾走する音だけ。

昨日は子猫のご機嫌伺いに行って、夕方、ドライブしようと九蟠から新岡山港に走った。百間川河口に建設中の河口堰あたりに広がる左右の水の風景は、熊沢蕃山、津田永忠以来の300年を越える治水事業の賜物。数メートル幅の堤防が陸と海を分ける。河口堰が蓄える膨大な水量は、もしこの堰に異常あったら・・・という怖さを感じさせる景色でもある。この河口堰が完成すると、300年来の百間川治水事業も一区切りらしい。

新岡山港から玉野まで足を伸ばした。児島湾大橋を渡って一直線。宇野港へ。繁盛を夢見た港整備施設が、客待ちぼうけの態で、立ち入れない駐車場があるばかり。その中、唯一とでも言いたい「うどん屋」があって、入る。

これが予期せぬ美味さ。かけうどんの小を食べた母親と叔母も「出汁が美味しかった・・。」と満足した模様。

叔母宅へ戻り、洋間のドアを開けると、布張りの椅子の上で寝ていた子猫は、顔を上げて大きなアクビで出迎えた。

2009年7月 9日 (木)

今日の「どーも きになる」

綾小路きみまろの偽者、文字の職人・・と名づけてたか、平仮名で漢字を形作る人、風船で犬や龍や花などをショーとして作る人、そして江戸時代からの伝統芸「切り絵」の4人の芸人?さんが登場。

人様に見せられるまでになるには、人知れぬ努力の時間があっただろう。きみまろの偽者は評価が違うかもしれないが、マジックに歌真似をからめてお客様からお金をいただけるまで鍛錬したのは事実だ。

他に比べても遜色ない「芸」を持てたら張り合いがあるなー。そのためには、繰り返す繰り返す繰り返す・・・。

いま、草書体を憶えようと練習している。同級生で書道歴50年のIさんにお手本をいただいて始めたのだが、永年続けている人たちに比べると、反復練習はまだまだ足りないわなー・・・。

手紙を筆の赴くままさらさらと書いてみたい・・・・。

2009年7月 8日 (水)

項羽と劉邦のドラマが面白い

項羽が自害した。戦闘では負けなかった項羽だが、劉邦の策略に負けた。ドラマの始まりのころは、項羽の自信過剰の性格が、周囲の人の献策を拒み自我を通すので、劉邦の人使いの巧みさと比べて、ダメな人だったのか・・・という印象が強かった。しかし、四面楚歌となり、垓下の戦いで敗れ虞姫も自害して、対岸へ渡れば故郷である烏江亭で「引き連れて出征した故郷の若者8千人を、すべて失った、面目なさ・・」に、独り漢軍に挑み、最後は自害する。策略を用い勝利した劉邦より、講和を信じ、虞姫と故郷へ帰ろうとした項羽の心情を買う。

ただ、新しい秩序を作るときは、抵抗する芽をできるだけ摘み取らなければならない。民主主義とされる現代でも同じことだ。

いま「霞ヶ関の官僚」たちが改革の障害になっているようにいわれる。彼らも田舎の普通の家庭の子弟であったが、官僚組織に入って、その組織の機能に染まるに従って、自分の行動の優先順位が決まってきたにすぎない。

それでも、社会組織の機能部分で衝突すれば、勝たなければ負けるだけだ。

「天意」と項羽も劉邦も言う。勝つときも負けるときも、「天意」として、次に生きる。

2009年7月 7日 (火)

22時40分に、まだ寝ていない

この時間に起きているのは珍しい。今日は詩吟の稽古が19時30分に終わって、晩飯を叔母も誘って・・・と、子猫にも会いに叔母宅に寄った。子猫と遊んで、21時までの茶道稽古を待って食事に行ったものだから、この時間にまだ起きている。

早く寝たい。生活も変えようと決めれば変わるものだ。

最近の反省で、チューハイを飲むクセが出てきた。季節柄、晩飯時につい飲んでしまう。350缶を2本。以前に比べれば少ない。しかし、クセになってくるとダメだ。

ここでガマンすると、明るい未来が待っている・・・・ガマンしない、いまを満足してると、暗い未来がまっている・・・・・、と心の中で歌ってみる。

明日は遂に雨が降るか・・・。

2009年7月 6日 (月)

自分のブログにログインできなくなりまして

7月1日にココログのデザインが変わって、これまではパスワードは自動的に入力されていたのが、改めて入れるようになっていた。記憶していたパスワードを入れると「違う」と言う。さてそれから今日まで、話せば長いことになってしまった。

ログインできたのは、パスワードを再設定できたからだが、この再設定に際し、「あなたは登録されてない」と言われて、往生した。ニフティーの担当部署に尋ねること4回か5回。「もしかして、登録した情報が間違っているのでは・・・」というヒントをもらって、試しに、誕生日を1日ずらしてみたら、反応した。

これでは「登録してない」と判断されるはずだ。こんなこともあるのか・・・。皆さんもご注意ください。3年目に入っているブログも、過去の分は封鎖で、新しい「フキタンポポ2」にしなければならないか・・・と諦めの境地に近かった。

この間、ノラ猫の子を世話するようになった。橘曙覧さんを真似て、一首。

「楽しみは ノラの子猫が だんだんと 遊び相手に なりし時々」いま叔母の家で飼われている。体長30cmほど。まだ人間も遊び仲間にしている。つかまえたときは、草をネコじゃらしにして遊びに夢中にさせて、首の後ろをつまみ上げた。前足はだらんと下げて、後足は持ち上げてお尻を丸めて、情けない顔をしていた。

幸い、トイレの躾を教えるまでもなく自らネコ砂をいれた容器できちんと排泄している。小さいのが無邪気に遊んでいるのは、かわいい・・・。

2009年6月29日 (月)

1時間歩いたら・・・

今日は曇りで昼過ぎでも陽射しは無し。最近水分過剰で、腹回りが膨張気味。朝の新聞配達作業だけでは運動量が不足ということがわかってきた。

昨日の吟士権大会で、「主人は毎日30分は歩いてる。もう20年続けてるからスリム。生きとってもらわんと・・・・私は何も稼げんから・・・・」と「歩く」ことを勧められた。そうです。運動して健康な身体を維持することです。

芥子山に上るコースもあるけど、時間がかかるので今後の課題にして、砂川沿いに行って、金田橋を渡って、緑化フェア会場跡地を巡り、味彩館を左に見て、砂川の土手まで直進して新橋を渡り帰るコースにした。

歩いてみると、1時間。砂川土手に上がって、ランニングしてみたら、地面を蹴って走れないのにショック。こんなに弱体化してるとは。フクラハギの筋肉が攣る。50歩も走るともう限界だった。

詩吟も声を自在に操って漢詩の内容を表現し尽くすことができると、快感だ。そのためには、それに耐えうる声帯を作っておかなくてはならない。さらに、共鳴箱としての身体、息を的確に送り続ける筋力も使えるようにしておくことだ。

この歩きは続けよう。

2009年6月28日 (日)

第44回岡山県吟士権大会が金光で・・・

一部が130人、二部が18人の出場。私は会場係。始まる前と終わった後に仕事発生。その間は、自由。

一部はお弟子さんたちの競吟。二部はお師匠さんたちの競吟。

一部の人たちの吟に、漢詩の情が伝わってこないな・・・と思っていたら、藤上会長、日枝理事長の講評にも同じ指摘があった。

言葉を吟じるリズムに乗せて言うから、言葉の味わいが消えて、節回しだけが残る。節回しにしても、無闇に張り上げる。

「詩の内容を説明する。それが聴衆に伝わるには、声も良い方がいいし、吟じ方も上手いほうがいいにこしたことはない。しかし、聴衆に何を伝えようとしているのかを、まずはっきりすることだ。」と、剣詩舞道家の視点で講評された藤上会長の指摘は納得。

来年は二部に申し込もうか。いくつか課題詩を練習しよう。

2009年6月27日 (土)

緑化フェア送別会&OB会か・・・

緑化フェアで我々に作業指示をだしていたのは、市職員でなく、民間会社のスタッフだった。その男女2人がもうすぐ岡山を去るに当り、会期中の労を慰め、これからの仕事をガンバレという気持ちをこめて、宴席を企画したオッサンがいて、それに賛同する14名が、今宵集まった。

ボランティアという一語に集まった人たちのいろんな立場は興味深かった。結果、この集まりを継続することで、だらだら食事する集まりにならないようにしようという意思を確かめ、この秋には何らかの形示そうということになった・・・と少し酔った脳に記憶している。

15名いると、多士済々。面白い人の動きが生まれるとよい。

2009年6月26日 (金)

松本サリン事件のドラマがあった

サリン被害で脳が萎縮していき視力を失い、言語も失った妻・澄子さんと、14年間心を通わせた河野義行さん夫婦と1男2女の子供たちの記録だった。澄子さんは昨年亡くなられた。

どんな状況であっても、いつも共に生きているからできることなのだろうと思う。もし、河野さんじゃない人が、犯人扱いされていたら、執拗な警察の取調べで自白してしまったかもしれない・・・。

警察は潔白を証明してくれるところではなく、犯人を作るところですよ・・・という弁護士の言葉は、足利事件のこともあって、納得してしまう。

職業意識がしでかす横暴さを戒めるのは、本人の学習でしかないのか・・・。

2009年6月25日 (木)

田舎亭

先日京都を歩いたとき、「田舎亭」を友人が教えてくれた。京都日報の杉浦記者と烏丸署の大洞部長が下宿している「田舎亭」。そのままロケで使っているらしい。石畳がくねくね続く一角にあった。

新撰組に追われた勤皇浪士が刀を引っさげて、角から飛び出してくる・・・そんな場面が自然に浮かんでくる。

さっき京都日報の2時間スペシャルが終わった。室井滋と橋爪功、大滝秀治と橋爪功のやりとりは、引きこまれる。上滑りの喧しいだけが目立つ最近のドラマという印象だが、年季の入った俳優の演技はさすが。

室井滋は美人とは言わないと思うが、目の動きの豊かな人だ。学生時代に痴漢にあうことが多かった・・・と言っていた。色気はあるんだ。柴田理恵と同じ、富山出身だったと思う。

室井と言えば、室井佑月がいる。この人は不思議な人だ。女流作家の文章を真似して書いているうちに、私にだってできる・・・で、見事、作家でデビュー。スポーツ紙のコラムでときどき見る。この前は「水野真紀は好きだけど、旦那は嫌い。番組でいっしょになったときの態度が傲慢で、何様?という印象だった。そのことが旦那に聞こえたらしく、早速、自分の著書を送ってきたそうだ。こんなのを「如才が無いというのだ」とまた切り捨てていた。旦那は、自民党代議士の後藤田氏。

2009年6月24日 (水)

革命創業感覚と無為姑息感覚の差

宮崎県知事の出した「衆院選出馬条件」が世間を賑わしている。

「おちょくってはいないのでしょうが・・・」「わけわかっとるのか・・・」「生意気な・・・」という自民党のお偉方?の声が聞こえてくる。おしなべてこの類の反応を出している人は、既存の秩序の枠内で発想している人。秩序を動かせることは大したことなのだが、その秩序が国民の利益を守らないことに国民の側が気づいてきているのに、対処する方法を作れないところが、問題なのだ。

自分が優位にあることを確認したい気持ちは、往々にして、現実を歪める。「あれは現実を解っていない。まだ若僧だ・・・。」という自分のプライドを優先した結論で対処しようとするのが、「志」を無くした与党議員の行動だろう。

それにしても、古賀さんは、遺族会会長として沖縄の慰霊集会に参加せず、宮崎に出向いたことに悔いはないのだろうか。宮崎の一議席を話すつもりが、えらい話題になって、困っているのが実情か。

幕末に新たな潮流を作った「郷士」という身分の特徴は、田畑を耕していた武士であった。上級武士のようなサラリーマン武士ではなかった。

既存の秩序で「利益」を享受している人たちには、今の秩序を変える発想は生まれるはずが無い。

既存の政治の限界を打破するのは、交代するものの「志」でしかないと思う。

権力に驕るなかれ・・・・。

2009年6月23日 (火)

記念日

64年前、沖縄は日米の戦場となり、本土出身兵65,908人、沖縄出身軍人軍属28,228人、住民約94,000人が戦死したといわれる。今日が、その戦闘終了の日。

39年前日米安全保障条約が自動延長された日が、今日だったと思う。

そして今日、10何年ぶりに、次女の声を聞いた。

2009年6月22日 (月)

雨だ、かなり降りそうだ

早朝も雨だった。大した量ではなかった。ただ、合羽を着ると暑くて・・・。下は短パン、上はTシャツにしていったが、すぐ汗がでる。少々の雨なら合羽はいらない・・と脱いだり、雨粒が大きくなってきたからまた合羽を着たり・・余分な気遣いに忙しかった。

K社の郵便受けにN紙を入れて、橋の上で向きを変えると、面した県道の右の方から大型トラックが走ってくる。待機で、ふと前を見ると、道路端に大きな水溜り。「あーーーーー」と思ったのと同時。トラックの大きなタイヤがそこを通り過ぎた。気持ちいいくらい、頭の上から水をかけていってくれた。幸いといおうか、合羽のフードをかぶっていた。が、前は風通しで開けていたので、Tシャツはびしょ濡れになった。

明日も雨だ・・・。いまは雨が降ったほうがよい。パンツは洗えばよい。雨不足は、人工では補えない・・。

2009年6月21日 (日)

粟井温泉あしもり荘と「天地玄黄 宇宙洪荒」

今日、あしもり荘へ行った。1年振り。母親と従姉妹の4人。結構、繁盛していた。主として3年目に入ったQさんは、去年と同じスタイルであった。

美味い御膳をいただき、滑らかな湯に浸り、いい気分だった。風呂上りに休もうと座った座敷の壁に、空翔る美女?たちとそれを取り囲むように引かれた幾筋もの線の間に、「天地玄黄 宇宙洪荒 日月・・ 辰宿・・ 寒来・・ 秋収・・ 閏餘・・」とある。

以前、草書体を習おうと「三体千字文」を初めのほうだけ見ていたので気がついた。

明るく可愛らしい仏画だなぁ・・と主に尋ねると、東大寺の管長の作とのこと。

温泉といえば地元でよく行っている温泉と比べると、ここの方が柔らかく、ゆったり入れる。湯上りもサラッとして、温泉の違いがあることがわかる。

家から1時間ほどの距離。今年のホタルは見逃した。秋の紅葉の頃に、また来るか・・・。

2009年6月20日 (土)

中心血圧という新たなチェック項目

血管にできた瘤など血流を妨げるものがあるため、血圧が上がる。いまの常識である「最高血圧」と「最低血圧」に加えて、「中心血圧」と呼ばれるこの血圧値のチェックが、自分の血管の柔軟性を知る上で大切になってきた。この数値が高いと「塩分の摂取量が多すぎる」などの生活改善目標が立つ。

生活習慣で病んだ身体は、なかなか治らない。若い頃は、ちょっと摂生すれば、健康体を回復できた。60を過ぎた身には、摂生の効果を知りたくても、現れてこない。

6月19日に測定した血圧は「145 と 96」。高血圧に判定される。この数値を見て、「高いのは高いが、ぎりぎりの値だ」と気休めしている・・・。気休めが何の意味も無いことは、十分承知の介だ・・・と吠えてはみても、要は、治さなければ。

2009年6月19日 (金)

呼吸のしかたを工夫してみる

無意識に息をしていると、ハースーハースー2拍子で息をしている。

それを「ハーハーハーハーハーハー」「スースー」、6拍子と2拍子で息をすることにした。この調子だと、配達の動作に乗れる。長く吐いて短く吸うことをクセつけようと思って。

まだ、配達作業全体を通してはできていない。それが出来る頃には、腹は細くなってるだろうか。

2009年6月18日 (木)

水不足が心配・・・

雨が降らない。新聞配達の時間帯には降って欲しくない雨だが、こんなに降らないと困る。

ナデシコの切り戻しで、また可憐な花がいっぱいに咲いてきた。そのプランターが6つ。去年49本の苗を植えた16のプランター。去年の苗は名前を憶えてなくて、花が終わってそのままにしていたら、去年の20分の1くらい咲いている。

これらのプランターに水をやるとき、1時間近くかかる。講習で「プランターの底から水が出てくるまで、たっぷりあげてください」と習ったから、6リットルのジョウロでプランター1つ。

緑化フェアの相談所に相談員補助でいたとき、相談に来た人の中には、植物に与える水の必要量を勘違いしている人がわりといた。少ない方に・・。

窒素・燐酸・カリの栄養素を与えれば十分かといえば、そうではなくて、ミネラル成分を与えることが、栄養素の吸収に必要だそうだ。人間も植物も同じだ。

最近、「野菜工場」がニュースになる。天候不順にも影響されず、農薬不要だから安全で、栽培期間が短縮され、立体式の栽培だから平面栽培の6倍の生産性・・・。

設備投資とのバランスで売値が高いという課題はあるようだが、これはもっと拡大していくと思う。カネボウ跡地に「野菜工場」・・・というのは如何。

2009年6月17日 (水)

やっぱり爽快

休刊日と昨日休んで、2日の休暇。今朝の天気は晴。中天に眉月があり、その両サイドに輝く星。一つは金星だろう。もう一つがわからない。この景色はいままで記憶にない。

4時過ぎには東の空の闇が群青になってきて、4時半の明るさになると、鳥たちが鳴き始める。朝の空気は、冷たくて爽快。

本日、間違いなく配達完了。

2009年6月16日 (火)

探し人さんへ

昭和61年頃のカネボウ綿糸西大寺工場の住所は「西大寺南1-2-1」が使われていたようです。当時在職の元労組支部長の方の情報です。また1989年版の「ゼンリンの住宅地図」を見ると、地図中の「裏門」あたりに「2-1」と「2-3」と表記してあります。

ただ、「ハピータウン」の店舗枠内に「1」とありますので、ここも「1-2-1」だったのか。

14日に朝の仕事すまして京都へ行った。16日16時ころ帰ったところ。お尋ねの件のご返事が遅くなりました。

大阪在の友人の誘いで2泊。寝屋川市香里園のお宅に。そして、京都・宮川歌舞練場近くの町家でご馳走とカラオケを楽しんできた。

建仁寺、高台寺、八坂神社、円山公園、清水寺、花見小路、辰巳大明神・・・・。汗かいた。

今朝、香里園から京阪電車で淀屋橋へ行く。が、電車の行き先は「中の島」だった。新しくできたところだから、終点まで行った。地上に出て、想定どうりの場所だった。ABC放送の前を通って、JR新福島駅でどっち方面に行こうか迷ったが、大阪駅に向かうことにして、北新地で降りた。大阪にいた頃に何度か寄った桜橋口地下街のレストランで昼飯にした。

いろいろ連絡したい人もあったが、遅くなるのは都合わるい・・・ということで、そのまま新快速に乗った。姫路駅が改装されてた。駅そばを、つい、食べてしまった。

2009年6月13日 (土)

4回も目が覚めた

昨夜は9時には寝ていた。目が覚めたので時計を見たら、11時前だった。トイレに行った。次に目が覚めたのが、12時過ぎ。「なんだまだまだ時間あるじゃないか・・」、そこで気がついた。昨日、玉テレ収録に備えて、10時半頃から一眠りしたとき、目覚まし時計の時間を変えていたことを、思い出し、あわてて「午前2時45分」に設定し直した。安心して寝た。そして、目が覚めたのが2時。微妙な時間だな・・と思いつつ、いつの間にやら眠りに入って、2時45分の目覚まし音で起こされた。

こんなに目が覚めたことは無い。齢をとったというのだろうか・・・。

2009年6月11日 (木)

明日は玉島テレビで収録だ

玉テレの詩吟番組で割り当て出演が来て、明日が収録日。

短歌三首。

吉田松陰の「親思う 心に勝る 親心 今日の訪れ 何と聞くらん」

大伴旅人の「吾妹子が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人ぞ無き」

       「鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘らえめやも」

松陰さんの作は、90歳と87歳のご婦人で、旅人さんの作は、私がするのだが、昨日の連絡では、衣裳があるそうだ。そして、「吾妹子」との仲睦まじい様のイメージ映像も撮るとのこと。面白そう・・・。早く寝て、寝不足を少しでも減らしておかなくては。               

2009年6月10日 (水)

暗記と暗誦

森光子さんの「放浪記」2000回公演が話題になった。

同じ芝居だから同じになると思うのは素人で、森さんの芝居は毎回新しさがあるのだそうだ。ご本人は「前回の芝居を忘れるから・・」とラジオで話していた。ある時、心中、気になることがあって、芝居中に心此処にあらずであったことがある。芝居が終わって、相方に「あの場面はおかしくなかったか?」を尋ねると、「何もおかしくなかった」と言われ、気持ちが離れていても形だけの芝居をしたことに、馴れの怖さを知り、今後への反省としたと告白していた。

セリフを憶え、情景に合わせて声に出し、観客をその世界に引きこんでいく。

40歳過ぎてこの役を掴み、そのときも結核にかかり会社が代役を検討している状況だった。「この人から舞台を取り上げたら、病気にも勝てませんよ」という主治医の理解と支援に支えられ、病院から舞台に通ったそうだ。

暗記、暗誦するから、いつまでも若いのだ。暗記、暗誦をするのが楽しくなることを考えよう。

2009年6月 8日 (月)

6月の朝の話、三題

① もう1ヶ月以上前になるか、杖をついてだが颯爽と歩く老婦人あり。その翌日だったか、左腕を抱えて共に歩く息子さんと思われる介添えがついた。それから時々お見かけした。このところは出会うこと無かった。先週、車椅子に乗った老婦人と、それを押す息子さんと出会った。足の具合が悪くなったのか・・・・。

② 去年、朝の散歩で出会う縁で、新聞を購読してもらうようになった老婦人。今年も夜明けが早くなってきた頃から、朝の散歩を再開。散歩コースに飼い犬がいて、いつの頃からか知らないが、前夜のおかずの残りを与えていたらしく、犬は毎朝、ご婦人を待つようになっていた。その犬の家に最近再び新聞を配達するようになった。以前から、ウンともスンとも言わない犬で、番犬にはならないな・・と思っていた。それが今朝、ご婦人の姿は見えないのに、立ち上がって尻尾を振り、きゅんきゅんと啼く。その家の隣はアパートで、アパートの次は道路。ご婦人はアパートを左へまがって1軒先のところで腰をかけて休憩していた。

③ 時々出会う8歳の犬。シーズー犬というのか。小型で耳が大きく鼻ペチャで、愛嬌のある顔。連れている老婦人は言う。「モー、休んでばかりでひとつも前に進んでくれん・・・」「1時間ほど散歩しとるけど、歩きゃせん・・」と。私と会うと、足元に近寄って、頭をなでると機嫌よくしている。そして、勢いよく歩き出す。

もう一題。ある家の玄関先に時々いる白ネコ。そこはいつも暗い時に配達に行く。最初に出会ったときは、玄関先に白いものが落ちているな・・と思った。近づくと庭の叢のほうへ走った。ネコだった。それから暫くして会ったときは、逃げる距離が短くなった。一昨日出会ったときは、5歩ぐらよけて、こっちをみていた。

2009年6月 7日 (日)

いつもと違った2日間

土曜日、配達してから弁当を作ってもらい(自分で作るつもりだったが・・・)7時過ぎには車に乗って一路「宝伝」港へ。8時の犬島行きの船に乗るため。

8時の渡し船に乗って行き、17時15分の船で宝伝へ帰った一日となった。何しに行ったかというと、犬島貝塚第2次調査現地説明会に参加した。犬島貝塚調査保護プロジェクトチームというのがあって、リーダーは遠部さん。いま北海道大学の埋蔵文化財調査室に在籍。

この日総勢30余名。「犬島の石おばさん 在本」さんの案内で石切り場まで見学、そして石割まで経験。そして、貝塚のある島へ渡って現地説明会。

30年前にO君が中学生のときに発見してからの年月で、崩落し始めていて、早急な調査と保護対策実施が求められる。

日曜日、配達終わって風呂に入り、髭剃りと洗髪。7時5分の岡山行き電車に乗るのに急いだ。大多羅駅には余裕で着いたが、ダイヤが変わっていて、7時10分の電車到着だった。

行き先は「金光駅」。8時過ぎには着いて、歩いて「詩吟コンクール」の会場に。既に会場には今日の運営役員の諸先生方が多勢おられた。

「幼年」「少年」「青年」「一般一部」「一般三部」の年齢別コンクールで107名が出場。(欠席が数名)私は「会場係」。

今日の会場は、一つの建物に5つの機能を持たせていた。「図書館」「農村婦人の家」「コムニティハウス」「歴史資料室」もう一つあった。詩吟コンクール会場は、収容500人の大ホール。

その図書館に本を借りに来ていたTさんに2年振りに会った。Tさんは、ハローワークのパソコン講習での同級生。会場係の用事は無かったから、しばらく立ち話。交通事故でムチ打ちになって、その影響で右手の動きが鈍くなって大変困ったそうだ。いまは大分回復したらしいが・・・。まず元気そうでよかった。

この2日間は、いつもと違う展開で、気分転換になった。でも、配達が終わって、すぐ出かけて夕方まで拘束されパターンはしんどいな。慣れれば慣れただけのペースにはなるのかもしれないが・・・。

2009年6月 3日 (水)

樹齢130年、枝面積600㎡の藤の木を移植した塚本さん

「笑ってこらえて」が表彰した1996年2月22日の人。

造園業の人に嫁いだのがきっかけで、樹木医の資格をとり、樹齢1000年の木の移植を成功させたのが評判になって、移植の依頼が増え、それまで100例以上手がけたが、失敗は一例も無い。

藤の木の移植計画は、2年がかり。600㎡を2段階で70㎡に縮め、根の張り具合も8mまで短くした。幹周りは4m近く。枝を切った切り口から腐っていくのを止める方法が見つからず苦悩した日々を送るが、奈良時代の木簡発見のテレビニュースから、墨が木簡の腐るのを防止している・・・と閃いた。また、社員が交通事故で首の骨を折ったときに、「石膏包帯」で保護した話しから、クレーンで吊る幹の保護方法を考えついた。

いま60才の塚本さん。「60年しか生きていない私が、100年200年、1000年生きている樹木を治療するなんて、おこがましい・・・」と言っていた。

移植のために縮めた藤の木は、いま元通りの600㎡に成長している。もの言わぬ藤の木が満足できる状態を作り出し、20km離れた場所へ無事に引越しさせたのは、塚本さんのに人間の深さだろうな。化粧品会社勤めから造園業の家に嫁いだのがきっかけで、樹木を助けるプロになった。目の前の課題解決に没頭する人だったからだろう。

「笑ってこらえて」は、いい人を探し出すな・・・。

2009年6月 1日 (月)

朝4時半の西大寺

西大寺の中の、松崎と大多羅あたりの、朝の4時半の景色なのだが、もう明るい。東の空にまだ太陽の輝きは無い。スズメや鶯やカラスや燕や、知らない鳥が、鳴いている。冷んやりとした空気が、新しい一日の始まりを実感させる。

新聞配達は年間10日の休み。毎朝2時45分起床。私はまだ3年目に入ったばかりだが、37年続けてる、21年続けてる、17年続けてるベテランがごろごろいる。全国に40万人と推定されるようだ。

朝の町には、道路のゴミ拾いや用水のゴミ拾いをしている人がいる。いつ何がきっかけで始められて、始めてどのくらいなるのか・・・。毎朝、見かける。

朝のトレーニングで歩いている人、犬を散歩させている人、走っている人、自分の時間を計画して使っている人が、朝の街を賑やかにする。

時に、朝帰りの人にも出くわす。もったいないな・・・と思う。自分も昔やったな。朝は始まるときだ。朝が一日の終わるときになる生活は特殊だから、そのパターンを長くは続けないほうがよい。

新聞配達をして実感するのは、「朝は毎日、新しい・・・・」こと。

2009年5月31日 (日)

血圧計

健幸プラザという施設にお風呂がある。冬の寒さに銭湯が恋しくなり、来るようになって、常連さんになった。

そこに血圧計が置いてあって、腕を通してスタートボタンを押すだけなので、入浴の度に測っている。脱衣所にあるのは、結果をプリントする機能は無い。そこしかないのかと思っていたら、玄関脇の広いロビー部分にもあった。こちらのはプリント機能付き。

今日、髯も伸びてむさくるしくなっていたので、行った。血圧計に腕を通した。最高血圧139と最低血圧86mmHg。

4日前の17時頃の記録では、152と93。

やや高めというのが、私の血圧。痩せればも少し下がるのだろう。

痩せるで思い出した。ここの脱衣所に体重計があって、いつも計る。来た当初は、目盛りは90kgを越えようとしていた。それがこの1ヶ月には85kgを越えなくなった。嬉しいー。

ただこの秤、測る者の足の位置の加減で、表示が変わるので、自分の結果に自信がない。

家にある体脂肪や内臓脂肪も測る機器で計測すると、89kgはあった。がっかり・・・・だった。

2009年5月30日 (土)

夏だ

朝の陽射し。眩しい。夏到来を思わせる。昼過ぎの空。白い大きな塊が、あっちこっちに浮かんでいる。夏の空だ。

夕方、からからに乾いたプランターに水をやる。30分はかかる。じとっと出る汗。夏の暑さへの心構えか・・・。でも、風はまだ爽やかだ。

買物に行ってトイレに寄った。ボランティアで一緒になったTさんとばったり。24日の閉会式の後に会場を散策していたときにも、出くわした。探究心旺盛な親父さんで、野菜づくりに花栽培、船を操り海釣に、車の整備もまかしとけ・・・の働き者の方。近々、2つのグループから頼まれて、船をだすそうな。「お互い知らんから、2回行ったほうが気を使わんでええじゃろう・・」の気配り。

ボランティアで動いたおかげで、新たなつながりもできた。やっぱり、動かなきゃ・・・。

2009年5月29日 (金)

50周年・・・

30歳の頃、企業や団体のの50年史、60年史の本の制作に携わったことがある。その頃は、自分の人生より以前のことを調べ、まとめていくことが、年史物の仕事であった。

いま、「50周年・・・」などの活字を目にするとき、自分の人生の範囲内じゃないか・・・ということを思い知ると、なにかガクッとする。

「何周年」なるものが自分にあるかと考えると・・・詩吟だけか。祖父の詩吟が世に知られてから70年余り、「西大寺詩吟同好会」からいうと53年。私が祖父の講座に正式に入った時からいうと、33年。続けるのなら、もっとレベルを上げるべしだ。

先日、山陽新聞が金婚式の集いをしていた。天皇、皇后様も50周年だった。私は23年で途切れた。途切れなければ、37年だ。

ずーと前、80歳過ぎのご婦人が、信仰心の厚い大変気丈な方が言われたことを思い出す。「自分と同じ歳の人を見て、あーー私もあんな様子なのか・・・とショックだった。」日々の生活を振り返ると、60歳以上の人達としか付き合っていない。緑化フェアのボランティアの間は、20歳代の若者とも交流があった。

毎朝見ている「一日一言」に、「子供の教育」について「師を選び、友を選び、土地を選べ」とあった。「老いて衰えないために」、この戒めは子供だけのものではないな・・・。

2009年5月28日 (木)

ゴスペルと津軽三味線

岡山学芸館高校の芸能鑑賞会の授業が、シンフォニーホールで、27日にあった。同校の職員の方からご案内を戴いて、行った。

「津軽三味線 ゴスペル コラボレーション」で、出演は「澤田勝司」と「EVERYTHING GET TO BE GOOD」。

ゴスペルはピアノと4人、三味線は1人。舞台は照明の演出だけ。シンプルで4人のハーモニーの心地よさが残った。津軽三味線のリズム豊かな哀愁は期待に違わず、エレキにチューンアップした音は、三味線であることを疑わせた。

1階は生徒たち、2階を保護者と招待者に開放された。ゴスペルにのって会場が手拍子に溢れ、舞台に引き上げられた生徒がゴスペルの一声を、上手くこなし、三味線では4人がリズムにのって伴奏し、とても楽しい鑑賞会であった。

私立高校が、生徒の可能性を引き出し、成長させることができることに優れている面が垣間見られた気がした。隣接する、わが母校である県立高校の状況と比べ、どんな違いがあるのだろうか、気になるところだ。

このところ仕入れたことで、「立命」とか「知命」ということがある。この世に生まれたからには、自分は何ができるのか、自分の能力は何か・・・をまず知りたい。

「この世に生まれし人々は 天に受けたる 務めあり 各々務めは違えども 己の務めは果たすべし」「人の命となるものは 務めを果たす吾にあり その吾なくばその命 さて何というべきか」

高校卒業間近の頃、友人からもらった「生きがいの探求」という本を読んだ頃に、書いた詩?。今も忘れず出てくる。その後の実際の40余年は、この気概の通りにはなっていないのが口惜しいところだが、それはまた、今後に期待しよう。

2009年5月26日 (火)

花緑ボランティアOB会?

25日、12人がOさんの山荘に集まった。ここは30年ほど前に来たことがある。祖父の詩吟の会で20名余り。夜の会合で、雨が降ったように思う。タクシーを利用したが、道が狭く暗いのしか憶えていない。

10年ほど前から、荒れていた山荘の周りを整備して、庭作りに邁進して、TVの取材を受けるまでになったそうだ。枕木で作ったデッキがあり、芥子山山頂からの眺めとは違った西大寺の街や吉井川の風景が新鮮だった。

男性5名、女性7名が集まり、緑化フェアでの活動振りを話し合った。そして、このつながりを活かして、何かしていこうと一致。今回連絡できなかった人たちにも呼びかけることとなった。Oさんからの今朝の電話によると、前回開催地の群馬ではOB会が組織され活動をしているそうだ。

いま思うのは、来年4月にオープンとされる、フェア会場跡の公園(西大寺南公園か)が、開放されるとき、花で飾るのはどうだろう。広く賛同者を募り、プランターなどで各自で育てた花を持ち寄り、公園中に飾る。それを毎年の行事とする。

2009年5月23日 (土)

毛ガニ

3週間ほど前か、電話に出ると、朴訥そうな声で「函館の・・・・です。もしよかったら毛ガニと帆立貝があるんです。蟹は冷凍ではなく、捕れたてをボイルしたもの・・・・」というセールスの電話だった。FAXを頼むと、翌日送られてきた。「お話を聞いていただき・・・」とあった。ホームページがあったので見ると、北海道で手広く商売をされているらしかった。

母親に言うと、注文しようということで、メールで注文した。私不在のときに連絡があり、この土曜日に来るとのこと。土曜日になったが来ない。日曜も来ない。月曜も来ない。何の連絡も無い。いいかげんな会社だなぁ・・で忘れていた今日の土曜日、来た。母親の勘違い。

晩飯は、毛ガニと帆立貝。ハサミで足を切り、爪に切れ目を入れ、胴体を二分し、ホタテは説明書を見てナイフで切り、レンジで温め・・・・・美味い。

やはり、カニを食べるのは、疲れる。そして、想像通り、カニを食べている間は、「静か」だった。

今日の4時過ぎにフェア会場に行ったら、随分と人がいた。人の思いは似たところがある。名残惜しむ人の思いか。明日はいよいよ最終日。緑化フェア66日目。

2009年5月21日 (木)

図書館で 居眠りをして 百円払い

「日本外史」を見たいと思って、県立図書館へ。県庁の前を右折するとき、ガラス張りの内側はブラインド。「あれっ?」駐車場が見えてくると車がいない。出口のところに「休館日」の看板があった。

「どうしよう・・」信号待ちで考えて、市立図書館に寄ることにして、旭川沿いの道へ。市立中央図書館は久しぶりの訪問。11時前だから駐車場はガラガラ。入って、パソコンで検索。「書名:ニホンガイシ」。検索を押したら、「岩波文庫 1982年で上・中・下」が「在庫」。「上」をプリントアウトしてカウンターに行って尋ねると、書庫から出してきてくれた。

開いた机で読み始めたが、期待に反して、「漢文」が無い。全部、読み下し文。思えば、活字が無いか。読み始めたが、それほど読まない内に、眠たくなってきた。知らぬうちに、眠りに落ちていた。ハッと目が覚め、また読み始める。そのうちスーーッと睡魔が襲い、また眠りに落ちる。何度かそれを繰り返し、また来よう・・・と決めた。

駐車場に帰り、車の駐車券を見ると入場時間は1時間40分になっている。規定は「1時間30分」までは「無料」。それを過ぎたら「1時間 100円を支払わなければならない。「うたた寝代だな。」

2009年5月20日 (水)

緑化フェアのボランティア任務完了

フェアはあと4日間だが、私の活動割り当ては今日が最後。

暑かった。スタートした3月20日頃は、まだ寒かったことを思うと、「日本の四季」だ。終わりが来ると、それゆえの寂寥感がある。休憩のとき、「これが終わったら、どこへ行こうか。行くとこが無くなったら困るなぁ」とご婦人たちが話していた。ボランティアで家事も忙しかっただろうし、いくら作業をゆっくりしたとは言え、午後3時を回ると、疲労感が出てくる。そうであっても、フェア会場に来ることは、張り合いがあったのだ。

これからは、岡山市の緑化推進活動の一端を担うことだろう。

2009年5月17日 (日)

朝日新聞の書評で見た「あれっ?」

それは、「美智子 著」という文字。本のタイトルは「橋をかける」だったか?

「美智子」は「皇后様」であった。皇室には苗字は無い。本の内容は、美智子様が子供時代に読書を通して、知らない世界と自分の間に橋がかかっていった・・・というように勝手に理解した。何年か前、インドで開催された読書関係の世界大会で、子供たちに講演されたニュースを記憶している。それを、文春文庫が発行したようだ。

文春文庫はどのようにしてこの本の出版にこぎつけたのだろうか。

2009年5月16日 (土)

春眠暁を覚えず

眠くてたまらん。今日飛ばすと2日連続になる。少しでも書こう。

この3日間、腹筋と背筋を動かしている。背中を動かすと体が軽くなるような気がする。

腹筋は無いと思った方がよい。お腹が出ているのが、カッコ悪いと思うようになった。ほんと、体が思うように動かせないのは、不細工だ。両足を上に上げると、下腹や胃の周辺の肉が下りてくる。叩いてみると、いい音がするような・・・・・・・・。

2009年5月14日 (木)

来場者数が30万人突破

緑化フェアメイン会場の目標人数が30万人。5月12日に30万人目に40代の女性が当ったそうだ。

これまで天気が良かったのと、リピートの人が期待以上に多かったらしい。花は綺麗だ。自分のペースでのんびりと歩けるのがいいのだろう。

先日ボランティアで出動していた日、同級生のFが来ていた。背広スタイルで、「仕事を抜け出して来た。入場券がぎょうさんあるのに、今日が初めて。花が咲いとるのはええなぁ。癒される。仕事に帰りとうねーな」と。

イベントが終わる。また同じような日常が繰り返される。自分の生活の中に、日々積み上がっていくものがあるかどうか。それが共感を呼ぶものならば、自分発のイベントも可能になる。

2009年5月11日 (月)

5年振りの大阪

新幹線は7年振り?大阪駅西口のビックカメラ進出が決まった頃、大阪を離れた。

大阪駅東口の改札を入って7~8段?の階段があったが、それが無くなって、いきなりエスカレーター。決定打が無いまま、漂流してしまった大阪時代。このまま、この街に溶け込めそうな気もする。

45分余りで岡山に着く。倉敷駅で人身事故があったとかで、赤穂線のホームに学生を中心に待ち人が溢れる。15分余り。大多羅駅着。芥子山と色づき始めた麦畑。一日が終わるホッとした空気が漂う。

2009年5月 9日 (土)

石田退三と石田礼助という人

トヨタの営業赤字がまだ続くという記事を見て、石田退・・・なんとかいう名前だったと気になった。「石田退助」と検索して、「石田退三」と気がついた。

そして、「粗にして野だが卑ではない」という本があったな・・と検索したら、それは「石田礼助」氏で、国鉄総裁だった人だ。

このお二人の生年没年を見て驚いた。石田礼助1886年~1978年、石田退三1888年~1979年。同じ時代を生きた。

出身は、石田礼助は静岡県松崎町、石田退三は愛知県知多郡。

学歴は、石田礼助は東京高商(現 一橋大学)で学び、三井物産に就職。石田退三は、父を早くに亡くして丁稚奉公に出るところを、遠戚の小玉一造の支援で、滋賀県立第一中学校に進学。卒業後は代用教員として働く。

石田礼助は、昭和14年三井物産の社長に就任。戦後、公職追放で晴耕雨読の生活。昭和31年に国鉄監査委員長に引っ張り出され、昭和38年には第五代国鉄総裁に。「公職は奉仕するべきもの。総裁報酬は全額返上する」と明言し、国民の支持を得る。昭和43年、辞任。

石田退三は代用教員の後、3社ほど勤め、豊田佐吉と出会い豊田紡織に入る。昭和23年、豊田自動織機の社長に就任、昭和25年に経営の危機に陥ったトヨタ自動車工業の社長を兼務。社長在任中は、「ケチに徹した」それが、トヨタ無借金経営の礎となる。ある時、融資を引き上げようとする住友銀行のやり方に不信感が募り、その後、取引を止めた。それもあってか、内部留保を増やし、トヨタ銀行といわれるまでになった。「トヨタ中興の祖」「トヨタの大番頭」と言われる。

明治生まれの気骨。時代がつくるものか・・・・・。

2009年5月 8日 (金)

長野、山口、岡山が教育県と言われるのは・・・

幕末から明治初期の寺子屋と私塾の数が多かったから。

寺子屋は長野1341、山口1307、岡山1031、私塾は岡山144、長野125、山口106。

私塾の数では、岡山が最多。邑久郡には14もあった。30人から50人の規模が多かった。学科は「漢学」。他には「筆道」「和学」「算衡」「詩文」「算術」「習字」「読書」「文章」など。一私塾でこれらの学科が網羅されているのではない。「漢学」は、全ての塾が教えている。それに1~3学科が加えられている。

19世紀始め頃には普及していたであろう、「漢文の訓読法」によって、多くの人たちが学習することができるようになった。そして、漢学で鍛えられた能力は、英学の吸収も早かった。

「それ、学は通の為に非ざるなり。窮して困しまず、憂いて、意、衰えざるが為なり。禍福終始を知って惑わざるがためなり。」と、古代中国の哲人・荀子が喝破した。

幕末そして明治期、少年少女らは、何を思って私塾で励んでいたのだろう。いまの少年少女たちよ、なぜ学校にいくのか考えてみよう。

2009年5月 7日 (木)

日本外史がこんな本だったとは・・・

「日本外史」の作者は頼山陽。幕末明治期の大ベストセラー。幕末維新期における漢詩文の読者のうちで、「日本外史」の文章に触れたことのない人はほとんどいないといえるほど。発行部数は30万とも40万とも言われている。頼山陽は1781年~1832年の人。

先日、県立図書館で「漢文脈と近代日本~もう一つのことばの世界」(齋藤希史 著)なる本を借りた。そこに書いてあった。

「日本外史は、保元・平治の乱による、源氏・平氏の台頭から徳川の天下統一にいたるまで、武門の興亡を記した本。」「君臣の分を重んじる大義名分を、皇室と武門との関係に当て・・・・つまり皇室が君で武門が臣というわけです・・・尊王思想を記述の根幹としたことが、時代の好尚にあった。」

「武士がいかに行動すべきか、その指針を示したものであり。思想の中身もさることながら、歴史を一つの原理、一つの流れでわかりやすく描き出し、規範を示したことが、人々に歓迎された。」

「日本外史は、さまざまな史料や史書を駆使してできあがったもので、その中には和文で書かれたものも少なくなく、また史書というよりも小説に類するものもあったわけですが、山陽はそれを巧みに漢文に直しました。一種の漢作文と言ってもよいでしょう。」

「中村真一郎は『頼山陽とその時代』の中で、思い出をこう記しています。」

「明治初年生まれの私の外祖母は、文字通り無学な田舎の一老媼に過ぎなかった。しかし彼女は、中学生の私が漢文の副読本の『外史鈔』を読み悩んでいる時、台所に立ったままで、私の読みかけた部分をえんえんと暗誦して聞かせてくれた。明治の初めの地方の少女は『日本外史』を暗記することが初等教育であったのだろう。

それは『外史』が全国津々浦々行き渡っていた証拠となると同時に、その文章が暗誦に適した、つまり人間の呼吸に自然に合致した、見事な雄弁調といて成功していることを示しているだろう。近代の口語は、そうしたエロカンスの美において、遂にこの水準まで達した文体を発見していない。」

祖母が暗誦したのは、漢文の訓読で、山陽が作文にあたってお手本にしたのは、「史記」130巻のうち「項羽本紀」。

「私(山陽)はかつてこの一篇を書き写し、読みながら傍点を付したり、段落を区切ったりしたことがある。日本外史を書くようになって、毎朝この篇を朗誦したが、大いに力を得たものだ。」と、述懐している。

頼山陽は30歳の頃、日本外史の草稿を仕上げていたようだが、その後増補を重ね一通りの完成をみたのは、47歳のとき。20年を費やした。

2009年5月 5日 (火)

少し濃すぎたか・・・・

炭酸を買ってきて、ウィスキーを飲んだ。いつもよりウィスキーの量が多かったかもしれない。眠い。

以前のバカ飲みから思うと、酒量は激減。これが普通。

一杯人酒を呑み 三杯酒人を呑む

古来、酒を呑むときは注意せよ・・・と言われてきている。

深酒や、深夜まで呑むことを注意すれば、朝起きたときの「胃」は軽い。ほんと、バカみたいに呑んでいる頃が、勿体無い。

2009年5月 4日 (月)

先生6人出席の同窓会だった

Photo 昨日、無事終わった。先生6人生徒57人の出席だった。その中、20人ほどは半年前の中学校の同窓会出席者だ。

前回は6年ほど前。そのときご出席のM先生は、比べると、やや衰えを感じた。N先生は「数えで80になる。これまでは感じたことは無い、衰えを感じる。頭の中が空っぽになったような・・・」と。卓球一路のT先生は、到着時に体調が悪くなり「世話役の顔を見て、帰ろう」と思われたらしいが、思い直してくれて、最後までお付き合いいただいた。我々と10歳違いのO先生、5歳違いのS先生、藤沢市から来ていただいた I 先生・・・40年余りの時間を遡った。

スライドは現在の学校風景、卒業アルバムから各クラス写真や当時の学校風景、芥子山山頂からの眺望、緑化フェア会場風景、同窓会準備作業風景、昭和38~41年の時代描写の雑誌、高校三年生、学生時代、校歌、応援歌など、盛りだくさん?に写した。

男子の顔は皆わかったが、女子は半分ほど。県外から16名人が来られた。

2009年5月 2日 (土)

明日、高校同窓会だ

小冊子にスライドを作った。スライドは中学校同窓会よりも種類もコマ数も多くなった。

卒業写真を映像に取り込んでいると、皆の顔の初々しさを改めて感じた。面差しはいまの原形になっている。自分のを見ると、気取った顔で、ええかげんにせぇーーと言いたい感じ。思えば、殻に閉じこもったところもあって、シャキッとしない高校時代だった。歯切れ悪し。

先日、緑化フェアの花柄摘みの作業で同じ班になったご婦人から、「あの頃はもっとスマートでかっこよかった」と言われた。確かに、高校当時より30kgは増加。明日は40年余りの時間を刻んだ顔が見られるか・・・。

2009年5月 1日 (金)

蚊が出てきた

今日から5月、夕方のヒンヤリした空気はあるけど、寒いという感じは無くなった。窓を閉めた車に乗ると、早く窓を開けて外の空気を入れたいと思う季節になった。

また、汗をかき、太陽のまぶしさに眼を細める時期が来る。夏至の日まで昼はどんどん長くなる。あと1ヶ月半ほどか。四季がある国は世界でどのくらいあるのか。以前、インドネシアのセレベス島(いまは、サウス スラウエシ)に行ったとき、川で水浴びをしているのを見て、「冬は寒いだろうな・・・」と言った人のことを思い出す。その人は3年前に亡くなった。

窓を開け、夜風の涼しさによい気分でいたら、ブーンと飛んでくるやつがいる。そうだ、この季節になるといるんだ。また、蚊取り線香を買ってこなきゃ。

2009年4月30日 (木)

黒井山のぼたん園

ブルーラインの道の駅黒井山の側の山中に「ぼたん園」があって、千坪はあるだろう。花の盛りの終わり頃だったか。いろんな色の大輪があった。「花王」「鎌田錦」「島なんとか?」などなど、いろんな名前がついている。新種を作った人が登録するときに、自分の好きなように名前をつけることができるかららしい。

ぼたんの産地は、島根と新潟だそうだ。鳥取の大山の麓でも作っているが、島根の会社が作っているから、「鳥取産」にはならない。連作ができないので、そういう措置が必要になるらしい。

黄色がひときわ映えているものがあった。「ハイヌーン」と名前がついていた。実は、アメリカ人が作った新種。今日が見ごろという。綺麗な黄色だった。

芍薬とぼたんをかけあわせたのがあった。まだ蕾で、「ぼたんが咲き終わって咲くようだ。それでは遅い。失敗だった。抜かんといけん」とぼたん園の人。

ぼたん園に隣接して「茶花園」があった。沢山の、憶えきれない木々があった。記憶にあるのは「花水木」が花を沢山つけていた。「手毬なんとか」という名前が数種。白い花が丸く集まって、枝のあちこちについていて、その丸い形が「手毬」に例えられたようだ。

木には名札がついているのだが、憶えたつもりが、出てこない。

昼寝をしていて出かけたのが2時過ぎていた。でも、陽射しと風が心地よかった。早めの晩飯を回転寿司に行って、帰ったのが6時頃。なでしこなどに水をやって、ゆっくりした夕方をすごした。これも、緑化フェアのおかげかな・・・。

2009年4月28日 (火)

一部上場企業の夏のボーナス平均が15%ダウン

ラジオで話していた。ボーナスに縁があったのは、いままでで10年間ほどか。いまのご時勢、ボーナスがあるだけでもハッピーだろう。

儲けるということを、先人の言を借りると、「君子もまた利害を説く。利害は義理に本づけばなり。小人もまた義理を説く。義理は利害に由ればなり」

事業の規模が大きくなると、経営者の価値観は変わるのだろう。トヨタがいつの間にか過剰設備を抱えていたという。世界一の販売台数に迫ったことが、何かを狂わせたのか。

日立など電機メーカーが、自動車の世界市場規模に期待して、自動車部品製造を増強したとたんに、この世界不況に出くわした。

競争は生き延びるためには避けられない。地元のスーパーの乱立?を見ていて、大変だ。なんでまた新規出店してくるの。ここの市場規模はそんなにあるの?それとも、先発店のどれかが息切れするまでのガマン勝負?

3000万人の人口で260年間過ごしたのが、徳川幕府の江戸時代。鎖国をして、3000万人の生活を維持した。

黒船来航でヨーロッパ先進国の介入?が始まり、鎖国を止めて、世界と付き合い始めてから150年余り。

お金はいまや世界中を勝手に走り回る。我利我利亡者どもが掻き乱す。

お金にモラルを求める声も上がってきた。「利害は義理に本づけばなり」だ。

2009年4月27日 (月)

3日間のご無沙汰だ

今月はブログを飛ばした日が多かった。この3日間は、高校同窓会の小冊子とパワーポイントでスライド制作のため、ブログ書く時間を取れなかった。幸い今日の最終打ち合わせに間に合って、小冊子の製本作業を共同ですることができた。スライドもほぼできた。

久しぶりに見る卒業アルバムで、木造の教室と廊下、そして「購買部」の板が下がったいわゆる「売店」は、懐かしさ一杯。今日の試写で、皆、同じように感じていたから、当日も40余年前に飛べるだろう。

なでしこが咲き始めてもう1ヶ月になるか。まだ花は咲き誇っている。小ぶりな可憐な花だがしっかりと花を保っているのが「大和撫子」になったのだろうか。

2009年4月23日 (木)

県立図書館に行った

ここはオープンしてから何年経つだろう。以前、来た時は、駐車場の空き待ちの車が道路に並んでいる時ばかりで、いつの間にか足が遠のいていた。今日は高校の同窓会のホテルと打ち合わせに代表世話人のFに随行で岡山に出て、帰りにここに寄ることになった。

昼前で、館内でFお奨めの?スパゲティーナポリタンを「熱いうちに食べる」というアドバイスに従って食べた。

30分ばかり見学して、登録して2冊本を借りた。さすが、蔵書は豊富。居心地も良さそうだ。せいぜい利用しよう。

2009年4月22日 (水)

パターンが決まった運動は鍛えることにはならない

おはパソの道上さんが今朝話してた。腹筋を鍛えるのに、ボールを足ではさんで、頭を上げて腹の方を見るとかなんとか、そういう運動を指導した先生がおっしゃったらしい。

腹筋を鍛えるのに身体を寝かして上半身を起こす運動を繰り返すが、単純に同じ運動を繰り返している場合は、思うような効果は出て来ないそうだ。

ワンパターンという語がある。

ワンパターンのときは、楽してる。

2009年4月21日 (火)

白ネコは、あの世に行った

冬の間は家の中で過ごしているのだろうと思い、姿が見えなくても心配はしてなかった。暖かくなってきたのに、歩く姿が見られないので、どうしたのか・・・と気になっていた。今朝仕事から帰ると、母親が「だいちゃん死んだんじゃて・・・」と。飼い主のKさんに聞いたところによると「1月のある日、夜帰ってこないので近所を探し回った。遅くに入り口で音がしたので出てみると、顔を血だらけにしたダイちゃんが倒れていた。事故で怪我をして、家までやっと帰ってきた。すぐ獣医に診てもらい処置をした。しばらくは、家の中に留めて、様子をみていたが、亡くなったそうだ。」

賢いネコだから、事故に遇う事はないだろうと思ったのは、勝手な思い込みか。可哀想な結末だ。

普通なら、朝、配達を終えて帰ると、バイクを置く庭?にある台の上で前足に顎をのせて気持ちよさそうに眼をつぶっているはずだった。残念な事故だ。安らかに眠れよ。Photo Photo_2 Photo_3 Photo_4 Photo_5

2009年4月20日 (月)

なでしこと牡丹が咲いている。なでしこは去年9月9日に種をまいた。約6ヶ月。花が咲くまでに、これほどの時間がかかる。牡丹は母親がいつ植えたのか、咲き始めるまで知らなかった。

昨日は詩吟の誓山流の30周年とのれん分けした魁山会誕生の記念大会に参加した。坪井誓山先生の志気が行き届いた、いつもながら、気持ちの良い吟詠大会であった。出席の顔ぶれも、吟剣詩舞振興会の河田会長、岡山県総連の藤上会長そして日枝理事長が勢ぞろいの晴れ舞台であった。

吟じたのは、「和歌 楽しみは」。4月2日の緑化フェアで発表したもの。よく練習したということと、この歌の内容を考えると、「昨日まで無かった花」は「上達していく会員の実力」と見ることができる。そういう意味を含んで、この和歌をすることにした。

「楽しみは 朝起き出でて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」

「楽しみは 庭に植ゑたる 春秋の 花のさかりに 会える時々」

懇親会の後、倉敷駅前の某店で2次会。電車には乗ったのだが、降りるたびに違う駅で、やっと大多羅駅に着いて、20分ほど歩いて帰った頃は、0時近かったのか・・・よくわからない。おかげで、今朝は3時30分の起床であった。仕事は無事にすませたが、帰って食事してから、すぐ睡眠補給。3時間ほど寝ていた。Photo Photo_2 Photo_3

2009年4月18日 (土)

ブログのアクセス数19993、1日平均24

一昨年1月から始めて、それほど休まず書いてきた。今月は休みが目立つが・・・。1都1道2府43県すべてから、1回はアクセスがあった。TV番組を話題にすると、アクセスが増える。皆似たような関心をもつものだ。最高は200を越えたことがあった。両備グループのCMソングが、秘密のケンミンショーで取り上げられたとき。

主婦から医者になって僻地医療に単身で取り組んだ鈴木陽子さん、東尋坊の自殺防止ボランティア茂さん、簿記検定一級を満点で合格した元歯科医院事務職の赤壁さん、シンクロナイズドスイミングのデゥエット伴奏曲を作曲した中学生・車川さん・・・ひょっとして名前に間違いがあるかもしれないが、この人達の話題がアクセスを増やしてくれた。

ブログを始めた直後にコメントをくれた人物が、中学校以来の親友であったのは、驚き桃の木山椒の木。時々来るコメントから、だんだん知っている人物か?と思うようになって、1年余り経って、彼の結婚記念日と私の次女の誕生日が同じという話題を書いたところで、判明した。東京と岡山のやりとり。

ブログを作ってなかったら、何を楽しみにしていただろうか・・・。

2009年4月17日 (金)

いま、腰が痛い

今日は植物管理のボランティアだった。花柄摘みで1日が経った。最初は、芝生の雑草取り。ついで、花柄摘み。

どちらの作業も、しゃがんでするようになる。その姿勢は、若干、腹の出ている、メタボ体型の自分にとっては、次第に負担になってきた。

しかも、しゃがんだり立ったりを繰り返していると、太腿がジワッと痛くなってきた。日ごろの運動不足なのだ。終わったいまも、腰のあたりに、疲労感があり。

2009年4月15日 (水)

今日は相談室の補助要員

好い天気で、昨日の入場者数1,200人を十分穴埋めできそう。2度目の花と緑の相談室での仕事だ。

「桜を2本植えとんじゃけど、サクランボを少ししかつけん。去年は12個。これを増やす方法は・・・・・」

「背丈の小さい桜は無いか?」

「桜を植えて5年は経つ。花が咲かん。どうしたら咲くか?」

憶えている質問はこれだけ。「クリスマス ローズの株分けの仕方」を尋ねていた人もいた。クリスマス ローズという花は、いますごい人気だそうな。相談室の前にあったので、見た。

緑化フェア会場は、花が溢れてきた。チューリップがとても綺麗に咲き誇っている。

入場者数は10万人を超え、予想より速いペースだそうな。今日、ミニトレインが復帰した。

2009年4月14日 (火)

早朝散歩する親子

10日ほど前になる。白いシャツの背中が丸くなったおばあさんが、スラックス姿で右手にステッキを握り締めて、早足で歩いているのに出会った。配達も後半だったから、5時半頃だっただろう。

「思うところあって、早朝散歩を決行しているのだな・・」と思わせる歩き方であった。

その翌日、また出会ったのだが、そのときは、左側に息子さんらしい人がおばあさんの左腕を抱えて、おばあさんの歩調に合わせて、足早に歩いていた。おばあさんの右手はステッキをしっかり握っていた。

一人だけの早朝散歩は心配だから、息子が同行しているのだろう。早朝散歩を止めたのを、おばあさんが強行してので、あわてて付き添うことにしたようにも見える。

その次の日も出会った。それから何日か出会わなかって、今朝、どうしているかなとおもっていたら、はるか前方の道を横切るオレンジ色のシャツを着た人が見えた。遠くてそれだけしか印象に残らなかった。配達順路をたどっていって、ある家の角を曲がったとき、前方右に左腕を抱えて歩く男性とオレンジ色のシャツを着たおばあさんがいた。

最初に見かけたおばあさんの歩く姿からすると、左腕を抱えて歩くその形が、どうも不自然に見えてしょうがない。歩くのたいへんじゃないのかな・・・と心配する。

でも、おばあさんの毅然とした歩きっぷりに感服。

2009年4月13日 (月)

ピンクの半袖シャツを買った

日曜日は吟士権東部地区予選会があって、音響係でお手伝い。30番づつ交代で156番まであったから96番分受け持ったか。CDをセットして、司会者の呼び出しに合わせてスタートボタンを押したはずが、ストップボタンを押して、伴奏が流れるまで間延びした失敗が1回あったが、他は迷惑かけることなく無事終わった。

帰りにユニクロに寄って、ズボンとシャツを買った。ズボンは黒と茶系のもの。シャツはピンクと紺のストライプのもの。ピンクはそれがあったので、買ってみようかという心境になったから。ズボンの色との組み合わせも私なりに考えて、無駄がないようにしたつもりだが。

お客は沢山来ていた。若者が多かったが、同じ年齢の人もいた。

イトゴとは違う安い店だ。柳井社長が億万長者になったのもわかるな。

今日のTV番組で、川島芳子が銃殺されていなくて生き延びていて、1979年昭和54年に亡くなった・・ということを立証するドキュメントを放送していた。見ていて、なんでかホッとした。

2009年4月10日 (金)

あれから50年

「世間知らずで思いやりに欠けるから、側について助けてくれる人が必要・・・」と説得されたのは天皇陛下。「誠実さと寛容さによって、今日まで努力することができた・・・・」と皇后陛下。

お二人で、全身全霊をかけて、皇室の責務を築き実行してこられたことに、感動する。何をしなければならないかを、常に問いかけ、行動に移すことができるには、敬愛の気持があるからだろうな。

かつてご進講に上がった団藤元東大教授が、風邪で体調を崩したことを聞いて、七草粥を届ける皇后様。

「無私」なのだ。人々の幸福を祈られるのだ。

4月8日に緑化フェア会場に秋篠宮ご夫妻が来られた。その日午前中の入場者数4000人超え。会場を回られたとき、通路両側に並んだ人々に、笑顔で手を振る姿は、公務とはいえ大変だな・・・と思った。

2009年4月 9日 (木)

なんでそうなるの・・・・

某スーパーがリサイクルステーションを設けて、ビン・カン・ペットボトル・牛乳パック・食品トレーなどを回収している。

ペットボトルはラベルをはがすのがルールなのだが、そうしない人が目立つ。今日そこで袋を交換している男性スタッフがいたので、「ペットボトルのラベルは、はがさんといけんのでしょう?」と言うと「そうです。でも、はがさん人多いよ。裏で、ワシが一人ではがしょうる。腹立つで。もっとひでーのは、ネコの死体や、ブロックのカケラを放りこんだり、この間は墓地の草取りをしたものを持ってきて捨てようとしていた。ここはゴミ捨てじゃねえんかな・・言うて・・・。もうごだじゃ、この回収するのを、もう止めようかいうとる。」

自分が楽をした分は、誰かに負担をかけている。

この回収場所があるのは、随分助かっているのに、少数の身勝手な人たちのおかげで、継続しないかもしれない。

先日のボランティアで聞いた。来場されたある人がこう言って通り過ぎた。「1000円もろうとんじゃから、しっかり働け・・」。こんな人は稀で、多くの人は「ごくろうさま・・・・」と声をかけてくれる。

それにしても、思いもよらない行動がある。どうしたらよいか・・・。

2009年4月 7日 (火)

因果応報か・・・・

我が娘37歳になる。気がかりな状態にある。3年前に離婚した。親の因果応報か。いま新たな心寄せる人あるも、年下らしい、一回り。先方の親御さんは、不満の様子。いままで母親と同居していたが、いま、彼が働く遠隔地へ転居する段取りを進めている。

47歳で離婚して、離れて暮してしまったから、親子の関係は自分の期待したようなものではなくなったのだろう。因果応報か。

いまを作ったのは、過去の私。それが娘のいまの行動に影響を与えていると思う。いかに支援するべきか・・・。

2009年4月 6日 (月)

「志があれば邪念を振り払う」ということを、今日の「佐藤一斎の一日一言」にあった。

「志」ということをよく意識するようになったのはこの一年のこと。たしかに二十歳前後のころは、その渦中と言えたのだが、省みると、無かったな。

何故だ?解ったつもりになってたのか。あの頃の硬直した精神状態が残念だ。過ぎたことをあれこれ考えても仕方ない。これから、何歳まで行けるか。90まで行くためには、何を準備しなければならないか・・・。何をするために、時間が必要なのか・・・。

昨日のTVで、空気で家を浮き上がらせることで地震から家を守ることを実現した人を知った。年齢は同じくらい。偉い奴がいるなぁ・・。町の工務店経営者。

必要と心底思うなら、その実現に邁進すべし・・・。

2009年4月 4日 (土)

2日の公演を山陽が記事にしてくれた

Photo 4月2日の「吟と書と舞」の公演を写真も大きく、目立つ割付の位置で記事にしてくれた。私はこの写真の中にいるのだから、舞台がこうなっていたのを初めて知ったわけだ。演目が終わって、フィナーレを作っといて正解だった。書道の作品がしっかり見られてよかった。

上手くいってよかった。先生はじめ書道部の皆さんも「好い経験になった」と喜んでくれた。われわれも、年寄りだけの詩吟が、若者たちと共演となり、観客の興趣が高まる中での舞台ができて良かった。機会を作ってまたコラボレーションといきたいものだ。

さあ、詩吟の活動の次の目標は、11月15日に岡山市民会館で開く「岡山市連50周年記念大会」だ。しっかり練習して、恥じないレベルにしなければ・・・。

2009年4月 3日 (金)

大阪の友人と久しぶりに一杯やった

玉野出身の大阪の友人。15~6年前に大阪で知り合った。今日は玉野の無人の家の掃除に来ての帰りに、岡山駅近くで会った。2時間半ほど呑んで、カラオケ1時間やって、9時前の新幹線で帰っていった。この9月には、京都で泊り込みの計画を立てた。 認知症の親父さんがいて、最近、施設に入ることができたそうだ。「俺らもちかいぞ・・」 とはいうものの、そうならないように努力を惜しむまい。 昨日緑化フェア オン ステージだった。幸いに上手くいった。舞台関係者とはぶっつけ本番になったが、細部にこだわらなければ、はなまる。見に来てくれた方々に感謝感謝。書道部の皆さんにも感謝。倉敷、岡山からの兄弟会の面々にも感謝。 もっと研鑽して、お客様を楽しませることができること。それが当面の目標。

2009年3月31日 (火)

声が出なくなって、どうなることかと・・・

1週間前、突然に風邪気味になった。症状はどんどん進むようで、ノドは痛くなり、鼻水は止まらず、土曜日に別な吟を録音しようとしたら、詩吟にならなかった。

これはまずい・・・と焦った。それから、葛根湯を朝、昼、晩とこまめに飲んだ。汗にも気をつけた。そして、今日の練習日。1週間声をだしてない。発声練習では、声がかすれる、変な裏声になる。大丈夫かな・・・?

前奏をかけて短歌を歌ってみる。引っ掛かるところもあったが、大丈夫だ。なんとか間に合ってよかった。

シナリオを作って高校へ行った。丁度、胴着に袴の本番仕様でリハーサルをするところだった。流れがわかった。さあて、明後日だ。

2009年3月29日 (日)

鐘紡の展示が始まる

3月30日から4月5日まで、緑化フェアテーマ館のロビーで、鐘紡西大寺工場の展示をする。今日5時半から幅1.2m高さ1.8mのパーテーション4枚使って、A3サイズ25枚の写真と3枚の歴史説明文を展示してきた。

昭和35年頃の工場全景写真は興味を引くようで、展示作業中に、事務局関係者が何人か立ち止まって話ししながら見入っていた。

昭和9年に撮影した、畠を馬で耕している写真もある。

ローラースケートを使って作業のスピードアップをしていた頃の写真もある。

ほぼ100年間、緑化フェア会場の地に、紡績工場があったのだ。歴史の展示はこれだけだろうな。

2009年3月27日 (金)

白の胴着、紺の袴、赤の襷(たすき)

今日見せてくれた写真。4月2日の書道部衣裳だ。

夕方、緑化フェア・テーマ館内の行事紹介冊子を高校へ届けた際、先生が練習の成果を見せてくれた。部室には3人残っていた。自己紹介をして、練習の成果を拝見した。そして、当日の舞台での段取りを伺った。その時に見せてくれた写真の出で立ち。なかなか凛々しい。花ができた。

習字を始めてどのくらい?と問うと、一人の子が9年ほど、と答えてくれた。我が同級の女性が先日、還暦の展覧会をしていたのを話し、「続けることは大事だと思う」と実感するところを言うと、3人肯いていた。

先生は入念に舞台のイメージを作ってくださり、感謝感謝。お客さんに花を感じてもらえる舞台ができそうだ。

2009年3月26日 (木)

昨日、緑化フェアの植物管理ボランティアだった

一応ボランティアリーダーだから、4人のボランティアの人たちに、事務局が決めた作業などを指示伝達する。昨日は、外周歩道に面した部分の除草と、ビオラとパンジーの花がら摘みだった。皆さん慣れたもので作業はどんどんはかどり、追加作業を申し出る。

風が強く、ちょっと寒かった。作業していると、何人かのお客さんが「ご苦労さま、大変ですね」と声をかけてくれたが、さほど大変でもなかった。新聞報道によると、出足好調のようだ。

今日も風が強く2月中旬なみの冷え方だった。暖かくなるのは4月か。開花も多くなり見どころが増えてくるだろう。花の『ハナ』が失われないよう出動日はしっかり働こう。

2009年3月24日 (火)

WBC、日本が勝った

1-0の4回の韓国攻撃から見始めた。岩隈がきっちり抑えていたが、1点差じゃ1発で同点だなぁと思ったらバックスクリーンに放り込まれて・・同点に。

9回のダルビッシュ。その心の内を想像すると、四球2つもしょうがないか。同点にしてしまったのもしょうがないか。同点で止めたことを好しとするか。それにしても、韓国の思いの強さに敬服。それが、10回のイチローの一撃の後は、張り詰めた心の糸が切れてしまったのがまるわかりの状態だった。

日本チームがそうなりかねない緊迫したゲーム展開は、観客を感動させた。すごい試合だった。

ダルビッシュは今年も好成績をあげるだろう。あれだけの場面で投げたことは心のコントロールに形ができてくるだろう。自分の力を発揮することを邪魔するものが何かが、判ったのでは・・・・と思う。

絵に描いたようなというよりも、絵にもかけない展開になった決勝戦だった。勝つと嬉しいもんだ。力を出すのは、練習をしたからだ。

2009年3月23日 (月)

午前4時、2階のアパートのドアの前

いつものように階段を上がりドアポストに新聞を入れたとき、チッチッという声と羽の音が聞こえた。上を見ると、燕が2羽、隣のドアの縁にとまろうとしていた。

もうツバメが来たのか・・・!?

こんな詩を思い出した。

花開けば 蝶枝に満つ                                           花謝すれば 蝶また稀なり                                        ただ旧巣の燕有り                                             主人貧しきも 亦 帰る

今年は店に燕が来るだろうか。去年は道路に落ちていた?燕の子を保護したが、手で触ったのが失敗だった。子燕を巣に戻しても、親鳥は人間の匂いがする子燕の世話をしなくなるらしい。このときは、パン屋さんの軒先のテントに巣があった。そこに戻したのだが、その後を見届けていない。

2009年3月22日 (日)

返事の仕方

緑化フェアのボランティア初日の出来事の追加。

花緑相談室の前に立っていると、私に尋ねる人が出てくることは昨日書いた。その中で、なんだか可笑しい話。

「出口はどこ?」と3人ほど聞かれた。最初の人には指差して多言を弄して案内した。2人目の人のときは「入ったところです。」と応えると、即解決。正解だ。「出口はどこですか?」の答えは「入ったところです。」

3人目の人も「入ったところです。」の応答に、追加の質問もなく歩いて行った。なんだか、このやりとりが無性に可笑しかった。

今日は雨模様で、お客さんの入りはどうだったのだろう。私は今日は文化資料館の店番。館長と2人体制であったが、緑化フェアに行くという人は赤穂線で来た男性一人。他に3組5人来られたのは「ベル串田」さんの絵が目的だった。

緑化フェアと西大寺見て歩きはまだ連動していない。

2009年3月21日 (土)

緑化フェアボランティア初日

今日は「花緑相談室」の補助スタッフだった。相談員は公園協会職員と造園業経営の方。20人ほどは来られた。「山野草にはまったご婦人」「もらった花の苗をどうしたら・・」「どんぐりの木と樫の木の苗をもらって知り合いの送りたいが水やりはどうしたらいいのか・・」いろんな質問があった。

相談室のプレハブの前に立っていたら、「トイレは?」「飲み物はどこで売ってる?」「自転車のタクシーの乗り場は?」「ミニトレインの乗り場は?」「さっきの放送の苗をくれる場所は?」「ミルクをやりたいのだけどお湯をくれるところは?」「出口はどこ?」「風船をくれるのは?」「青いバラが展示してあるのはどこ?」「車椅子は借りれるのか?」・・・・・・・・

いろんなことを尋ねられる。

今日あったほほえましい話。「木の名前が違うぞ」と言ってこられたので、ついて行くと「ヒラマヤスギ」と書いてある。木の幹にくくりつけた木の名札が間違えている。書き間違えたのか。外して事務所へ。中学校の生徒さんが作ってくれたものだった。「ヒマラヤスギ」が正しい。

3連休の2日目で、明日の天候が雨らしいということで、来場者数は多かった。会場を歩いているとき、「また来てーかな?」「うん・・」という親子の会話が聞こえた。

2009年3月19日 (木)

いよいよ明日から緑化フェア

どんな展開になるだろう。来場者はだんだん多くなるだろうか。それともその逆か。30万人を予想しているらしいが、どうなるだろうか。

1000円の期間中パスを利用する人がどのくらいになるだろうか。65歳以上と17歳以下は無料だそうな。

いま関心事の一つは、フェアに出品するのに使っている、いろいろな器材を、フェアの後にどのように処理するのだろう。利用できるものはもらって活用するようにしたいものだ。

天気はどうだろう・・・。

2009年3月18日 (水)

ユニクロで買物

ズボンとシャツを見に行って、適合サイズが僅かで、こげ茶のズボン95×73を選んだ。シャツは色が5種類あって、緑の濃い色にした。まるで、緑化フェアの制服みたいだ。シャツのサイズがXLで、44×85だったか。少し大きめと思ったら、帰って着ると丁度よかった。

ユニクロの柳井社長は去年は日本一の億万長者だと云われた。山口県光市だったかどこだったか。テイラーの二代目。技術レベルに妥協せず低価格で品質とファッション性の満足を追求した結果だ。最初のブーム頃に行って以来だったが、その頃よりまた勢いが増している印象。一時、次の世代に任せたと思われる時期があって、低迷しかけて、また復帰して盛り返して、さらに発展している。

人々の欲していることに合う製品を作る仕組みを持ち続けていることなのか。

また買いに行こう。

2009年3月17日 (火)

ドッキリアヘ

約30年ほど前、出かける支度の洗面所で、5歳の長女が下から見上げて言った。「どっきりあへ・・・」「?・・・」しばらくして気が付いた。「ヘアリキッド。」を逆読みした。

「ドッキリカメラ」でビックリして騙されて情けない瞬間は「ドッキリ  アヘ」が似合いそう。

可笑しかった。いま思い出すと、可愛い頃だ。

30年は長い歳月になるなぁ・・・。いや、そうでもない・・・。いや・・・長い・・・。

2009年3月15日 (日)

今週の金曜日に緑化フェア開幕だ

今日はボランティアの人たち向けの、会場説明会があった。ほぼ出来上がった会場を約1時間かけて歩いた。時候の好い頃だから、景色と併せて気持ちの好い空間を楽しめそうだ。

麦畑の中を円形に敷いたレールを、ミニトレインが走る。距離にして180m。乗車は年齢制限無し、重量制限無し。一人200円。

会場にはベロタクシー(電動自転車タクシー)も営業。大人500円、小人300円。

街中のメインの通りには花のプランターが並んだ。通行の妨げにならないように置くことの兼ね合いで、インパクトは弱い印象。

ボランティア応募から1年半が経ったのか・・・。

2009年3月14日 (土)

心配事

長女の身の振り方で眼を離せないことができた。思えば、いままで自分だけ気楽に過ごしてきた。自分ではそう思ってないのだが、家族に無関心・・・ということになったのだ。大切なこと、深い喜びを多く逃してしまったと思う。

地に足がついた形になるよう祈ろう。

2009年3月13日 (金)

繰り返す効果

般若心経を暗記しようと始めたのは一昨年の夏頃だったか。写経を始めて、写すだけでなく憶えようと思ったのがきっかけ。区切りのよいところで分けて、書いて憶えていった。1行17文字であるのを知った。100円ショップで、漢字練習帳を買ってきて、繰り返し書いた。

書けるように練習するのとあわせて、暗唱の練習も、配達中に始めた。それまでは、例えばアパートの2階に上がるとき、1234・・・と頭の中は歩数を勘定していた。

やり始めの頃は、暗唱と作業がちぐはぐで、うまく出来なかった。いまは、鼻歌でも歌うように作業に支障はない。

遅ればせながら、繰り返してマスターする楽しさを味わった。習うより慣れろ。慣れれば昨日より違う自分がそこにいる。出来なかったことが、さらっと出来る自分がいる。

それをいろんな分野に広げることだ。

今日、高校の同窓会の打ち合わせで会ったT氏。いま主夫をしてるとのこと。定年になってから、奥さんがまだ勤務しているので、晩飯の料理を受け持とうと決めて、男の料理講座に行こうとしたが、どこも満員で入れない。やむなく、料理本を2冊買ってきて、その通りにしてみたら、結構美味いものができたそうな。奥さん大喜び。以来、「主夫業」をこなしているそうだ。

見習わなくっちゃ・・・・。仲良き夫婦のかたちを聞くと、それが無いのがなんとも・・・・。

2009年3月12日 (木)

五 七 五

「塀の上 ポストの上に 円い月」  ブロック塀の上に郵便受けを置いている配達先がある。新聞を入れるのに上向きになる。すると、1ヶ月のうち満月過ぎた今頃、月の位置がそのポストの上になる。

「夜のしじま 漂う朝餉の ハムエッグ」  住宅街。6軒配達先が集まっているところがある。配達先ではないが、いつも台所や2階の部屋の明かりが点いている家がある。そこから、ときどき、朝食メニューの匂いが路上に漂ってくる。今朝はフライパンに油をしいてる匂いだった。

2009年3月11日 (水)

高校入試だ

さっき西大寺高校へ行って来た。4月2日の緑化フェアの舞台の件で。学校内は生徒の姿は無く、閑散としていた。昨日も訪問したとき、M先生が「いま入試中で、生徒は登校禁止です」と言っていたな・・・。

帰って見た新聞にも、「県立高校一般入試」の記事があった。

高校入試は昭和38年か。46年前。合格するものだと思っていたな。どこで受験したかよく憶えていない。いまは当時の校舎は無いから、よけいにわからない。

合格後に必要な物を揃えるため登校して、木造の体育館に集まったのは記憶にある。革靴と皮製の鞄を欲しいと思ったが、言わなかった・・・。

桜が咲いて、陽光まぶしい、心がうきうきしてくる季節・・・・青春は何かに打ち込んでいる中にあると思うが、春のころは、それを促すものがあるなぁ。

2009年3月10日 (火)

今日は満月か、明るい夜で配達しやすかった。

毎日同じ作業をしていると、天候や新聞の部厚さや自分のコンディションなどで、配達所要時間が変わる。ポストに入れるとき2ツ折や3つ折にする。広告が多くて部厚いと、1軒当り時間がかかる。

今日はスピーディーだった。中間地点で1時間5分。店を出てからの時間。中間地点は、後半の配達分を、某小売店の軒先に置いているところ。だいたい半分配ったぐらいだ。

後半では、あと2軒になるところに、赤穂線の踏み切りがある。5時27分大多羅駅発上り列車が通る。タイミングが好いと?それに当る。長いのだ、踏み切りが降りて上がるまで。今日もタイミングが好かったが、待ち時間は短かった。

時候が好くなってきたから、夜明け前の暗い中でも、ライトと光反射たすきをして散歩しているご夫婦や、遊歩道を走っている人、メタボ対策らしき人などを見かけるようになった。夜明けが早くなってきたら、もっと増えてくる。去年は、その中から新規購読者を一人ゲットしたのだったなぁ・・・・・。

2009年3月 9日 (月)

なでしこの花が咲いた

今朝、赤い小さな花を1つ発見。他のなでしこを見て回ると、蕾をつけているものが4株あった。

「楽しみは 朝起き出でて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」橘曙覧さんの歌そのままだ。

3日のボランティア講習の時に「もう花が咲いている」という話をしている人がいた。日当たりが良く温かいところに置いているので、そうなるということ。多くはまだ葉が繁っている状態だった。去年の話では4月末の頃と聞いていたので、早いのかな。

種を蒔いたのが9月9日だったか。半年になるのか・・・。

花が咲くのは嬉しいものだ。去年の夏の花も嬉しかった。花柄摘みの実習をしたわけだが、なぜこれが必要なのか体験した。花柄摘みを念入りにしている頃は、花が次々咲いた。

終始禍福を知って・・・・とあるが、花についても始めから終わりまで面倒見れるようになることだ。

Photo_3    

Photo_2

2009年3月 8日 (日)

柴燈護摩が観音院で焚かれた

こういう表現でいいのか?会陽の行事ではないそうだ。会陽一連の行事は先週の稚児行列で終わり。この護摩焚きはいつから始められたか。以前、阿含宗の護摩焚きがこの観音院の境内であったそうで、それがきっかけかもしれない。

この護摩の炎に古いお札などが投ぜられる。

ヒノキの小枝が積み上げられている。檀家の人たちが世話係でいろいろ準備をしていて、その中の一人が同級生さぶちゃん。今日のブログ内容はさぶちゃんとの話から。いま観音院の牛王所の建て替え事業を進めており、その寄附を募っている。その一環で、瓦もあって、その受付の手伝いをしている一人も同級生のNさんと言っていた。

還暦すぎの年回りを感じる。今日は風は冷たさもあったが陽射しも出て、お昼頃の観音院境内には、会式の最終日を味わう人がのんびりと散策していた。

2009年3月 6日 (金)

脳を活性化する~自分史年表

プリンターのインクを買いに行って、階下の宮脇書店をのぞいたら、こんな本があったので、買った。「1925年から2015年」までの昭和版ということだ。左側のページに、その年の出来事など資料付き。それで記憶を呼び起こして、自分の出来事を書けという。

以前、企業や団体の30年史とか60年史とかの編纂に関わったので、昭和の年表を見る回数は比較的多かったが、もう昭和そのものが遠くに感じられる時代だから、自分史をどれだけ埋められるか・・・。

こういう本を企画して売れるというのは、団塊の世代向けのものか。どのくらい売れているのだろう。儲かったのかな・・・。

2009年3月 5日 (木)

料理をしてみよう

してみよう・・・というよりも、してみなければならない・・・といった感じ。

こういう思いは前からあったが、なかなか実行しない。スーパーに行っても、買うものはだいたい同じ。メニューがあって、それを作る材料を買うなんてことは無い。それをしてみよう。

詩吟の先輩の方で、一人住まいの男性。料理は達者。それは、亡くなった奥さんが余命の時間に、ご主人に料理方法を伝授していった賜物だそうだ。正月などには、息子ムスメが子供を連れて集まり、その料理を全て準備するそうな。後片付けは子供らの仕事。

自分が美味いと思うものを自分で作れれば満足できるだろう。そして、美味いものを他に振舞えれば、もっと満足できるだろう。そういう喜びを味わえるようになりたいものだ。

人生、大事なものを掌中から失っているから、それをすこしでも取り戻せるように励まなければ、寂しいままだ。

林家正蔵が司会のTV番組の料理コーナーで登場する、「賛否両論」店主の笠原氏はじめとする料理人のいろんな工夫を見ていると、自在にできる世界が羨ましい。

2009年3月 4日 (水)

雨に備えて新聞をビニール袋に入れたのに・・・

昨日も今日も、天気図では雨雲があった。昨日は岡山県は全面雨雲がおおった。今朝は5時からこの辺りに雨雲がきて、6時には四国と岡山南部を雨雲が覆った。

「転ばぬ先の杖」で、新聞をビニール袋に入れたのだったが、雨は降らなかった。

眠くてたまらん、おやすみ、ごめんなさい・・・。

2009年3月 3日 (火)

けん玉を全校で取り組んでいる小学校

広島市の高屋東小学校だったと、あいまいな記憶。NHKのニュース。

全校で取り組んでいるから、3年かけてマスターした技を6年生が披露する。卒業にあたって、下級生に秘伝の技を伝える機会を持つことができる。学校の外にも、慰問に出かける。

けん玉を練習して、できないことができるようになる・・・努力の楽しさ、達成する嬉しさ、またやるぞの意欲を燃やすことを知る。これがいい。

知育偏重と言われて久しい。その偏重を是正する方法を思うと、このような、遊びの中から学べることも多い。

「けん玉上手くなるぞ!」と思うときが来れば、しめたものだ。「志」が生まれたのだ。

志を持つことを覚えることが、大事だ。

2009年3月 1日 (日)

桃、梅、桜

どの花の検索が多いだろう。

ここんところ「簿記検定1級・100点満点合格の赤壁さん」の検索が多かった。「笑ってこらえて」が人気番組で、その中で大いに興味をそそられる話題であったから、普段の5倍ほどのアクセスがあった。

頑張れて、目標に到達した人には誰もが興味を抱く。しかも、独身の聡明な女性ならば一層興味がわくだろう。

桃は山陽町、梅は神崎梅園、桜は後楽園の旭川土手などなど。春の陽気がだいぶ近づいてきた。夜明けが6時過ぎになってきた。夜明けがくると、ホッとする。

4月2日の公演に向けて練習練習。

また、4月5日に鐘紡西大寺工場のOB会があって、緑化フェア会場に集まるそうだ。徳田さんの話によると、100人ほどは集まる。多くは女性達で、遠くは鹿児島からも参加があるそうだ。様変わりしたかつての西大寺工場に何を感じるだろう。

明日、緑化フェア事務局に要望に行く。というのは、鐘紡西大寺工場の製造現場の各工程の写真があるので、工場全景写真とともに展示したいので、その方法を考えてもらおう・・というもの。なんとかしてもらおう。

2009年2月28日 (土)

緑化フェアメイン会場の入場証

あと20日。なんだかんだと言いながら、地球は回り、緑化フェアの開催日が近づいてきた。今日、ボランティアの会合があって、「入場証」をもらった。そして、私のボランティア活動日が14日間と配分された。

「接遇」。ご来場のお客さまに快適に見物していただくよう、挨拶の言葉、その声の調子、態度などの講習もあった。ただ、時間を十分取ってないから、女性講師の方も説明に苦心されていた。

常識といえばそうだが、やはり他人を快適にさせる態度・振る舞いのコツはあるわけだから、もう少し徹底する方法を取るべきでは・・・・。この程度でよしと誰が判断したのか。それとも、大体がこんなものか。事務局サイドは、ボランティアの人たちには強制はできない、という思いがあるのだろうか。あとは、成り行きか・・・。

このボランティアの集まりが、フェアの後に継続できるように願う。公園協会は、緑化推進リーダーという位置づけで、今後の岡山市地域の緑化事業の活動スタッフを確保しようとしている。西大寺地域での活動の受け皿を探そう。

2009年2月27日 (金)

雨中の植栽講習?

雨の中、浦安の体育館前に集合。緑化フェア用に烏城公園と岡山駅前通りだったか、そこに並べるプランターに花などを植えた。

これまで講習で花の植え方は学習。雨が降っていたから、皆それぞれに準備をして来ていた。約1時間30分。植栽完了。3月12日あたりに現地へ搬入。

緑化フェア開幕まで3週間。TVの告知放送も増えて、だんだん世間に浸透してきた。私は4月2日の10時40分から舞台発表もある。抜かりなく準備して、拍手がもらえるようにしなくてはならない。それにしても、今週は雨がよく降る・・・・・。もういらんよ・・・。

2009年2月26日 (木)

大阪の「かすうどん」・・食べてみたい

大阪に10数年いたのに、「かすうどん」は知らなかった。TVの秘密のケンミンショウで知った。

大阪の食べ物の記憶では、「串かつ」。「二度づけ、お断り」の表示があるソース缶が印象的。串かつの合間に食べるキャベツの甘さ。一口餃子に、天五のうなぎ丼。木の葉丼。

「きざみうどん」をメニューでみたとき、うどんをきざんでるのかと思ったら、お揚げをきざんでいれていた。

「たぬきうどん」は、東京と大阪とでは違った。天かす入りとなんだったか。

中華料理は神戸が多彩。北京、上海、広東、四川の全てのタイプがある。テーブルに必ず酢と練りカラシがある。焼きソバに酢と練りカラシを入れて食べるのが美味い。肉マンも美味い。

ゆっくり美味いものツアーしたいなぁー。

2009年2月25日 (水)

身体が憶え込むまでやり続けることができる・・・・

それが、いま何をしているかの違いになる。

今日の「笑ってこらえて」で紹介された「簿記検定1級を100点満点」で合格した赤壁さん。女子大の文学部を卒業して歯科医院で働いていたとき、医院の税務申告で訪れた女性税理士の魅力に触発され、簿記の勉強を始める。3級、2級は働きながら合格。2005年に1級を受けるが、予想通り不合格。一念発起して、仕事を辞めて挑戦。1日15時間。「簿記の問題集の回答を、身体が自然に反応するまで」毎日、繰り返し学んだ。

そして2007年、1級100点満点合格。この数年間で15万人受験して、満点合格は3人だけらしい。

番組にも登場した赤壁さんは、美人で聡明な独身であった。

繰り返しやれば進化していくのは自然の摂理だが、「繰り返しやり続ける」ということがその人の才能になるのだ。その決意、その意志、その実行力に敬服。

どこかで、負けてたな・・・・・・、心底から決めたことじゃなかったか・・・。

2009年2月24日 (火)

雨が降る前に・・・

今朝の雨雲の動きをヤフーの天気図で見ると、6時の予想でこの辺りに広がっていた。5時までは無い。となると、5時半までに終わるようにしないと、雨にあうかも・・・。

なるほど、5時25分ころからポツポツ雨粒が当りだした。そのときは、あと4軒。降るのはもうちょっと待ってくれ・・・と念じながら、急いだ。

久しぶりの5時33分の帰宅。このくらいの帰宅だと、ブログを書ける。

そばに「市場システムを超えて~現代日本人のための世直し原論」(中公新書 高橋洋児 著)という本がある。1996年7月発行だから、13年前。3年ほど前に古本屋で105円で買った。パラッとしか読んでない。最近の世の中の動きを思うと、もう1度しっかり読んでみよう。

雨が降る前に・・・・・予想を信じるか信じないか、事実は1つ。

2009年2月23日 (月)

文化資料館に今年も小学3年生が来る

毎年この時期、小学3年生の課題で、地元のこと・昔と今の生活の違いを学ぶようだ。西大寺文化資料館はその学習の場となる。今日は芥子山小学校3年の2クラスの子供たちが来た。明日は3クラスが来る。

3年生の子供達は、平成10年生まれか。1999年生まれか。

数人の子と話した。展示してある、垢離取場で沐浴をしているご婦人の写真を見て「この人なにしとん?」と問われた。「お願い事をするのに、身を清めとる」と言うと「お願い事いうてなに?」と聞く。「そうじゃな、勉強ができますように・・・とか、お願い事をせんか?」と聞くと、「うーん、せんな」・・・と話していたところ、「集合!」の声がかかって、話は終わった。

子供と話すことがないから、話し方を考えてしまう。

最近とみに重要だと思う「日本の歴史」を学ぶ環境を、きちんと整えるには、この子らに通じる話ができるようにならなくてはいけないな。

最近の子達は、散髪屋よりも美容室に行く・・・と聞いて、「えっ!」と驚いている。

2009年2月22日 (日)

会陽の頃は寒さが厳しく天気が好くない

今朝の冷たさは格別。合羽の右腕がやけに冷たかった。車の凍りかたも全面に及んだ。会陽の日の前後は必ず寒くなる。そして天気が崩れる。

今日の文化資料館の来場者は20人足らず。去年は50人ほどだった。

いま外は雨。雨垂れの規則正しい音が、窓の外。足元から、深々と冷えてくる。明日は根性入るな・・・・・。

2009年2月20日 (金)

西大寺高校の書道部を訪問

4月2日に緑化フェアのテーマ館の舞台で詩吟をすることになったのだが、その中で短歌を朗詠するのにあわせて、舞台で短歌を書いてもらおうと、母校の協力をいただこうと以前お願いに上がり、受けていただき、今日、書道部の水島先生にお目にかかった。

現校舎は築30年になるようだ。コンクリート4階建て。我々が卒業して12~3年後の建築か。書道部の部屋は奥の棟の4階にあった。旧校舎の2階建て時代も、奥の棟の2階の東の端にあった。地味な部は、端の方になるのは、しょうがないか。

先生には気配りいただいて、好感度の高い舞台ができそう。観客動員を励んで、印象的な舞台発表にしよう。

2009年2月19日 (木)

弱り目に祟り目か?

新国語辞典によると、「不運の上に不運が重なること」とある。「泣きっ面に蜂」も同じ意味。麻生首相の状況を言うとしたらこれかと思ったが、「不運」ではないか・・・。漢字の誤読、給付金についての発言が二転三転、郵政民営化は反対だったが閣僚だったから賛成したなど、すべてご自身が発言したことで、「不運」ではない。

そして中川財務大臣の大失態。

不思議なのは、なぜ記者会見の席についたのか。後からの報道を見ると、酩酊状態で記者会見したことは何回もあるとのこと。そういうことか。

組閣してまだ5ヶ月。たった5ヶ月でこのザマ。就任当初から、麻生首相そのものが「浮かれていた」のが、TV画面から感じた。覚悟が足らない内閣だ。自民党総裁選挙に勝つことだけしか考えていなかった人たちが、その成果を分け合って、我が世の春・・・と浮かれた。その足元に、「未曾有」の不況が忍び寄っていたことを知らなかった。

根本的な大胆な対策を迅速に立てられない。追い込まれてしまって答えを出さざるを得ない。なぜだ。全体像を把握していないからだ。日本を、そして世界を。

G20の会議をはじめ、世界の会議でバカにされる日々が続くだろう。不愉快なことだ。

2009年2月17日 (火)

整理整頓ができないのは、もうなおらないのか

整理整頓とは、次に使うときに使いやすいようにしておく・・・。自分の場合、いろいろ区分整理するだけで、その後、使っているうちに、時間経過とともに変化していくことに対応してなくて、以前整理したものが使われもせず、意味無く空間を埋めている。

これは、頭の中もそのようになっているのだと思う。そういう習慣を改めるのは、終生の徒労にも似た努力?に寄るしかないか。鉄は熱いうちに打て・・・ということだ。

この狭い部屋の空間で、活きているのはどれだけ?春が来る。新スタートの季節。どうにかしよう・・・。

2009年2月15日 (日)

ナンバ歩き練習中

一歩一歩腰を入れて歩くようになる。だから、配達し終わって、いま、パソコンの前に座っていると、尻の筋肉が働いたという感じがある。一歩の歩幅が大きくなる。そして、身体をひねる動きがあるから、腰周りがしまるかもしてない。

階段をあがるときは、足と肩が同じ上がり方になる。これは、坂道や山道を踏みしめて登っていくのと同じ。

歩く中にも目的が出てくると、アパートの階段が何軒も続いても、苦にはならない。試して納得する面白さが出てくるので、階段の場所が増えてもかまわない心境になる。

今日は月夜。暗い玄関の床に郵便受けを置いている家に行ったとき、懐中電灯が要らない明るさに、空を見上げたら、中天高くお月様有り。

空から、私のナンバ歩きをご覧いただいたか・・・。

2009年2月13日 (金)

配達中の歩きを、ナンバ歩きにした

まだ手足の動かし方が混乱する程度だが、以前に聞いたことを思い出し、歩くのは上手くなってきた。

右の手の平で左足の太腿をたたく、左の手の平で右足の太腿をたたく。この要領で、速く歩ける。ナンバ歩きは、重心を低くしてしっかり歩くのを感じる。ゆっくりしているようで、速い。

時代劇の武士の歩き方と同じ動きになる。いま早朝の暗闇の中での練習だ。疲れないのは確かだ。

2009年2月12日 (木)

出資をしたら年に35%儲かるとか、60%儲かるという話

それに乗っかる時の心境はどんなものだろう・・・。投資、投機、ギャンブルをするときには、損することは考えない。これで儲かるとなんぼになる・・という、皮算用が先に立つ。そして、だいたい失敗する。

最近、円天なる新通貨?の詐欺、関西一の相場師のおばちゃんなど、多くの人がお金を出して、詐欺だ詐欺だと、事件になっている。

昔、ホテルで100人200人を集めて、儲け話の説明会に行ったこともあるが、小金をもっていそうな小奇麗な男女がいた。

こういう詐欺方法もあるが、「思考は現実化する」という書物から引き込んで、高額な学習プログラム教材を買わせる詐欺まがいのもっともらしい商売がある。迷いがあるときに買ってしまったが、その中身は価格ほどの価値は無い。家に契約に来た若者は、契約を取れた報酬が入る嬉しさがにじみ出ていたように感じた。その後、A4用紙1枚に「このプログラムを追加すれば、更に効果があります・・・如何でしょう」という内容の売り込みをしてきた。

こういう商売に手を貸しているのが、信販会社だ。売り物についている価格が、その商品の価値を正確に反映しているのか、きちんとした審査はしていない。お互い、商売になる同じ穴の狢同士だ。

信販会社の社員は、会社の規定通りに仕事をすればよい。詐欺商売であっても、それは知らないことだ。

自分にとって都合が良いように考えて、現実が見えなくなるのは、欲が理性を飛ばしてしまうから?

そういうとき正常な心であるには、素の心のありようをつかんでいることか。般若心経も佐藤一斎も、そのためのことなのだが・・・。

2009年2月11日 (水)

求心力が有る人、無い人

橋下大阪府知事は有る人。麻生総理大臣は無い人。

その違いは、何をしようとしているのか・・・わかるかどうか。

麻生さんは、総理大臣になったとき、嬉しさが体中からにじみ出ていた。これはちょっといただけないな・・・と思った。その後の経緯は、総理大臣の器ではないことを、露呈している。

橋下大阪府知事は郷土愛に根ざした決意があった。大阪を再生させる。零細弁護士事務所経営をエネルギッシュにこなした経験があった。文芸春秋に堺屋太一さんと対談している。

国政に関わる人たちの討論は、なぜ、すれ違い問答で、事足れりとしているのだ?もっと国民をうならせる、拍手喝采させる討論ができないのか。相手をはぐらかす、相手を誹謗中傷するようなやり取りしか聴こえてこない。

この人が登場すると議場が引き締まる・・・そんなことはもう無いのだろうか。

2009年2月10日 (火)

ナンバ歩き

大阪の難波を歩くことではない。江戸時代まで日本人は、右手と右足を同時に前に出す、つぎに左手と左足を同時に前に出す、歩き方をしていたようだ。

いまのような手と足が逆に動くような歩き方は、明治になって西洋のマネをするようになってから。

実際にしてみると、疲れが少ない。速く歩ける。江戸の飛脚はこの歩き方。いや走り方。

この手足の動かし方は、急な襲撃にも態勢を崩さないで、応酬できるそうだ。古武術研究家の甲野善紀氏の著作にあった。

陸上の末続選手がナンバの走法を取り入れているという話を聞いたことがある。

最初は手足の動かし方がうまくいかないが、慣れてくると、けっこう納得できる。

2009年2月 9日 (月)

ヨーグルトの値段

昨日D店のグリコの朝食ヨーグルトが、158円から148円になっていた。朝2つ買った。今日夕方、H店に行った。同じヨーグルトを見に行った。148円から138円になっていた。2つ買った。いつ138円になったのか。

同窓会の記念写真を焼き増ししなければならなくなって、パソコンに取り込んだものを、フラッシュメモリーにコピーしてキタムラカメラへ。サイズは四つ切で、1枚420円だった。

「お宅のパソコンから送る方法もありますよ」とソフトが入ったCDをくれた。世の中変わった。銀行も手続きして口座を作ればパソコンや携帯からでも振込みができる。しかも振り込み手数料が安い。まだそうしてないけど、したほうが得だ。

ガソリンスタンドも携帯メール会員になると5円引きとかの勧誘をしていた。

こういうのは、差別?区別?ただの商売?

また明日から配達。次の休刊日は4月になってから。3月はフル稼働だ。

2009年2月 8日 (日)

今夜は酔った、明日は配達無しだから

成田家で食事した。酎ハイ3杯と日本酒2杯飲んだ。

例によって、カラオケに行った。明日は配達が無いから。2時間歌った。

「かかし」。さだまさしの「案山子」を探して歌ってみた。

途中、声が詰まった。

2009年2月 7日 (土)

月は西に沈み、太陽は東に昇る

今日の月は上弦から丸みが半分ほど膨らんでいた。やや赤みを帯びて、西の空をひっそりと下りていった。

だんだん丸くなっていき、満月から下弦になり、そのうち逆さ眉月が東の空に昇っているのを見ながら配達をするようになる。

今朝の6時過ぎの東の空は「夜明けが早くなっているなぁ」と思わせるほど、これまでの暗闇が白っぽさと赤っぽさに変わってきていた。

配達が終わる頃に空が白んで来る時間が好きだ。配達の初めから終わりまで暗い時期は、早く明るくなって欲しいと思ってしまう。

今朝、芥子山小学校の裏の道には、車が何台も集まっていて、何だろう?と思いながらバイクを進めると、ライトの向こうにスキーを抱えた女の子が見えた。あースキーバスを待っているのか・・・。それにしても、子供をこの場所まで送り届ける車車車の多さに吃驚。

2009年2月 6日 (金)

61歳と4ヶ月

大正3年6月22日生まれ。昭和50年10月6日没。わが父親の一生である。

その61歳と4ヶ月が近くなってきた。いま61歳と1ヶ月。この5月か区切りの月だ。緑化フェアの頃だ。

大正生まれは兵役を経験し、敗戦後の「民主主義」日本の復興を担い、日本経済の高度成長を支え、その繁栄も味わった。

大正時代に日本を訪れた欧米人は、謙譲、親切、礼儀正しい日本人の精神的美しさに強く印象づけられた。アインシュタインやチャップリンが、日本贔屓だったという話を聞く。

最近の日本人は、それに比べると、別な国の人か。敗戦国になって、それまでの日本人の良い伝統までも否定されて、戦後の教育路線が敷かれてしまった結果だろう。

「何故に自分は生み出だされ、何の役目をしなければならないのか。もし、それをしなければやっぱり、何らかの責めをおうべきだろうな。」

「志を立てることが、学ぶときには不可欠である。志あれば、薪や水を運んだりしていても、その行為の中で学ぶ。志がなければ、一日中、書物を読んで勉強していたとしても、それは時間潰しでしかなく、何も学んでいない。」

これらのことは、佐藤一斎が著した「言志四録」にある。

いまの学校教育にこのことを明確に子供たちに示しているだろうか。わが反省をこめて、知識を学ぶその根本に持つべきものをしかと叩き込むことが必要だ。

最近そのためには、「漢文力」を学ぶことだと考える。そのために何をしたらよいか・・。

2009年2月 4日 (水)

シャンソンは一人芝居、詩吟も同じ

先日TVの朝番組「きになる」で、佐々木秀実という28歳のシャンソン歌手の歌を聴いた。おなじみの「愛の賛歌」。訳詩はよく聞くものとは違う。その表現の豊かさは、番組の司会女性アナを涙させた。

以前ラジオで知った若林ケンというシャンソン歌手のCDを買って聴いた。

お二人の歌を聴いて、その声その情感その表現力を真似たい。曲の流れは違うけれど、詩吟は単調すぎるけど、その中でできることは・・・。

2009年2月 2日 (月)

豆乳、ヨーグルト、プルーン

健康に気配りしている同級生Fの話を聞いて、豆乳、ヨーグルト、プルーンを食べ始めて2週間ほどか。豆乳1000ccが2~3日。ヨーグルト400gが2~3日。朝食プルーンが3日。

ヨーグルトはグリコが食べやすいが400g。今度は500gのを買おう・・・と思ったりする。

どの店が安いかも知った。

食べ物が身体に与える影響は正直だ。これらを食べだして感じるのは、腸が快調。胃もスッキリ。

あとは腹回りの結果だ。

2009年2月 1日 (日)

違う新聞を配達しそうになって、ハッと気づくのは

配達中には何度かある。日によって違う。そんな時はたいてい何か考えている。

動作はバイクを停めてスタンドを立て、前カゴか後ろカゴからその家に配る新聞を抜いて、郵便受けに入れるのだが、カゴから新聞を抜いて1~2歩歩き出したとき、「アッ違う」と気づかせられる。

バイクを停めてカゴから新聞を抜いて歩き始めるまでは、「小脳」の管轄で、「違うぞ!」と言うのは「大脳」の管轄なのだろう。大脳が働かないときには、間違いのまま作業は進むのだ。

この間、そんなことを感じた。人間の構造はうまくできている。懐中電灯をポケットから取り出そう・・・と思うと、右手が動いて懐中電灯を握る。

鍛えればその能力を上げることができる。去年のある時期から始めた般若心経を暗記し暗唱することは達成し、それにより、次に違うものを暗記しようという気をおこさせた。暗記なぞ長いことしてなかった。それだけ怠惰な生活してたとわかる。

脳の機能は使えば衰えないのだそうな。じゃんじゃん使おう。

2009年1月31日 (土)

かんぽの宿騒動・・1万円で買って6000万円で売る不動産業者

今日の新聞記事、1段ベタ記事で、鳥取で1万円でかんぽの宿の施設を買った不動産業者が、福祉施設経営者に6000万円で売ったとあった。

どのような経緯で「1万円」で買えたのか?、「6000万円」で売って「満足」したのか?

関係者を明らかにして、そのときの状況を全て明らかにしてもらいたいものだ。

「6000万円」で売れるものを「1万円」で不動産業者に渡したかんぽの宿のトップは、「不利益」をもたらした「背任」ではないか。経済活動にも「モラル」はあるはず。常識を超えているような取引は「公序良俗」に反するから、この売買は無効だ。もとに戻せ。

情報を内輪で処理して、うまい汁を吸っている例はいっぱいあるのだろうな。

2009年1月30日 (金)

雨は降らなかった

昨日の天気予報では90%、今朝の予報で60%の雨確率、しかし雨雲の動き予想を見ると、このあたりには6時まで雨雲は来ない。よしよし、この通りで動いてくれ・・・と願って配達出発。

5時頃からポツポツ雨が落ち始めた。「まだ降るな。もう30分待て!」と心中で叫びながら、動きも自然に速くなった。

降るというまでにはならなかった。よかった・・・ということでいま書いている。気温は高めで、早々と上着の合羽を脱いだ。それでも汗ばんだ。夏にはTシャツで汗だくになるのだ。四季があるのは、やはりいいことだ。

久しぶりの早朝ブログでした。

2009年1月29日 (木)

4人目の総理大臣をつくろう・・・というウワサ

選挙の洗礼を受けていないという意味で「4人目」。小泉首相の「郵政解散」圧勝以来、その勢力に乗って、たらい回し政権が麻生さんで3人目。

いま自民党の深ーーいところで、「麻生では選挙はできないから、次を選ぼう。そして、首を挿げ替えて、国民に対してボロが出ないうちに解散総選挙といかなければならない」

「麻生に代わるのは、小池百合子か石原伸晃だ」という動きをしている「長老」たちがいるそうだ。

それぞれの憂国の心なのだろう。正常なところは何か・・・を選ぶ健全さを国民は持っている。狭い組織で通じても、本来の政治の場・国民を交えた場で、果たして通じるか?

2009年1月28日 (水)

牛窓で息抜きいつものコース

「ニコニコ食堂」で、あなご丼とおでん(ごぼ天 平天 こんにゃく 卵)の昼食。ホテル リマーニでコーヒー。今日はケーキも。オリーブ園に上がる途中のアイスクリームは休み。オリーブ園の第3駐車場に上がって、キラメク瀬戸内海を眺めた。

目の前に大きく小豆島、右手彼方に台形の屋島。その手前右に豊島。左彼方の突出したのは赤穂、その沖合いに山肌が削れたのが家島。その間に前島、黒島、黄島、桜の樹の向こうに犬島。

波穏やかで、池の如し。久しぶりの暖かさで、平日なのに8台はいた。平均年齢は高かった。我々も61歳と87歳。平均すれば74歳。信じられん・・・・。

冬の空気は遠くまで見せてくれる。何度か来たが、今日の景色はグーグッグッグー。

この駐車場にある歌碑。

「上り船 東風吹く風を 過すとて よを牛窓に 泊りてぞ経る」 曽禰好忠

歌碑はブルーラインの一本松SAにもあるのを思い出し行った。

「ぬばたまの 夜明けぬらし 多麻の浦に あさり(求食)するたず(鶴) 鳴き渡るなり」

この歌は、736年(天平8)に新羅へ派遣された使節団が、瀬戸内海を航海しているときに、使節団の誰かが詠んだものらしい。万葉集の15巻にある。

帰りにハローズに寄ると、店頭でコロッケの出張販売車があった。こういうのに出会うと、買って上げなくてはいけないと思う傾向がある。買いに行った。ふと見ると、「縄文の神々と古代吉備王国」という本が展示してある。尋ねると、コロッケを作っている人の著作とのこと。興味あるのでこれも買った。著者は明日来てコロッケを揚げるそうだ。3種5個買って、蓮根のコロッケをオーブントースターで温めて食べた。カリッと美味かった。

2009年1月27日 (火)

スーパー店の価格差発見

店によって商品価格に差があるのは当たり前なのだが、自分でそれを見つけると、「発見」ということになる。

グリコ社のヨーグルトがD店¥158、H店¥148。紀文の豆乳がD店¥198、H店¥238。オハヨーの牛乳はAコープが最安値のようだ。雪印の6Pチーズは、D店が最安値。

主婦はこういう価格差を幅広く知っているのか・・・。

2009年1月26日 (月)

手袋を替えてよかった

一昨日の朝、指先は冷たさで痺れ、ヘルメットの顎紐をはずそうとしても指先が働かなかった。手袋は皮製のもので、去年から使っている。気が付くと、左人差し指の先に穴が開いていた。配達中にも両手を組み合わせてすこしでも冷たさが緩まないかとするが、効果は無い。

そこで新しい手袋を買いに行った。売り場にあった一番高い¥1980のを買った。

今朝はそれで配達した。冷たくなかった。今日は天気予報は外れて、暖かいのか?と思うほど、冷たさを感じなかった。実際は、車のフロントガラスは凍っていたし、一昨日と同じように冷えた。

指先の強烈な冷えは、体全体が冷えたような気になる。指先の防寒と保温は、体をよく動かせる。明日もこれで安心か・・。

2009年1月25日 (日)

常に志気をして剣の如くにし・・・

佐藤一斎の一日一言を憶えようとしているところ。

「間思雑慮の紛紛攘擾たるは、外物之をみだすに由るなり」(気持ちがいろいろ動いているときは、周りから心を惑わすことが入ってくるからだ)

「常に志気をして剣の如くにし、一切の外誘を駆除し、敢えて肚裏に襲近せしめざれば」(自分の志を剣のように研ぎ澄まして、周りからの誘惑をばったばったと切り捨てて、自分の気持ちの中に入り込むことがないようにすれば)

「自ら浄潔快豁なるを覚ゆ」(気分はすっきりと躍動するのがわかる)

この一節を間違えなく言える様になるのに3日ほどかかった。ここに書いた意味は、自分の受け止めかた。

江戸期、寺子屋で論語の素読をして、何回も素読をして、それがいつしか血肉となって、生活の中に実践されていったのだ。

クラブ活動で練習を繰り返し、練習を継続し、10年20年30年40年と続けた人はホント偉いと思う。外誘と戦い駆除してきたのだ。

一歩踏み出せ、まだ遅くない・・・・。

2009年1月24日 (土)

寒いので・・・・

寒いのでブログを書かないで寝ようかな・・・と思ったが、そのことを書いておこう、それに今月は休みが多いから、これ以上サボれない。

それにしても冷える。明日は風もあるそうな。風があると、新聞のページの間に風が入って紙がめくれて破れそうになる。いつもと違う気を遣う。

この冷えの続きに春がある。春の来ない冬はない・・・か。

2009年1月23日 (金)

新大統領の演説

就任式に招待された倉敷の女子高校生が「この人だったら・・・」という期待を抱かせる気持ちになったと言っていた。

若い頃は志のある人が政治家になり、国家国民のために仕事をするのだと思っていた。しかし現実は、特定の利益を守る勢力が自分たちの利益を守ることに都合のよい人物を政治の世界に送り込み、政治の世界に送り込まれた者もそれに応えるように仕事をする・・ということがあると知った。

どの道、選挙を勝つには支援者を集めなければならない。自ずと自分の勢力の色合いは出る。社会を構成するのは、多様な人たちだから、それぞれの利益があって、それを守るために政治業界に代表を送るのは当然だ。ただ、全ての国民がその依拠する集団を持ってはいない。

めんどくさいことは好きではない大衆を引きつけるものは「演説」だ。新大統領は演説に優れていた。

しかし、翻訳された文章は実にまどろっこしい。漢文調のリズムからすると、何を言いたいの?といいたくなる。

ケネディ大統領は、自分を押し上げてくれた業界の利益を否定する路線を選択したが故に暗殺された・・・・という説がある。田中角栄総理は、中国との国交回復を急ぎ過ぎたが故にアメリカの国益を損なう可能性があったので、ロッキード疑獄で失脚させられた・・・という説がある。

新大統領を支援するグループは何?ただ、現状は立て直すべき全体の課題が迫っている。当面はそれを最優先しなければならない。報道では迅速な新大統領の施策が伝わる。日本も追随すべし・・・だ。

民主主義とは

黒人のバラク・オバマ47歳を大統領に選んだアメリカの人々。その選挙制度はよくわからないが、民主党内での「女性大統領」との血戦を、オバマに勝利を与え、本戦では共和党を圧倒させた。

「YES WE CAN」が日本でもよく知られるフレーズとなった演説の巧みさが、この人の勝利の要因になったか。選挙資金は多くの大衆からの募金によって支えられた。インターネットが寄与した。インターネットは、民主主義という擬制を具体的パワーに変換するのに有効だ。アラク・オバマがどの程度の有名人だったかわからないが、ブッシュによってかきまわされ混迷に陥ったアメリカを変えたいという、アメリカ国民の情を注ぎ込むのに、最適な人間だと感じさせたに違いない。

その時代にふさわしい人物を選出する仕組み、その時代の潮流をつかめる仕組みが「民主主義」か。

日本の「選良」との比較では、必ず日本が格落ちとなる。議員内閣制で国民が直接選べない、国民の情が反映されない仕組みが、もどかしい日本の政治の原因といえる。それと、「霞ヶ関」の官僚の力を削がなければ、日本の活力は不完全燃焼だ。

民主主義は衆愚政治だ、という指摘もある。英邁な君主が統治するほうが幸せだという指摘もある。しかし、水戸黄門を生むのもその時代の人々の潜在意識の集約ではないか。なにかを求めている潜在意識が、それを触発する「キーワード」で一挙に表面化する。それを汲み取り、現実の制度に表せる。そういう「民主主義」であるための条件は・・・・。

2009年1月20日 (火)

免許更新だ

いつ頃からか、更新期限が1ヶ月延びた。1月の初めが誕生日の者にとって、幸いな変更であった。今回は初めて「5年間有効」の免許証になる。昭和50年に免許取得以来初めて。

スピード違反、駐車違反、酒気帯び、一旦停止違反がこれまで経験した違反。罰金を払い後処理をする空しさよ。

今回更新したら次の時は66歳だ。まだいけるか。

2009年1月19日 (月)

4月2日朝10時40分

緑化フェア オン ステージ。

つまり、3月20日から始まる岡山緑化フェアの西大寺会場に建つ「花と緑のテーマ館」のステージで「詩吟」を中心に発表することが決まった。4月2日午前10時40分から11時10分までの30分間。

1階舞台があるホールは、半分を活花などの展示に使い、半分を舞台の観客席に使うようだ。客席数は約200人。

「花と緑のフェア」におけるイベントだから・・・。

「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」の短歌を是非詠いたいと思って、作者の橘曙覧の「独楽吟集」を見て、あと5首選んだ。

「たのしみは 庭にうゑたる 春秋の 花のさかりに あへる時時」

「たのしみは 妻子むつまじく うちつどい 頭ならべて 物をくふ時」

「たのしみは わらは墨する かたわらに 筆の運びを 思いをる時」

「たのしみは 木の芽にやして 大きなる 饅頭を一つ ほほばりし時」

「たのしみは とぼしきままに 人集め 酒飲み物を 食へという時」

この短歌朗詠を始めにして、七言絶句、七言律詩の漢詩を吟じ、剣舞か扇舞を入れて、締めくくりに、もう一度「無かりし花の 咲ける見る時」を皆で詠ってみようか。

詩吟は難しいというイメージを少しでも減らしたい。

2009年1月18日 (日)

2つの会陽展

岡山デジタルミュージアムが会陽展を始めた。2月22日まで。西大寺文化資料館も会陽展を3月末までする。

今日デジタルのを見た。観音院からの寺宝ほか約50点が展示された力作だった。入場料600円。シルバー割引は無し。

資料館のほうは、50年前の会陽写真集から選んだ30枚ほどを展示。

新年元旦から2週間続く修正会の結願の日の行事として会陽がある。修正会は鎮護国家、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛などなど、衆生の安寧幸福を祈祷する。

修正会が始まった頃は陰暦の時代。正月はいまでいう「旧正月」のとき。昭和37年だったか、2月の第3土曜日に会陽・はだか祭をすることに決めた。観光路線。

旧暦だと会陽当日は、満月で、その月明かりでするお祭りだった。宝木投下の午前0時は、満月は中天にあり皓皓と輝く。

その昔、宝木投下の時間は「遅い方が良い」という声が強くて、午前2時ころになったこともあったそうだ。遅ければ遅いほど、飲食を始めとして商売の売り上げが上がったからだ。それが来年からは、宝木投下は「午後10時」になる。治安防犯安全上の問題か?

今日のデジタルの展示にもある。縁起ということが書き伝えられている。「縁起」は、「因縁生起」のこと。

来年が「宝木投下の会陽」が始まって500年という。いまいる我々も600年のころは「昔の人」になるわけだ。それはそれで、いま。いろんな「結願」が集まる2月21日が輝くように祈ろう。

2009年1月17日 (土)

あっバスが来た

今日夕方5時から、岡山で吟剣詩舞の市連の会合があった。ところが、5時頃まで文化資料館で展示づくりの作業があって、市連会合に遅れた。懇親会があるので自家用車では行けない。帰って着替えて歩いて5分のバス停に向かう。急ぎ足で歩いていたら、バスが側を通り過ぎる。あわてて走る。停留所は50mほど先。信号がある。「赤になれ」と思う間もなく、赤になった。しかし、残念ながら赤の時間が短い。信号の先15mほどのところに、停留所。

走った。一所懸命・・。でも、バスとの距離は縮まらなかった。地面を蹴る力が弱い。前に進まない。あー情けなや・・・。いまに始まったことではないにしろ、前に進まない。

ただ心臓の動悸は以前ほど激しくなかった・・・・・と思った。新聞配達1年半の効果か。

2009年1月16日 (金)

天に事(つか)うるの心、人に示すの念

佐藤一斎のいうところ。「凡そ事を作すには、須らく天に事(つか)うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず」

行動の基準は、天の心に反しないこと。周りが反対であっても天心にかなうなれば進むべし。それに対して、人にたいして良い評価をもらおうとする行動は、間違いを犯しやすい。

ただ、その「天心」を知る、見極めるのが厳しい。天心とともに生きるには・・・。

昨今の政治業界の混迷を見れば、政治家が持つべき根底の思想は何ぞや・・・それを持って日々活動するセンスは如何に育つのか。

選挙の当落に基準を置いているレベルから脱するには。

狭い範囲の利益代弁で終わっている人が、脱皮するには。業界に慣れて、玄人感覚が勝り一般社会人に対して、優越心を持っていることに気がつかない議員がいるかもしれない。

自分が知っていて相手が知らなければ、相手がアホに見える。でも、ただ知っているかどうかだけのこと。覚えるきがあれば学ぶきがあれば、いま知っているかどうかなぞは、大したことではない。自分ができることは何かを追求して挑戦することこそ、大事な生き方。

2009年1月15日 (木)

100歳ばんざい・・・50歳から書を習い

いまは一人で暮している100歳のおばあちゃん。毎日スーパーに行く。食事は自分でつくる。肉は毎日食べる。お昼のおかずは7品・・・。

書を50歳から習い始め、これまで個展も何度か。いまも自宅で教えている。楽しみの一つが、稽古のあとのおしゃべり。30代のお弟子さんが言う。「同世代の仲間と同じような感覚でお話してます。むしろ、もっと幅が広いです」

米寿のときに「残り少ない時間を楽しもう」と思われたとか。

はやく60の手習いを始めよう・・・。

6時1分、行こう。

2009年1月13日 (火)

危ういところ・・鎖につま先が引っ掛かりコンクリート道に頭がゴツン

昨日の配達時。5時20分頃。そこは会社で建物の前は駐車場で、道路に面して2本のポールで鎖を吊ってある。玄関の郵便受けに新聞を入れ、いつものように鎖をまたいで上体を前に移したとき、右足のつま先が鎖をしっかりひっかけた。外そうとした。左足で調子をとろうとしたが・・そのまま頭から倒れた。ゴンと、ヘルメットがコンクリート舗装に打ち付けられた。左足のひざを強打。両手はバッタリとコンクリート舗装を叩いていた。

幸いケガはしなかった。しかし、ヘルメットをみると、5mmほどの深さ3cmほどの長さの傷が1本と、其の周りにも3箇所ほど凸凹の傷があった。膝は当ると痛い。手は手袋のおかげで無事。

暗闇の中、腹立たしいやら、情けないやら、ホットするやら、痛いやら・・・。

今朝は慎重に鎖をまたいだ。

よく転ぶようなら、脳梗塞・・・?そんなに転ぶわけじゃない。気をつけよう・・・。

2009年1月12日 (月)

戦場のピアニスト・・をGYAOで見た

封切りの頃新聞で話題になっていた。実話だから興味深かった。戦争が個人の生活を破壊していく。ドイツ兵が収容したユダヤ人を並べて、そこから8人ほど一歩前に引き出し、腹ばいにさせ、その頭に銃弾を打ち込み殺す。そのドイツ兵にしても、戦場に来る前は、ごく普通の家庭人であった。

ナチス・ドイツの侵攻に協力して同じユダヤ人を取り締まる仕事につくユダヤ人もいる。レジスタント活動をするポーランド人もいる。表面的にはレジスタントでも、ユダヤ人支援を看板にカンパ金を騙し取る人もいる。

主人公のピアニストが廃墟に隠れていて、ドイツ軍将校に見つかってしまう。しかしこの将校は、「一曲聞かせろ」と言い、軍に報告することもなく、食料も与える。

ユダヤ人の頭を銃撃したドイツ兵と、ピアニストに食料を与えたドイツ将校の違いは何?

儒教で「修身斉家治国平天下」という。仏教で「部分の総和が全体ではない」という。

考えよう・・・・。

2009年1月10日 (土)

憶えにくいのは・・・

佐藤一斎の一日一言を、去年毎日読もうと思って実行できなかった。そこで今年は、憶えていこうと始めた。ところが、なかなか頭に入ってこない。大脳の中に、受け皿が無いのか、あっても小さいのだ。音読を繰り替えすのだが、文章を見て読んでるだけでは頭に残らない。

記憶するように試みる。100回読もうとするのだが、20回も過ぎると、もういいだろう・・という気持ちが働く。

「憤の一字は、是れ進学の機関なり。舜何人ぞや。われ何人ぞや。是れまさに憤なるべし」と思い出した文章。1月3日の分だが、文章は違っているかも。

自分の中にある文章の形に、憶えた文章がすんなり当てはまれば憶えやすい。それが頭の中に無いことが、憶えられない結果でわかる。

記憶というのは、似たものが既に大脳内にあると、新たに入ろうとするものは、既にある記憶したものとの絡みで、記憶しずらいと感じたことがある。

知人の奥さんが別に知っている人とよく似ているので、その奥さんの顔がしっかり憶えられない経験をした。

記憶する鍵があるのだ・・・・。

2009年1月 8日 (木)

左のケツにデキモノが・・・

今朝バイクに座ると、ケツの左が何か痛い。配達中も座り方を左にずらして運転。終わって触ってみるとデキモノ。デキモノはほとんど経験がない。なんでだろう・・・。どこか調子が悪いのか?帰りにドラッグで塗り薬を買って、家で手探りで塗った。

椅子に腰掛けるのがつらい。右に横座りのような格好で、腰の具合が悪くなりそう。早く治れよデキモノ君。

2009年1月 7日 (水)

一日一言

去年、「佐藤一斎」と「安岡正篤」のを買って、1日1日読もうと始めた。そのうち、読む日読まない日が出てきて、まとめ読み、まとめて読まない日が出てきた。

今年、もう一度挑戦。こういう内容は、まとめて読むとただ読んだというだけ。少し読んで反復しながら復習するものだ・・・と思ってはいるのだが・・・。おさらいのつもりで、元旦から今日までの一日一言。

1日「太上は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経を師とす。」

2日「凡そ事を作すには、すべからく天に事(つか)うの心あるを要すべし。人に示すの念有るを要せず。」

3日「憤の一字は、是れ進学の機関なり。舜何人ぞや、予(われ)何人(なんびと)ぞやとは、方(まさ)に是れ憤なり。」

4日「学は立志より要なるはなし。而(しこう)して立志もまた之れを強(し)うるに非ず。只だ、本心の好む所に従うのみ。」

5日「立志の功は、恥を知るを以って要と為す。」

6日「性分の本然を尽くし、職分の当然を務む。此くの如きのみ。」

7日「人は須らく自ら省察すべし。天何の故にかわが身を生み出だし、我をして果たして何の用にか供せしむる。我れ既に天物なれば、必ず天役あり。天役共せずんば、天咎必ず至らん。省察して此に到れば、すなわち我が身のいやしくも生くべからざるを知らん。」

最初に意味が解らなくても、繰り返し読む。読書ひゃっぺん、意おのずから通ず。

1年かけて読み続けよう。どれだけのこるか・・・・。

2009年1月 6日 (火)

あれは狸だ

年末30日朝7時過ぎ、ネコではない動物が、背を丸くして4つ足を爪先立ちのようにして歩いているのが、前方に見えた。減速して道路の端を口で何かをひろいながら歩いているその動物に近寄った。逃げない。同じ調子で歩き続ける。その色、毛のたちよう、狸だ。

そこは金岡西町のエクスラン工場の近所。

どこに住んでいるのか、腹減って出てきたのか。

元旦に泊まった僧侶のOさんの話。「寺の一角に畑を作って野菜をいろいろ育てた。さてもう収穫かと言う頃に、ヌートリアにほとんどやられた。」「寺の池にツガイで棲んでるようだ。」

狸もヌートリアも同じ生活空間の仲間だ。「ようこそ」か・・・・。

2009年1月 5日 (月)

1692人、2315万円、日比谷の派遣村

1692人は4日までのボランティア登録者ののべ人数。2315万円は4日までの口座振込みを除くカンパ総額。

派遣村で検索して「年越派遣村」というHPを見た。マスコミでは伝わらないことがわかる。

派遣村ルールがある。基本ルールとして「おたがい『ようこそ』と言い合える村にしましょう」、「実行委スタッフも不慣れです。ボランティアスタッフ、入村者のみなさんも、人が足りなさそうな現場に、自主的に加わるなどしていただければ、助かります」

マスコミに一度流れると、「派遣村」という形が出来上がったかのように思いがちだが、「なんとかしよう」と思った人たちの気持ちが現れたもので、困っている者同士の支えあいがベース。「おたがいが、ようこそ、と言い合える村にしましょう」というのは、どこの町や村でも大事なことだ。神戸の震災のとき、復興がまだの頃は、おたがいが声かけあう、見知らぬ人とでも震災を共有したつながりがあったような気がする。復興が形になるに従い、建物ができて、震災前の日常が戻るに従い、町の人のつながりが消えていった。

「入村者499人、宿泊者489人」。TVインタビューで「派遣村がなかったら自殺してました」と話した人の画面を2度みた。

村長以下スタッフの行動力に脱帽だが、それだけではいけない、その後を追わなければ・・・。

2009年1月 4日 (日)

金融立国アイスランドのいま

「このままでは国が崩壊する」と大統領が国民に伝えたのが10月。一時期にはGDPがアメリカの50%増しとされたこともあった。

金利を上げて世界中から資金が集まり、アイスランドの銀行は、銀行業から投資・投機業に変わってしまった挙句の、世界金融恐慌であった。集まってきていた外資は一斉に引き上げた。

明治新政府がどうやって国家財政をつくっていったか・・・興味あるところ。

金融立国を目指したアイスランドの事情はあるのだろう。でも、投機はバクチだ。インターネットの普及は、金融商品の増加を手助けする結果となったようだ。決済のスピードと地球規模の動きを促進した。

私の失敗。商品相場にちょっかいを出して、自分の経済力を上回る損失でしんどいことになった。あっという間の借金。アイスランドのニュースに、かつてのあの空しさを思い出す。

地道に働いて、それで得た範囲の生活をする。ただなぁ・・・夢を見て走りたくなるときだってある・・・。順調だった頃のアイスランドでは、高級外車が売れ別荘もうれ、銀行トップは移動時間の短縮のため自家用ジェットを購入したそうだ。「いい夢を見たら、そこから覚めるのがこわくなる・・・」人間の難しさ。だから、「天心」と出会える自分をつかんでおかなければならないのだ。

2009年1月 3日 (土)

思い通りにならないとき・・・

いろんなことがある。諦める場合、こだわって執着する場合、なぜ思い通りにならないのか分析する場合・・・。

思い通りにならないときには、自信喪失になる。自分を知れば自信喪失などおこがましい・・と考えられるようにもなる。

自分を知る・・ということは、なかなか簡単ではない。自分の能力を知ることになる。ただ、自分はこういう人間だ・・・と決めてしまうのはまずい。

そこらあたりは、般若心経にある「空」ということを感応することだ。「自分」の「自」は私のことで、「分」は社会を構成する存在であることを示す。

西郷さんが「天を相手にして、人を相手にしない。天心を知れば、自分の足らないことがわかる。」として、「天を敬い、人を愛す」・敬天愛人を生活の基本とした。

とことん究める生活体験を持たなければ、周りから信頼を得ることはできないだろうな。

2009年1月 2日 (金)

ブログ3度目の1月だ

続いたことに喜び、奇しくもtoraニィーにブログスタートの初っ端出くわしたことに不可思議な奇縁を思う。知らない人は知らないと思うので明らかにしよう。私がブログを始めた一昨年の1月7日だったか。それにコメントを最初にくれたのが中学校からの親友のOさん。その後のブログの反応から、次第に奴じゃないかと思うようになって、あるとき本人しか知らない共有の事実を書いたら、判明した。

いまだに、なぜ初っ端のブログにコメントをくれたのかを聞いてはいない。

ブログをしていて、自分が書いたことと同じ興味を持っている人が全国にいて、検索で出会いがあるというのが面白い。アクセスが急に増えたこともある。TV番組のことを取り上げたときだ。

元日は、一昨年の脱水症状騒ぎのときにもお邪魔していたお坊様の先輩の家に行った。住持する寺待ちであったが、その寺が決まった。というので、元日自宅で祝杯を上げ二日に寺を訪問した。軽四乗用車に乗って、止まったところが、墓地のへりで、一瞬、どこにお寺が・・・と思った。いまある庫裏?は昭和十一年築。本堂は一棟。ブロック塀には突っかい棒。檀家無し、信徒20軒。という寺だった。

60才過ぎて坊さんになって空き寺を待っている・・・その答えがこういう現実だ。

わが先輩は、寺地の一隅に畑をつくり数種類の作物を植えていた。

なんの因果か、莫大に儲けた奴は儲けた銭を儲ける仕組みを利用してさらに儲けようとする。それが外れて大損をすることもある。問題は、その影響で迷惑を受ける大衆がいるということ。人は基本的には、自分の手の広がる範囲しか生産活動はできない。そうすると養える人口は少なくなるけど、混乱する人口は減る。

人が生きることは、人任せではいけない。人を楽しませること・・・それだ。

2008年12月31日 (水)

解決することは残されているけど

まずは平穏に2008年を終えることに感謝。

そして、2009年には根本の課題から解決していくことを誓おう。

皆さん、良い年にしましょう!2008年ありがとう、2009年しっかり行こうぜ!

元旦号は分厚いぞ。寒波がきついという予想。30分は早く出なければ。

皆さんお先にお休みなさい・・・。

2008年12月29日 (月)

日本の梵鐘の7割をつくっている会社

富山県高岡市の老子製作所だったか。いまTVで見た。

泥で外枠を作って、内側の型にかぶせ、その隙間に1300度?で熱した銅と錫の合金=青銅を流し込み、一昼夜寝かせる。全工程は3ヶ月ほど。価格は300万~500万だそうだ。この会社には今回の不況は影響ないだろう。

昨日のTVか、トヨタのお膝元に西島機械?という機械製作会社があって、以前は専ら自動車部品を造っていたが、以前の不況のおり倒産寸前という苦渋をなめて、方針転換して、自動車以外の機械製造をてがけて、業容を改善していった。今回の不況騒ぎは別世界。

この会社の特徴は定年が無い。74歳、67歳の人が紹介されていた。「死ぬまでこきつかってやるからな・・・と社長から言われてますから、体がうごくうちは働かさせてもらいます」と笑顔で答えていたのが印象的。

老・壮・青の共同作業は、高い技術の継承を可能にして、また労働のモラルを高く保つ。

グローバルスタンダードとかいう言葉は最近聞かなくなった。この社会の主流かと誤解させるマスコミの軽挙妄動を見抜くには、日々、地道に生きることが大切なのだ。

易しくはないが、そうあらねばならない。

2008年12月28日 (日)

風邪に効くツボ

風邪をひいて調子よくないので、ネットで「風邪 ツボ」と検索した。

あったあった。「合谷と感冒点」。これらのツボは、親指と人差し指の骨の付け根の間にあり、ちょうど手の表裏にいちしている。手のひら側にあるのが感冒点で手の甲側にあるのが合谷。

効果的な刺激法は、反対側の手の親指と人差し指で両方のツボを挟むようにして、力を入れながらよく押し揉んでください・・・とのこと。

感冒点は呼吸器の働きを良くし、合谷はいろいろな症状に効く万能なツボ。

またこの2つのツボは、声の通りをよくする働きもあるそうだ。

もう1つ「風府」というツボ。首と頭部との境目よりやや上に位置するツボ。ここを親指を使い上に向かって押し揉んで刺激する。「押して、揉んで、押して、揉んで」の一連の動作を、約20~30回繰り返す。いままでぼんやりと重かった頭が、スッキリすること請け合いで、あとは温かい生姜湯やレモンティを飲んでぐっすり眠れば、次の日には元気な体に回復しているでしょう・・・とある。

「生命の全体性・・・」ということを心経の現代語訳で見た。「わかる」ということは「分ける」ことで、西洋文明の歩んだ道。分けすぎて混乱してきた。全体を壊す。

今の派遣切りにしても、企業は資本家、経営者、労働者、そして製品を買ってくれる人などによって成立していると考えるのが正常なはずだが、資本家のものだとする考えが幅をきかせてきた挙句、現在の混乱を招いたのだ。

億万長者たちよ、そんなに稼いでどうなるの。有れば有るほど失うことの心配が大きくなって、さらに走らなくてはいけない状況になるのではないか。稼いだことの無い者の小唄か。

2008年12月27日 (土)

風邪気味・・・ひどくならないように

鼻がつまり、唾を飲み込むとのどが痛くなってきたのが2~3日前か。今朝からは声が普通に出なくなった。電話応対の声が滑らかにでない。なので、帰ってからは専ら寝た。10時から11時30分。母親を病院に連れて行き、帰って又寝る。13時前。「終わった」の電話で起こされる。迎えにいったついでに買物と食事。ラーメンを汁もしっかり飲んだ。風邪薬の葛根湯を買った。

帰ったのが2時半?葛根湯を飲んでまた寝る。4時過ぎに目があいて又寝て、6時半頃晩飯。

こうして過ぎた時間をたどってみると、不確かなこと。認知症というのはこれがもっと不確かになることだろうな。

いま「般若心経の現代語訳」を読んでいる。読んでいるのではいけない・・・感じとらなくてはいけないのだが、まだ、体に染み込んでこない。

ただ「全体は部分の総和ではない」「固定した自分というのはない」「あらゆる関係性のなかで自分のありようが決まる」というあたりの表現が、いまでてくる。

「空」ということをつかみたい。般若心経を法事のときに滑らかに唱えたいという思いから始まって、写経をお手本をなぞらないで書きたいと思ったのがあって、暗記できたが暗唱できなくて、繰り返し繰り返しやって、ついに暗記も暗唱も自在にできるようになった。そこで、意味だ。対象において眺めてありがたがっているようなことではいけない。心経はこの身そのもののありようを示しているのだろうから、まさに「感応」をわがものとしなければ・・・・。

この風邪もまた意味ありか・・・・。

2008年12月25日 (木)

秋吉英美・・・ちゃん・・

朝日放送朝6時半から9時までの「おはようパーソナリティー道上洋三です」のアシスタントをしているのが、秋吉英美ちゃん。アシスタント歴10年というのは大したもの。

たまに聴いていたころは、頓珍漢な受け答えと六甲おろしを歌う時に音がはずれるな・・・という印象だった。今年4月の番組改編で、定期的に聴くようになった。

年齢は、私の娘と同じ頃。生真面目な受け答えが、笑いを誘う。道上アナが「そんなん適当に答えといたらええのに・・・」と自分の質問を棚に上げてよく彼女の応対ぶりに注文?をつけている。

10年アシスタントが続いているということは、素晴らしい。

「らららクッキング」なる料理本を秋吉英美作で売り出して、視聴者を中心に6万部以上売れた。私も買った。どれか一つ作ってみよう。レシピの関心よりも、秋吉英美ってどんな娘?料理本に登場していたのを見て、あの音痴の生真面目応対の人がこの娘か・・・と納得した。野菜作りに精出しているお父さんにしたら、かわいくてしょうがないだろうな・・・と思わせた。

クリスマスの話題で、1歳半の甥っ子に歌を歌わされて、100回以上も歌わされて、喉ががらがらになった。そして、また今日も甥っ子から召集がかかって行かなくてはならない・・と言っていた。

最近は6時半から45分まで「基礎英語3」をNHKで聴くから、「おはパソ」を聴くのが15分遅れる。毎日聴いていると、会ったこともないのに、親しげになるものだ。

2008年12月23日 (火)

模写

今朝のNHKで見た。中国の画家「張大千」。1899年生まれ1983年没。アメリカのメトロポリタン美術館にある「古代中国の画家の作品」が「贋作ではないか?」と論争になったそうだ。それは、「張大千」が描いたものだったらしい。

張大千の研究者によると、欧米の美術館など世界中で所蔵している中国の古代の画の中に、張大千によるものがかなりあるという。

中国の画家の修業は「模写」がすべて。先人の作品を模写をしてその技術を磨くそうだ。張大千は、幅広くその技法を習得して、中国絵画の通史を自分で描くことを思い立った。

また、1941年に敦煌の洞窟の壁画が発見されたときには、弟子を連れて誰よりも早く敦煌を訪れ、2年余りの間、壁画の模写に明け暮れた。100枚以上の模写を完成して、世界中に敦煌壁画の存在を知らしめることに尽力するところとなった。

彼の作品には、文献では記録されてはいても、作品は焼失して、どのようなものかわからないものを、文献を頼りに描いたものもある。

贋作騒ぎをする人たちとは次元の異なるところで生きていた人だと思う。すごい人がいたもんだ。

「模写」だ。「守・破・離」か・・・・。

2008年12月22日 (月)

高校の英語教育が変わるらしい

ただし、5年後から。授業を英語でする。憶える単語は1800語。中国、韓国レベルになるそうだ。それまでに、先生の実力を上げる必要がある。NHKの英語でしゃべらナイトのパックン?は「授業を英語でするのは良いこと。もっとすすめて、いつも英語を使うこと。あなた!努力不足!」とTV画面で顔をどアップに迫っていた。

外国語も日本語も、使うこと慣れることが肝腎。英語に力を入れるのと同じように、漢字学習にも力を入れてほしいもの。長野県は漢字の書き取りが毎日の課題であるそうだ。漢字学習から漢詩・漢文・中国古典に学習を広げていくことが大事だと思う。

英語を話せるようになっても、ビジネスや日常のことは当然のことだが、琴線に触れる話ができるようにならなければならない。それには、漢字学習から広がる世界を持っておくことが必要だと思う。

調理器具をそろえても、料理のレシピを知らなければ、相手を喜ばせる料理を作れない。

2008年12月21日 (日)

「かえことせんか?」と暗闇で声かけられて

一昨日の配達中のこと。ある配達先に近づくと、その前の家に他紙の配達バイクが止まっていた。塀に埋め込んだ郵便受けに入れてバイクに戻ると、誰かが話しかけてくる。他紙の配達員だった。「かえことせんか・・・」。『ん?あぁそうか。新聞を交換せんかと言うことか・・・』

「かえこと・・・」久しぶりに聞いた表現。この辺りの方言か?

余分にあるから言うとおり「かえこと」した。

今夜のTVで見た人。還暦過ぎて油絵を習い、いま93歳だったか。地元の風景を、地元の家家の場所から見た風景を描いている。また、自分と妻の肖像画をいままで3度の時期に描いていた。「奥さんを描いているときは、どんな気持ちですか?」と問われて、「かわいいな・・です。クソババアでは描けません」と、仲睦まじいことこの上ない返事でありました。TV画面から幸せな空気が流れ出てくるようだった。

2008年12月20日 (土)

渡り鳥たちがいっぱいいたぞ

玉野の深山公園に行った。大きな池には、遠目では小さな点。池の辺に来ると、ピーやらガーやら、あちこちで鳴声。餌を取るのかクチバシを水面にすべらせ水の上をあっちこっち動き回る。うじゃうじゃいる、いる。鴨、鴨、鴨・・・・・・。それに混ざって白い鳥。白鳥2羽とアヒル6羽。

餌をやっている人がいる。その方へ鳥たちは動いていく。

午後4時が晩飯タイムなのか、作業衣で大き目の缶を下げた親父さんが登場。池に浮かんだ長方形の箱に餌を入れ、また鴨たちの群れに餌を撒き始めた。それに気づいた鳥たちの大移動が始まった。

見ていると、彼らにも性格があるようで、がっついて餌箱に上がって行くやつがおれば、餌争奪の群れから外れて食べてるやつもいる。

餌は粟みたいな黄色い植物。クチバシでそれをすくい取り、そして水をすくって胃袋に流し込む。彼らの食事はそれの繰り返し。なかには、水中に散らばった餌をとっているのか、水中に頭を突っ込み腹を水面にだした逆立ちになっている奴もいた。

無心に泳ぎ回っている鳥たちの姿は、見飽きることがない、心安らぐ風景だ。

2008年12月19日 (金)

般若心経・玄侑宗久が現代語訳した本を読む

「ですから仏教的なモノの見方をまとめるなら、あらゆる現象は単独で自立した主体(自性)をもたず、無限の関係性のなかで絶えず変化しながら発生する出来事であり、しかも秩序から無秩序に向かう(壊れる)方向に変化しつつある、ということでしょうか。」

「さて、無限の関係性のなかの絶えざる変化、という実相の在り方を、お釈迦さまは『縁起』と呼びました。これは『因縁生起』の短縮形とも云われます。『絶えざる変化』であればそこには当然『因果』が含まれ、また『無限の関係性』ですからむろん『共時性』も含まれます。」

「仏教では『因果』を『異時』、『共時性』を『同時』と呼びますが、双つながら此の世が『縁起』するからこそ存在すると云えるでしょう。」

「あらゆる現象は『空』(=自性がない)であるから『縁起』する。また「空」する。また『空』であるから『因果』も『共時性』も存在するのです。」

いまこういうのを読んでます。

新書の帯には「意味から響きへ、理解から感応へ。262文字のこころを体感する。いのちの全体性へ。」とある。

理解から感応へ・・・だ。

2008年12月18日 (木)

今朝は下弦の月

配達終わって家に着きバイクを停めて見上げたら、中天に左半分の月。そういえば、いつもは暗いあそこの玄関口が明るかった。

半分の月で忘れられないのが、平成4年4月4日の未明の自損追突事故。私44歳。広い国道の道路際に停めてあったマジェスタの右側に軽トラで追突。軽トラの左座席は潰れフロントガラスは吹っ飛び、横倒しの車から、そのガラスの無くなったフロント窓から這い出した。ケガ無し。あのときは、上弦の月が空高く輝いていた。

その頃、ある交通係の警察の方が集めたデータで、上弦・下弦の月のときは事故が多い・・・という記事をみて、やっぱりそうか・・・と妙に納得したのを憶えている。

助けられた命だから、それなりのことはしなくてはいけないと思いながら、まだ何も果たせない・・・と反省。でもきっとやるさ・・・と楽天的に考えている。

2008年12月17日 (水)

「如何」にも2つあるのか

「漢文力」にあった。

項羽の「如何」と、劉邦の「如何」。

項羽のは「どうだ!俺様の強さをみたか!」と誇示する「如何}。

劉邦のは「どうしたらいいか?」と配下の武将に問う「如何」。

結局、この違いは項羽を敗者とし劉邦を漢の開祖とした。

麻生総理の就任からの言動を報道される範囲で見ると、項羽の「如何」のようで、しかも空回りしているようで、毛並みの良さは、この混乱の事態には処理能力を発揮できないのかと思わせる。

公務におる人の覚悟が、国から町村レベルまで、何をもとにしているのか、何をもとにするべきなのか・・・を問うてみたい。

地元でも、新たにできあがった公園内の3階建て施設があるが、全面ガラス張り。夏の空調費のムダはないのか?調理室になぜ都市ガスだけの設備で電磁調理設備を入れなかったのか?この建物は設計コンペによるものらしいが、発注サイドのコンセプトはどのように伝えられていたのか、そして応募作品から、何を優先してこの選択をしたのか・・・などを聞いてみたい。箱物行政の失敗が言われるのは、公務に対する厳密さが足らなかったからではないか。建てた後こそ、その建物の価値が問われる。

2008年12月15日 (月)

休刊日だった

いつもの朝と同じように眼が覚めて、階段を下りてトイレに行って・・・・気がついた。「休刊日だ」また寝た。

8時過ぎに眼が開いて、GYAOの配信ドラマ「チャングムの誓い」を見た。第43話と44話。5回目か。話の展開にハラハラドキドキは無くなった。観客に思い込みを促す場面にしたのかな・・・という見方をしたりする分析をして見る様になった。ドラマの展開は主人公に都合良く進む。見る回数が増えるにしたがい、見始めのときより話の展開が早く感じられる。このドラマが飽きられない理由か。また繰り返し見ていると、チャングム役のイ・ヨンエの表情の巧みさがいいのかな・・・と思う。それぞれの配役のキャラクターも上手い。

ドラマを見てから、また寝てしまい、起きたら午後2時だった。

買物に行って、本屋に寄って、「グッチ祐三のハッピー晩ごはん」「現代語訳 般若心経」「楽しく始める 短歌」を買ってきた。

2008年12月14日 (日)

時空を超えて

還暦を記念して書と絵の展覧会を開いた女性3人。その展覧会につけたタイトルが「時空を超えて」だった。

3人は同じ高校、そして私もその高校。書道家の方が高校書道部で指導を受けた先生は、私が選択科目で選んだ書道の先生。40年の研鑽の証を拝見して、脱帽。

この展覧会に足を運ぶきっかけは、中学の同窓会。展覧会で「絵文」の作品を出していたNさんが、中学の同窓生。案内の手紙をいただき、その文中に「私の母はKさんを見知っている。母の名前は・・・」とあった。私自身には思い当たることなく、母親や伯母、叔母に尋ねると、わかった。

そして昨日、Nさんが会場に来ているという日だったので、母親と叔母を伴って鑑賞に天神山文化センターに行った。聞くと、40歳を過ぎてから始めたという。これまで、筆を持たない日は一日たりとも無かった。一日でも書かない日をつくると、能力が退化してしまうと思う・・と。天賦の才もあるのだろうが、その打ち込んできた時間がいまの姿だと感服した。3人の同級生の研鑽の証を前に、頑張ろう・・・と思った次第。

Nさんの作品の一つ。  いい時間Img008を過ごした。

そしてその日は、叔母もいっしょに成田家で晩飯にして、カラオケ2時間楽しんだ。母親も叔母も「ストレス発散した・・・」とのことだった。

2008年12月12日 (金)

3人で酒談義

私と西大寺文化資料館長と県議の同級生と、西大寺の歴史を肴に一杯やった。

地元で生活してなかった私にとっては西大寺愛郷会そして文化資料館のからみは大変有り難いことであり、中村館長の知的財産はしっかり吸収しておこうと思っている。県議の同級生も地元の歴史を知りまた語り伝えることを思っている。

先輩の歴史をきちんと知ることが我々の責任である年代になった。

温故知新。懐古ではない、今そして未来に活かすことこそ、歴史を学ぶことだ。

そう思いながら、今宵の眠りにつこう・・・・・・。

2008年12月11日 (木)

「連合」は派遣切りをどれだけフォローできるか

労働組合のナショナルセンターとして、「派遣切り」問題の解決に乗り出さなくてはいけない。その解決とはどの程度になるのか。「**へ相談に行きなさい」で終わりはしないか。

構造的には、派遣切りがあるから自らの雇用が守られている正社員が作っているのが「連合」ということになる。労使関係、雇用問題の専門家としてのアドバイスはできるだろうが・・。

前妻は某大手商社に派遣でフルタイム仕事していた頃、「ボーナス時期が憂鬱だ」と言っていた。女子社員はしっかりボーナスをもらうが、派遣は無関係。企業は人件費を抑えるのが目的だから、それが派遣社員の存在理由だ。6ヶ月毎の更新で10何年勤務した後、契約打ち切りとなって、しばらく求職活動の後、職を得たようだ。

自分のこれまでを観て、売れる能力が無い者は辛いもの・・・という体験を十分味わった。「手に職を持つ」という。

手に職を持っている者と持っていない者の違いは、持つように努力した違い。弱者から脱出する機会を作らなければならない。個人的には。

かといって、弱者にいる人を努力不足だと切り捨てるわけにはいかない。「助け合う」「支えあう」ということをどれだけ実現するか。「貧困ネット」というのがあるそうだ。寄附などで集めた資金を、1万円とか2万円、貸し付けしているそうだ。

これをもっと大型にして、億万長者と言われる人々から拠出してもらい、直面する救済資金に使う。かつて幕末に備中松山藩の山田方谷は、10万両の借金を250年払いにしてもらい、その間に倹約や備中鍬など売れる商品開発で稼ぎ、8年後には借金完済し蓄財10万両という離れ業をやってのけた。

対症療法のレベルで蠢いているから、世の中に活力が生まれない。不況だ不況だというが、金は天下の回りモノ・・・であって初めて「金」。それができる奴出て来い。

2008年12月10日 (水)

お日様を浴びながら土いじり

11月半ばの気温とか。いい天気で気分も軽くなる。12時前に風呂に行って、上がってからちょっとだけ西郷隆盛物語をそこで読んで、帰ったのが1時半。行く前に乾かしていた土に赤玉土を混ぜ、移植の準備。

2階に置いてあるテーブルヤシと名も知らぬ木の鉢が小さくなった。最近水をやっても保水しないで流れ出るような気がする。葉の色が薄くなり、茶がかってきているし、名も知らぬ木は葉が落ちて緑の葉が僅かになった。

も少し大きい鉢に移植したほうがよいのだろうと判断した。ワンルームから2DKに引越しか。土の配合もボランティア講習のおかげで迷うこと無い。なでしこは17株?元気で育っている。

TVで荒れた中学校の校長に赴任し、8年経ったいま都内でもトップクラスの学力をつけている例が紹介された。東京都北区神谷中学校だったか。

生徒を呼ぶのに「君」「さん」をつける、朝の15分読書、米作りや野菜作りなどの農作業に取り組み、収穫物を給食で食べる・・・また学力をつけるために実力別の補習時間を生徒の選択で決め、先生は総出で生徒を指導する。中には専門教科以外の科目でも教えなければならないから、よく説明できないこともある。しかし、そうであっても、生徒は先生が一所懸命していることに、頑張る気持ちを強く持つようだ。

また、近所の高校の協力を得て、高校生徒が中学校に来て生徒の指導をマンツーマンでしていた。

校長先生は「学校を変えるのは、学校の力」と。父兄も補習に来てくれた高校生のためにおにぎりをつくっていた。

花をいじるようになって、こういうことは早い時期に全員が経験することだと思った。水をやらなかったら、枯れてしまうのだ。移植するにも時期があるのだ。種を蒔いてから花が咲くまで、なでしこは7ヶ月かかるのだ。

もっと早くしていたら、もすこしまわりが見える人間になっていた・・・・。

2008年12月 8日 (月)

午後6時は以前の8時頃か

今日の晩飯は成田家。6時前に行くと、我々が第1号の客だった。あとでわかったが、2階に宴会客がいた。

「鳥酢」「揚げ出し豆腐」「かき酢」「かきフライ」「金目鯛煮付け」「牛たん塩焼き」「にぎり」「アナゴ巻き」などなど食った。

食べているとき母親が「まだ6時過ぎじゃな・・・」というから、「わたしにとっちゃ、8時過ぎ・・」と言っといた。午前3時前に起きるようになってから1年半。そういう生活になって久しいが、それがどういうことになるのかをご理解いただいてない。前の晩の生活時間まで巡ってくる。いま木曜日が詩吟の講座日で、夜8時半に終わる。終わって飯食って・・・となると、10時半になる。あまり遅くなりたくない・・・と思ってしまう。

自分の体だから、5時6時の晩飯タイムが馴染んできたと感じる。

2008年12月 6日 (土)

午前3時の空模様、明け方の地上模様

新聞配達を始めた頃、午前3時の空模様を見て、晴か曇りが判らなかった。

今日の空は判った。星が出ていた。そして頭の中に出てきたのがこの歌。

「木枯らし途絶えて 冴ゆる空より

地上に降りしく くす(奇)しき光よ

ものみな憩える しじまの中で

きらめき揺れつつ 星座は巡る」

「ほのぼの明かりて 流るる銀河

オリオン舞い立ち スバルはさざめく

無窮を指差す 北斗の針と

きらめき揺れつつ 星座は巡る」

アメリカ人のヘイス作曲 堀内敬三 訳詞。

「しじま」=静寂・沈黙

ものみな憩える しじまの中で・・・・バイクを走らせ新聞を入れて回る。配達中に出くわすのは、他紙の配達人と牛乳配達の軽トラ。時候の良い頃の明け方には、芥子山山頂まで歩く人たち、日課の朝歩きの人たち。それ以外の出合いはドキッとする。

2008年12月 5日 (金)

派遣切り・・・という新語?

臨時工、季節工とか呼ばれた。工場の生産ライン作業に携わる人たち。生産量の増減により、雇用関係を調整される存在。

会社自体が仕事が減ったのだから、生産ラインで仕事が無くなったのだから、その人たちには辞めてもらうしかない・・・・。

しかし、正社員と比べて安い賃金で働かせているのだから、生産が順調なときには、大いに儲けたはず。その儲けは、経営者や株主が取ってしまい、儲けを生み出してくれた「臨時工・季節工」の身分安定のために、儲けを投入しようとはならないらしい。

因果関係を見ようとしない。安い賃金で働くから儲けがある。

会社が生き残るためには、臨時工や季節工で人件費を調節することが有効な方法なのだ・・・という考え方だから、「派遣切り」問題は解決するはずがない。

それにしても与党の対策内容は、場当たり的だ。安全圏にいる人たちだから、人の痛みが解らないのだろう。

2008年12月 4日 (木)

明け方の冷えを実感する

朝5時過ぎると、配達で動いていても背中が冷えてくる。気のせいか、バイクを走らせていても眠くなってくる。凍死するときには、気持ち良い眠気に襲われるというが、それだろうか。倉安川の側を走ると、川の水と大気の温度差で水蒸気が一帯に流れている。靄というのか。

配達に出る3時過ぎより、明け方の方が冷たい。その理由を知っとくことだな。

2008年12月 2日 (火)

三日月と金星と木星の天体ショー

月と金星と木星がこんなに近くに集まって見えるとは、知らなかった。

おおざっぱな記憶では、月とは40万km、金星とは4000万km離れている。木星とは6億3000万km離れているそうだ。そういう位置関係で、3つが近くに見える。

それにしても冬の空の星は綺麗だ。輝きが白く煌く。

この写真は、和歌山県の空。YAHOOニュースから。Photo

2008年12月 1日 (月)

車がぶつかってきた

昨日、同僚の女性Mさんが交通事故の災難。4時過ぎ配達担当地区に向かっていた途上、車が左側から突っ込んできたそうだ。幸い全身打撲だけで、骨折などはなかった。連絡を受けて現場に行ったK君の話。

「パトカーも来たばかりのようでした。ポリさんから、新聞を片付けてと言われた。荷台のプラスチック?の箱は3つに割れて、新聞やチラシがそこら中に散乱していた。救急車が搬送先を探して、地元には無くて、岡山の市民病院まで行ったそうだ。」

Mさんの配達分は、ベテランのTさんとK君がフォロー。私はK君の運転手で同行。Tさんは順路用紙をもとにバイクで走り、K君は配達先をチェックした地図をもって走った。この日Tさんは、配達した総時間は4時間にもなっただろうか。

今日の不配当番中の作業は、ちょっと忙しかった。代配の人が誤配や不配したのが5軒ほど。

不幸中の幸いといえるか。他人事としないで、しっかり注意しよう。

2008年11月29日 (土)

炳熾の明・・・・とは

人間の一生を分けると、「少」「壮」「老」の3区分。で、「日の出の陽」は「少」、「日中の光」は「壮」、そして「炳熾の明」は「老」。「少」「壮」「老」その時々の集められるパワー。

蝋燭がもう消えようかという頼りない明るさが、「炳熾の明」。

60の手習い。書道にフルートに、絵画に・・・漢字のこと漢詩のこと漢文のこと・・・人のことを素直に聞くことがなんでできなかったのか。そんな思いがなぜだか過る。

2008年11月28日 (金)

繰り返し何回も書くことにしよう

漢文で日記をかけるようになろう・・・・。そうすれば漢詩をつくりやすくなるだろう・・・・と考えて、「漢文力」を買ったら、自分の目論見などチャンチャラ可笑しい、どっしりとした内容だ。

第一部 内面と外面

第二部 あの世とこの世

第三部 自然と宇宙

第四部 自分を生かす

第五部 文明のからくり

著者の加藤徹さんは「漢文を読み、そこに展開されている古人の思索を追体験することによって身につく力。歴史や宇宙など、より大きい時空のなかに自分を位置づけ、明日を生き抜くための設計図を描く力。それを本書では「漢文力」と呼ぶことにします。」として、本書をつくられた。

第二部第3章「生まれてくる不思議、死んでゆく意味」で「汝の身すら汝の有に非(あら)ざるなり」(自分は、自分自身を大自然からレンタルで借りているにすぎない)、漢文ではこのように言うと紹介しています。

舜問乎丞曰「道可得而有乎」。曰「汝身非汝有也。汝何得有夫道」。舜曰「吾身非吾有也、孰有之哉」。曰「是天地之委形也(下略)」。(『荘子』知北遊篇)

原文があって、それを解説する中に著者は思いをこめていく。

学ぶことにおいて、筋肉運動は必須だと思い出し、黙読ではなく手読?で書くことにした。まだ「而」とか「乎」の役割がよく解ってない。これも語学だから、考えるよりも慣れる、習慣化することだ。

「わが身は天からの借り物」という考え方は、古今東西の真理だ。「アホは神の望み」でも村上先生が同じように説かれていた。

2008年11月27日 (木)

410円の風呂に行った

ごみ焼却場の一画に風呂がある。トレーニング施設もあって「健幸プラザ」という。ボーリングをして温泉が出たので風呂ができた。ごみ焼きで出た熱の利用施設。

温泉なので入湯税が70円かかる。それで410円の入浴料金となる。

浴場は長方形で浴槽も長方形のシンプルなもの。ガラス戸の外にも浴槽で、一応露天風呂か。広い風呂はいい。神戸にいた頃、風呂好きの先輩がいて、銭湯もあちこちあったから、よく行った。風呂上りの生ジョッキがうまかった。

あの震災の直後から1年余り過ごした神戸・六甲道でのこと。このとき以来、風呂好きになったようだ。

2008年11月26日 (水)

なでしこ植え替えしたが・・・

9月9日に種をまいて、10月10日に2.5号ポットに植え替えしていた。17個のポットで皆無事に大きくなった。育ちように差はあるが・・・。もうそろそろこのポットも小さくなったなと思い始めて幾日か・・・。窮屈そうな様子が気になってきた。

プランター4つ、花の土と赤玉土小粒を各2袋買って、1プランターに4つ植えようと考えたが、窮屈そうなので3つに変更。プランター2つ、土各1袋をまたダイキまで買いに行った。作業始めたのが4時半頃か。追加を買いに行ったときは、薄ねずみの雲が残照をバックに筆で幾筋にも跳ね上げたように西の空にかかっていた。家に着いて2つのプランターの作業を始めたときには、暗くなっていて、毎朝愛用の小型懐中電灯が必要だった。

気がかりが一つ解消。長期予報によれば12月は厳寒らしい。何を注意しなければならないのか教えてもらわなければ・・・。

2008年11月25日 (火)

若いわねェー

今日は詩吟講座の日。90歳と86歳のご婦人と77歳の男性が生徒さん。

練習する詩は、陶淵明の「歳月人を待たず」12行の五言詩。

「もう十一月も済むなぁ。」

「歳月人を待たずじゃ」

「なんぼになったん?」

「この間誕生日で、90。91かと思ってたら90だった。あんたはいくつ?」

「来年きたら87じゃ」

「わかいわねェー」

2008年11月24日 (月)

鍋料理で思い出すことがある

昭和30年代だろう。鐘紡南社宅にいた頃だ。2階建て6・6・3・8畳と台所と玄関のまどりだったような。寒くなると、鍋料理。野菜に豚だったと思う。鍋は丸い煮物をするやつで、あの頃だから七輪か電熱器にかけて、丸型の卓袱台の真ん中にのせて、皆で食べた・・・。

鍋の真ん中には味付けのたれを入れた陶器があって、生姜やニンニクが入っていたと思う。ぐつぐつと音をたて、湯気がのぼり、たれも熱くなって、フーフーしながら食べて温まったのを、思い出す。

また、親父がつくってくれたニラ雑炊の記憶。前夜に残した魚の煮汁が朝固まって煮凍りになっていた。寒くなるとよく思い出す。

人は気持ちが落ち着くところを求める。こういう思い出もその一つ。こういうのは大脳の海馬核か扁桃核かに入っている。その鍋料理を食べたところは、いま緑化フェア会場地となり工事が進んでいる。50年ほどの時間が流れたのだ。

いま「巨眼の男 西郷隆盛」「漢文力」とあわせて「アホは神の望み」を読んでいる。

この本の帯に「バイオテクノロジーの世界的権威がたどりついた究極の知恵」とある。やさしい言葉で、わかりやすく心に染み入ることが満載。

プロローグ  アホが世界を変える

第1章     鈍いけれど深い生き方

第2章     陽気であきらめない心

第3章     愚か者こそ幸せ者

第4章     くさらない、おごらない、屈しない

第5章     アホは神の恵み

今年72歳の村上和雄 筑波大学名誉教授の著書。

2008年11月23日 (日)

沖永良部島に流罪となった西郷吉之助のこと

いま津本陽氏の書いた「巨眼の男 西郷隆盛」を読み始めた。

西郷は、久光の方針とは異なる考えであったが故に、沖永良部島に配流となった。しかも島での住いは、2坪ほどの角地に四方を壁の無い格子の囲い、屋根は薄い茅葺、床は荒莚4枚、厠もその囲いの中にあり、風呂は月3回。

格子の囲いだから、蚊の大群は出入り自由、すぐ近くの断崖に打ち寄せる波が、海の荒れたときには囲いの中に流れ込む。風は吹きさらし。

夏の終わり頃に囲いの中に収監され、月日は次第に西郷の体を疲弊させていった。2ヶ月を過ぎ北風が吹く冬になると、吹きさらしの囲いは身も凍える寒さとなった。

囲いの番人の一人、土持政照は西郷に同情し衰弱する西郷の身を気遣った。そしてこのままでは死んでしまうと判断し、独力で住居を手配し、西郷を囲いから出すことを考えた。上司である代官に「囲いでなくても、屋敷内の座敷牢でも藩庁から文句はない。それよりこのまま囲いに入れておいて西郷さんが死んだら、代官の失態になる」と建言し、西郷を囲いから出すことに成功した。西郷36歳の頃。

「敬天愛人」という西郷の基本思想は、このような艱難辛苦に負けなかった中で鍛えられたもの。

小説とはいえ、敵方の中にも支援者をつくる西郷の魅力、そして家を用意し代官に建言する土持政照の行動に泣けた。

「天心」「天意」「誠を尽くす」「人を咎めない」・・・これをいま徹底して学ばなければ・・・と思う。

2008年11月22日 (土)

地方空港は70ほどあって、採算がとれているのは4つだけ

夕方のニュースで、来年3月開港予定の静岡空港に問題発生し、開港延期になったことが報じられていた。それに関連して、地方空港が軒並み赤字であること。地方空港の経営が危ぶまれたのに建設ラッシュになったかといえば、アメリカから日本はもっとお金を使いなさいという「日米構造協議」という場で、地方空港建設の圧力があったらしい。

日米関係が揺らぐようなことがあってはならない・・・という考えの人は、アメリカの要求を入れることを優先したのだろう。

外交はその担当者同士の人間力の中身が影響すると思う。日米構造協議はいつから始まったか記憶にないが、日本の構造改革をアメリカが強く迫ったもので、毎年相当な額の予算が組まれたと聞く。地方空港もその中の一つ。それにしても、この赤字は「想定内」だったのだろうか。

誰も責任を取らない仕組みができている。「無為姑息の時代だ」それでも地球は回っている。

眠い・・・・・。

2008年11月21日 (金)

振り込め詐欺の今年の被害総額が251億円

太田総理の番組で見た。騙されるんだなぁ。

泉ピン子とラサール石井が「騙されて被害を受けた金額を、国が全額補償すべし」という提案をして、賛否を論じていた。

財源をどうするとか、そんな金はないとかいう人がいる。

おそらく誰も掴みきっていないのに、日本全体をイメージして論議する。人間ができることは手を広げた範囲のことだろう。日本全体を対象にするから、251億円になる。各地方に分けていけば、被害で支えが必要な人の顔はわかる。そうしたら、多様な支援策が考えられる。

人の顔が見えないところで立案する政策だから、百家争鳴、求心力が生まれないのだろう。中央官庁の官僚は「選ばれた人」らしい。それはそれでよいが、明治以来の体制の呪縛力に負けない意思と力を育んで、混乱する時代を進む先頭に立ってほしいものだ。

以前見た「国家の運命」の見方。

革命創業の時代

継体守文の時代

無為姑息の時代

混乱破滅の時代

革命創業の時代が巡る

いまは、無為姑息の時代。そのうち、混乱破滅の時代になる。そこから新たな時代が開けてくるはずだ。

2008年11月20日 (木)

「漢文力」 中公文庫 ¥686+税 お奨めの本

「キティちゃんの顔にはなぜ口がないんでしょう?」

キティちゃんの顔には耳と目と鼻はありますが、口はありません。ここに「魅」が隠れています。実は、キティちゃんの口は、ないことによって「ある」のです。

キティちゃんで遊ぶ子供は、心の中でキティちゃんに話しかけます。

キティちゃんの人形には有形の口がないから、子供は表情を自由に想像して、お話を楽しめる。すなわち、「未完成」の「魅」のちからです。

「鬼」を含む漢字の多くは、もともとはモノノケ(精霊や妖怪)の名前でした。

「魅」は未だ形をなさず姿がよく見えぬモノノケ・・・・・・。

引用しました。まだ60ページ(300ページほどの本)あたりを読んでいるところだが、自分のいる場所が見えてくるような刺激的な本だ。

2008年11月19日 (水)

ロサンゼルス五輪のシンクロナイズドスイミングのデュエットの曲「雅」を作曲したのは中学生の車川さん

「笑ってこらえて」が1984年の表彰する人で選んだのが、この車川さん。エレクトーンは4歳から始めた。10歳で作曲コンクールで入選。海外にも交流で行った。中学3年のときロサンゼルス五輪のシンクロの曲を募集していた。応募締め切りまで2ヶ月。雅楽はもとより邦楽全般、踊りの所作も研究して作曲をした。タイトルが「雅」。

この募集の仕掛け人でシンクロの監督井村雅代さんは、「雅」を聞いて、即決定。

車川さんと初対面のとき、「このことで天狗にならないで・・・・」とアドバイス。車川さんは「私の人生まで気をくばっていただいたのが嬉しかった。」と。車川さんはその後桐朋学園大学で作曲理論を学び、プロの作曲家に成長し、歌劇の楽曲を作り続けている。

日本のシンクロチームはこのとき以来6大会連続メダル獲得してきた。井村さんという優れた指導者がいたおかげだろう。今夏の北京五輪では、井村さんは中国チームのコーチとして、中国に銅メダルをもたらした。

なぜ中国コーチを引き受けたか。世界に日本のシンクロの考え方を広めるため。審判員の価値観の中に、日本の価値観を入れるため。いまはロシアの考え方が世界に広まっているが、そこに食い込むためには、日本から世界のあちこちに指導者が行って、日本の考え方を広めること。

と、以前、朝のラジオ、1008チャンネル「道上洋三」の番組でお話されていた。

まさに「命を知り」そして「命を立て」、「自ら靖んじ、自ら献ずる」。「自分の素質・能力を知り、それを開拓・練磨し、そして世のため人のために自らを献ずる」という生き方だ。

ひき逃げや無防備な人を刺し殺すことを間違いだと制御できない人間もいる。どこで分かれてくるのか・・・・。

「笑ってこらえて」を制作している人たちはいいチームなんだろうな・・・。

2008年11月18日 (火)

さむ!!さぶ!!寒い!!

冬の寒さを思い出した。いまかじかむ手でPCを触っている。足も寒い。寒いと活動が鈍る。意欲が減退する。でも、北の方はこんなもんじゃない。

バイクがなかなかかからないだろうな。寒いからといって、注意力が低下しないように気をつけよう。

大阪のひき逃げ事件は、ほんとに可哀相だ。

飲酒運転という悪いことをする歯止めがない。自分が異常であるという自覚ができない。自分なら事故をしないというおおきな甘えと錯覚がある。そして、自分のしでかしたことを誤魔化そう、逃げようとする。犯人は昭和42年生まれ。日本は経済成長著しく、西側諸国で第2位の経済大国になったといわれた頃に育った世代。自分の都合よくいった環境に育ったのだろう。

逃げて誤魔化そうというのが最悪だ。そんな事件報道が続く。心も寒くなる。

これから生まれてくる子らに、花を育てさせよう、木を育てさせよう、人間の構造を教えよう。人間の脳はなぜ大きいのかから教えよう。

戦後60年間に失われたものがある。それが何かを知るべしだ。

2008年11月17日 (月)

茂さん、東尋坊のボランティア

自殺を考えて東尋坊に来た人を、立ち直らせている人。いままで150人余り。元地元の警察副署長。在職中に、自殺を決めて来た夫婦を思いとどまらせ、「行政に相談しなさい」と別れた。それから1週間かそこらして手紙が来た。封筒も広告の紙であった。

そこに書かれていたのは、お役所に相談に行ったが追い返された、何箇所も行ったが同じ。中には「死ぬならどうぞ死になさい」というようなことも言われた。茂さんと会って頑張ると約束した。1週間頑張ったことは認めてくれ・・・。と綴ってあった。ある神社で首を吊っていた。

そのことが退職後、東尋坊でのボランティアのきっかけになったそうだ。いま仲間は70人ほどになったという。2ヶ月取材した模様が放映された。番組では5人が出た。2ヶ月間で13人が助かったそうだ。

昨日のブログに書いた陶淵明の詩。

守屋洋氏の訳。

「人の命には根蒂のような、しっかりした拠り所がない。まるで、あてどなく舞い上がる路上の塵のようなもの。風のまにまに吹き飛ばされて、この身はもはや、もとの姿をとどめない。そんな世の中に生まれたからには、誰でも兄弟のようなもの。必ずしも血のつながりにこだわる必要はない。嬉しい時には、心ゆくまで楽しみ、たっぷり酒を用意して近所の人々と飲もうではないか。若い時は二度とやってこないし、一日のうち二回も朝がくるわけではない。楽しめるときには、せいいっぱい楽しもう。歳月は人を待ってはくれないのだから。」

陶淵明は没落した家系といっても地主階級だから、生活に困るようなことはなく、悠々自適に暮し田園生活の楽しみをうたった。「田園詩人」とか「隠逸詩人」と呼ばれる。

ということを踏まえても、この詩の思いは持ちたいもの。西郷さんの「天心、天意」に思いをいたし、「人を喜ばせること」を第一義とする。自分だけのことに終始しない。

それにしても、ボランティアを続けられる人には敬服する。それが生活になっているのだ。敬服するなんてのは、失礼だな・・・・。

日本は欧米諸国に比べ、自殺する人の割合が多いそうだ。この10年は3万人を超えている。

幼児の頃から、花を育てることを全員に教えて実践するのが良いと思う。花に木、そして動物でもよい。

9月9日に「なでしこ」の種を蒔き、いま2.5号ポットに青々とした葉を広げる。もう大きい鉢に移植しなければならない。こうして育てて、来年4月か5月に花を見られる。生命を育てる体験を幼児からするべきだ。この年齢になって初めて種から花を育てる経験をしている。こんなのじゃ良くない。

植物が人間に与える影響にもっと敏感になることだ。

2008年11月16日 (日)

誓山流菊花吟詠大会に参加した

今年が29回大会だ。継続は力。坪井誓山先生の努力の賜物。そして、それを支える多くの方々がおられる。もう十年近く参加させてもらっているが、年々盛んになってきている。とくにこの2~3年は会員の皆さんの充実ぶりが目立つ。大会の運営も手際よく、準備に抜かりの無いことが伺われた。

今回は「後夜 仏法僧鳥を聞く」を吟じた。前回は「城山」。いつもしっかり練習しておこうと思うのだが、出来たためしが無い。今回、昨日12~3回練習し、今朝5回ばかり吟じて会場に行った。結果は、失敗はしなかった。

今夜、この詩をブログに書いておこう、陶淵明のもの。

人生無根蒂         人生 根蒂無く

飄如陌上塵    飄として 陌上の塵の如し  

分散逐風転    分散して 風を逐って転じ

此已非常身    此れ已に常の身に非ず

落地為兄弟    地に落ちて兄弟と為る

何必骨肉親    何ぞ必ずしも骨肉の親(しん)のみならん

得歓当作楽    歓を得ては当に楽しみを作すべし

斗酒聚比隣    斗酒 比隣を聚む

盛年不重来    盛年重ねて来たらず

一日難再晨    一日、再びあしたなり難し

及時当勉励    時に及んで当に勉励すべし

歳月不待人    歳月 人を待たず

2008年11月15日 (土)

戦争は戦争で儲ける奴らがPR会社を使って仕掛ける

世界で一番受けたい授業で話していた。

アメリカが湾岸戦争に踏み出すきっかけにした「クエート人少女によるイラク兵の残虐行為の証言映像」は、PR会社制作の「ウソの映像」であった。なぜこんなことのなるかといえば、「戦争で儲ける奴ら」がいるから。奴らにとっては、国家も国民も自分たちの儲けの道具にすぎない。民主主義は自分たちの欲望を正当化するために利用する。

田母神という元航空自衛隊幹部の考え方は、自衛隊内部に根強いものになっているのだろう。自衛隊員数を正確に知らないが、25万人ぐかいか。OBも入れるとどのくらいだろう。警察組織にも言われるように、「一家意識」が強くなりがちで、自衛隊がずーっと「日陰の存在」にされている鬱憤が、あるのだろう。

アメリカとの戦争が「だまされた」とか、「日本は侵略してない」とかは、きっと自衛隊内では受けがいいのだろう。

そういう場合、その考え方が、「井の中の蛙」かどうかをまず検討するべきだ。「お猪口の中」で喝采を浴びるようなものは、考え直すことだとルールを決めておく。

ごく限られた集団が日本全体を動かすようなことになってはいけない。それも税金を使わして、単細胞の勢力をのさばらしてはいけない。へんなエリート意識を持った奴が、税金でいい暮らしをして、変な正義を信仰して主張させないようにしなければいけない。

公人のあるべき姿を西郷さんはしっかりとつかんでいた・・・・。「南洲翁遺訓」を読むとそう思える。組織が出来上がって、そのシステムに乗って出世しただけなのか、その組織外に出ても、組織内におけるのと同等かそれ以上に評価をうけられる識見を持っているのかが、問題だ。自衛隊の幹部だから防衛問題のプロフェッショナルだとするのは危険だ。情勢を一般の人より多く知っているだけにすぎない。それを分析し解釈して対策に移すには見識・胆識がどうかが問われる。「自衛隊の幹部」だから、国を任せるに足る「見識・胆識」があるとは保証されない。閉ざされた組織にしない、ならないことが大事なのだと思う。

戦争はPR会社が、戦争で儲かる奴らの指示に従って、世論を作っていく。だから、簡単に「声高になる正義」を信じないことだ。

2008年11月14日 (金)

今日はお墓に供える花の豪華さ?を競う日らしい

ということで親父たちの墓参りに行った。花もいつもよりは多く持って。朝は急ぎの用事があって、昼1時過ぎて出た。まわりのお墓にはなるほど花が沢山飾られている。見るところ、どの花も自前の畑などで作った花のようだ。菊の類。

店の花はうちだけか。供花の競争というのはいつ頃からの習慣か?可愛らしいものだ。

今朝の用事は、雄神川神社というのがあって、明治14年に創建された。祭神は、「天照皇大御神 豊受皇大神宮 大国主命 少名彦邦命 神倭磐余彦命」と「孝明天皇」。その御名を有栖川宮熾仁親王が墨痕鮮やかに書かれたものが掛け軸になっていた。

明治14年だから127年前。立派な字だった。当時の岡山県令・高崎五六の手紙があった。明治の人だから当たり前だろうが、流麗な筆の運びで羨ましい限りであった。

同級生にも書道家がいる。自宅で教えているようだ。同窓会の件ではがきをいただいたとき、文字は綺麗だし、末尾に「かしこ」とあるのを見たときには、わずかの文面のハガキだったが、良い色気を感じたものだ。

文字をさらさらと書きたい・・・。60の手習いだ。

2008年11月13日 (木)

月がとっても青いから遠回りして帰ろう

こんな歌があった。いま月がとても綺麗だ。寝床から見える景色は明るい。一目で名月とわかった。今朝は配達中ずーっと月夜。まん丸で輝いている月が西の空にいつものように運行していた。

その白い輝きは、バイクのバックミラーに映り、「エライ明るい街灯だ。それにしても、いつまでも映るなー。この辺そんなに街灯があったか?」で、気がついた、お月さんが映っている。

夕方5時過ぎには東の空にまるまるとした月が、白い姿のまま空にボーンと跳ね上がったように現れた。

明日も小春日和らしい。月も綺麗だろうな。

2008年11月12日 (水)

守 破 離 の守ができてないから

「守・破・離」とは、能楽の観阿弥、世阿弥が説いた修業の要諦。これを理解し修業を発展させることができたら、満足のいく人生になるだろう。

「守」とは、基礎、基本を教えてもらった通りに習得すること。

「破」とは、身につけた基礎、基本をもとに自分の工夫を付加する。指導内容の枠を自分の工夫で破る。

「離」とは、守・破で学んだことを生かして、自分の道を追求する。指導者から離れる。

これが身についていれば幸いだが、「守」の意味すら解っていない場合は、寂しい人生だ。独りよがりで自分の能力を発揮できないことになる。守がなければ、破も離もない。

般若心経の暗唱と暗記をものにしていた過程で、習うより慣れることの意味合いを感じたのは、この守の意味だったのか。

継続しているものと自信をもっては言えないが、とりあえず詩吟がある。これを軸にして、漢文を学び詩作を練習し、人に伝えられるようになろう。

2008年11月11日 (火)

実現したこと・・・

湯だけは風呂屋。言うだけは自分の半生。新聞配達を始めて変わったことを探した。

朝早く起きる。毎日ある程度身体を動かす。遅くても22時半には就寝。般若心経を暗唱できるようになったし、276文字書ける。

この般若心経を暗唱し書けるようになるまでに、いろいろ感じることがあった。「習うより慣れろ」ということ。繰り返すこと。倦まず弛まず。暗唱も書くことも、別々の作業であったが、最近は暗唱のスピードにのって文字が現れるようになった。

今頃こんなことを言ってると笑われるだろうが、学習する流れを体験した。慣れるより、自分で考えようとばかりしていて、結局良く習得しないまま放り出していたから「ゆーだけの半生」になったのだ。

「継続は力なり」を実現した同級生を見たこの同窓会は、これからの刺激になった。遅ればせながら、「力」をつけよう。

2008年11月10日 (月)

西武が勝ってよかった

巨人が逆転負け。最終得点結果はまだ知らないが、ヤフーの画面で渡辺監督胴上げが出ていたので、巨人が負けたと知った。巨人大鵬卵焼き派なので、負けてつまらない気分はあるのだが、勝っていたら、どこかに白けた気分があったと思う。金にあかせて、他チームの4番打者やエース投手を獲得して、優勝できないはずがない。今年は若手選手がいたからセリーグ優勝できたのだ。西武に勝てなかったのは、西武の若手パワーの方が上回ったからだ。

渡辺、大久保・西武首脳陣は、花形スター街道一筋ではない人生を歩んできた。その下地が、チーム作りの方針に生きているのだと思う。2勝3敗で主力選手2名を欠いた状況から、3勝目、4勝目を勝ち取った。劣勢にも気合負けしないチーム力を作った。

巨人の選手の意識には、勝たなければならない呪縛があったのでは?それが逆転の隙となった。

いまの巨人を見てると、どこの球団?といいたくなる。広島を見ろ、選手を育ててチームを作ってるじゃないか。阪神が魅力的になってきたのは、岡田が2軍監督時代から、選手を育ててきたからだ。

バレンタイン監督が巨人のあり方に批判的考えを述べた報道があった。拍手。大リーグの方式、儲かる球団はリーグへ上納するとか下位球団から指名していくとか、弱者と強者が固定しないような仕組みを協議して生み出している。

人間はお互い切磋琢磨して、その能力を高めていくところが素晴らしい。本当に新しい価値を生むのは、人間の才能からだ。一人だけの才能では開かない。切磋琢磨の環境がいる。

2008年11月 9日 (日)

公民館文化祭のこと

舞台発表の部に4番目で出場したわが詩吟講座は、無事に発表できた。出来映えはヨシトシヨウ。朝の10時頃。舞台が始まって30分足らずの頃だ。観客40~50人か。市民会館の1階ホール。勿論、空席のほうが多い。これを観客で埋めるには、発表する人がもっと見せることに意欲をもつことだ。いまのレベルは、憶えたことを舞台の上でやっているだけ。「プロじゃない」と思っているのだろうけど、舞台に立てばもう一緒。お客さんがいるのだ。その人たちを楽しませるにはどうしたらよいか。それを目標に自分が習って発表することをどのように表現したらよいかを工夫する。

無表情に、習ったことをとにかく間違えないように、黙々と、笑顔も無く、所定の時間を終える・・・ことから脱皮することだ。

わが講座も演目を早く決めて、練習時間をしっかりとること。

魅力はつくるもの・・・。

2008年11月 8日 (土)

新しい合羽は3980円

1年半お世話になった合羽が破れてきた。上着は無傷だが、ズボンの左膝が裂け、左側面が膝から下へ裂けていた。また、お尻の合わせ部分が破れてもいた。

この合羽は通気性が不十分なのとポケットが胸ポケットだけなのも不便だったので、それらを解消するものを探した。東レ製が4980円で最高値。その下が3980円。メーカー名は初耳で「made in CHINA」。1000円差はブランド名の差・・・・ということにして、3980円を買う。

今朝は予報通り雨。ポケットは上着に2つ、ズボンに2つ。上着の内側にファスナー付きのポケットもある。生地が厚め。腰周りは余裕あり。水・油をはじく手袋も買って、雨対策にした。

汗ばんで来る。3分の1ほど配ったころ。半分配って「落とし」がある中間点へ着いて、ヘルメットをとり、合羽のフードを脱ぎ、汗取リ用のタオルを頭からとると、しっかり汗を吸っていた。作業シャツも汗で湿っていた。前の合羽の汗ばむ加減と比べようとしたが、よくわからなかった。ただ、通気性は良くなったような気がした。

良いものは高い・・・・ということだ。高いものは良いもの・・・かどうかは断定できない。でも新しいものを手に入れた当初は嬉しい気分だ。不配、誤配よドンと来い!

2008年11月 6日 (木)

奈良県の県名の由来は?

ヒントは「土地が平ら」。正解を聞くと「平らにする」というのを「ならす」という。だから「奈良県」となった。それに続いて「鳥取県」は、昔は水鳥を捕獲する「鳥取部」が多く住んでいたところから「鳥取県」となった。

こんな知識も面白いが「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くし、人を咎めず我が誠の足らざるを尋ぬべし」という西郷さんの遺訓を知って、その含むところを考える方がもっと面白い。面白いというより、心がしゃんとする。

最近テレビ番組は、妙に教養ぶって知識を振り回す。知っておいて悪くはないが、それはそれだけのもの。もうそろそろこういう番組は下火になるだろう。

日本国民の9割が中流意識を持っているという調査から20年ほど経った。今は、「格差社会」到来で、「不動産以外に100万ドル以上資産を持っている」億万長者が、日本には140万人余りいるそうだ。2006年の日本の億万長者上位10人には  I.T.分野の企業家、サラ金創業者、パチンコ機械メーカー、不動産会社オーナー、衣料品メーカー・小売会社オーナー、大手スーパーオーナーなどが並んでいた。

これら億万長者ご一行様は、その財力をどう使っているのだろう。

2008年11月 5日 (水)

巨人、大鵬、卵焼き

この時代標語?が解るのは、何才までだろうか。

先日見た資料では、大鵬は1960年から1970年の間、相撲で活躍。巨人は昭和四〇年代にV9という偉業を達成。当時の世の中の主流を占めている人たちの嗜好を指して、「巨人大鵬、卵焼き」と揶揄したのが共感を呼んだ。

私もその口で、いまは巨人に執着はないが、負けると何か気分が良くない。子供の頃のプロ野球の中継は巨人戦しかなかった。だから、自然に巨人ファンになっていった。川上、与那嶺、金田、広岡、長嶋、王、藤尾、藤田、宮田、堀内、高田、柴田、柳田、高倉、張本、森、いまでも覚えている選手たち。

昭和49年だったか、東京・青梅の都営住宅に住んでいるころに、カラーテレビを買った。ソニーのクリントリックスとかいう商品だった。坊屋三郎というおじさんタレントがCMしていたと思う。夏だった。通勤2時間のところだった。今日はカラーテレビが来るというので、寄り道をしないで帰った。ナイターの後楽園球場の芝生のグリーンが綺麗だった記憶がある。

いま巨人ー西武第4戦。巨人が5-0で負けている。今日はこのまま負けて、2勝2敗になるだろう。それが面白い。

2008年11月 3日 (月)

一夜明けて、昨日はよかった・・・

Img004 昨夜は何時に帰ったか憶えていないが、そんなに遅くはなかっただろう。2次会が終わったのが6時過ぎか。それから友人の家に5~6人で寄って、2時間ほどいたか、そこから歩いて20分ほどだろうから、10時にはなっていなかったはず。

今朝は3時前に目覚めて、階段を降りかけて、「あぁ今日は休むんだった」と気がついて、布団に戻った。

「良い企画じゃった。皆んな良かったと言うとったよ」と近所に住むおばさん同級生が、敬老会のプレゼントを母親に持ってきてくれたとき、教えてくれた。「記念写真の名前を教えて」と電話してきて「なかなか考えた内容じゃったし、段取りも良かった」と感想を言ってくれた奴もいた。会場でも、「演出を考えとるな」と言ってくれた。

時間が短かかったように感じた。盛会でよかった。

2008年11月 1日 (土)

11月2日が来た

半年前からとりかかった中学の同窓会がいよいよ明日。今日はもう準備作業らしきものはないだろうと思っていたが、こまかいことが時間かかった。でももうあたふたしないことだ。

挨拶文は明日朝に作ろう。あっ、詩吟の大会の分もつくらなければ・・・それも明日、不配当番のときにしよう。

みなが満足する会でありますように・・・・。祈ろう。

2008年10月31日 (金)

蒸気船 たった四ハイで 夜もねられず

1853年、ペリーが黒船4隻を率いて浦賀沖に現れ旗艦サスケハナ号から空砲を撃ったり、羽田沖まで進んだとき、江戸は大騒ぎとなった。

これを歴史で聞いたとき、その驚き慄く人々の心情を推測することもなく、「びっくりするだろうなぁ」と思っただけの、鈍さだった。

いまなら、どんなことに匹敵するだろうか。開国に応じた後、金銀の交換比率が日本と欧米では、日本の方が銀の価値を高くしていたので、それを利用されて金を多く与えてしまったようだ。

これと、アメリカから彼の国の債権や証券を大量に買わされ、挙句に今回のようなアメリカの金融システムが破綻しかかるような破目に陥り、また大損をする・・・・というのは、幕末と似たようなことになるのだろう。

金融工学とやらいうものがあるらしい。これにはモラルは無い。金本位制を放棄してから、歯止めの無い金融業界人の跋扈を許してしまったのではないか。人のお金を預かって、「運用」という美名のもとに、我利我利亡者になる。人にお金を預けて、皮算用をして儲かるはずが、大損をする。どこを見ても、部分的関与、部分的知識、部分的責任の人たちが、右往左往して自分も人も傷つける・・・ような気がしてならない。

「敬天愛人」が21世紀のテーマだ。

江戸時代の人口は、ずーっと、3000万人程度だったそうだ。いま、1億2000万人余り。

昭和20年以降の時間の中では、「心」が軽んじられたと思う。世界の国々と共存できるようにするには、「日本の心」を練り直すことだ。「日本の心」とはなに?

最近読んで共感するのは、漢文を自在にこなせればまず一歩ということ、眠い・・・

2008年10月30日 (木)

秋収冬蔵・・・・

千字文の一句。「秋には実りを収め、冬に備えて蔵に蓄える」といったところ。

いま地元では稲刈りが進んでいる。秋の田の稲穂が垂れ、陽に照らされて黄金色に輝く様は、毎年のことながら豊かな気分になる。今年の作柄はどうだろう。並?良?

6月頃の小さな青い草が半年後にはこうなる。

いま1ヶ月半前に種を蒔いた「なでしこ」が、17ポットで大きくなっている。最近、風が強いのでまだひ弱だから風に吹き倒されながら、大きくなってきている。毎朝、外の棚の上に置いてあるのを見に行くのが、楽しみだ。しっかり育てよ・・・と思いながら、昨日土を触ると、からからだった。腰水にして、ポットを入れると、中には浮いているのもあった。危ないところだった。

2008年10月29日 (水)

スロートレーニングに期待

「ためしてガッテン」で紹介されていた「スロートレーニング」。成果発表会で登場した高齢の男女の成果がすごかった。15年間杖を手放せなかった女性が、杖無しで踊っていた。男性で、北海道を歩いて一周に挑戦していま2000キロ踏破、あと500キロだそうだ。すっきりと痩せて、孫がいっしょに歩いてくれるようになった男性。ウエストが減った男性・・・などなど。

どんなことをするのかと興味が高まったところで、実演。①腕立て ②腹筋 ③スクワット をゆっくりとする。回数は各10回を2セットが1日の運動量。1ヶ月継続すると、成果が目に見えて現れるそうだ。

成長ホルモンが出て、筋肉が太くなる、内臓脂肪が燃焼して減少するということらしい。明日からやろう。

2008年10月28日 (火)

宝の持ち腐れ・・だ

32ページの冊子にページ数をつけるのに苦労した。98を使っていた頃に、問い合わせて憶えていた方法を当てはめて上手くいかなかった。例によって、「バカもんが!そうじゃないじゃろが。何考えトンね」とPCに当り散らし、結局、疲れて、マイクロソフトに電話した。

そしたら、このXPには、何度も試みていたようなページ付けの作業は不要で、「ページ設定」で「谷折り」にして、「印刷の画面で、両面手差しの項にチェック」をして印刷すれば、片面に1ページと32ページ、3と30,5と28,7と26,9と24,11と22、13と20、15と18が刷り上る。プリンターはそこで止まり、画面に「次はこうする、OKかNOか」聞いてくる。「OK]をチェックすると、PCは裏面の印刷ページを選んで、印刷を始める。

2と31、4と29、6と27、8と25、10と23,12と21、14と19、16と17が印刷されて、一丁上がり。

詩吟の教本を作ったときには、通して打ち込んだものを、奇数ページと偶数ページにコピーして振り分けて、それを裏表印刷していた。

XPでは、そんなまどろこしいことは不要だった。

まぁ、これから冊子モノを作るのが、楽になってよかった。

2008年10月27日 (月)

故郷忘じがたく候

鶴瓶さんの「家族に乾杯」で假屋崎省吾さんがゲストで、彼の父親の故郷である鹿児島県日置市を訪問した。篤姫の幼馴染であった小松帯刀の菩提寺がある。假屋崎省吾さんと会ったことはなくても、父親や祖母のご縁で、出会う人は皆、温かく懐かしく歓待されていた。

一方、鶴瓶さんが偶々訪問したのが「14代 沈寿官」さん。豊臣秀吉が朝鮮に攻め込んだときに、拉致した陶工たちがいた。その人たちは日本に来てから、故郷に似た土地を探し、落ち着いたのがこの日置市であった。以来、400年、代々陶芸を生業として現在も活躍されている。それを司馬遼太郎氏が「故郷忘じがたく候」(こきょうぼうじがたくそうろう)と、書いた。

それに登場していたのが、鶴瓶が出会った「14代 沈寿官」さん。穏やかな表情は天地がひっくり返っても変わらないだろうと思わせる。物言いは淡々と、優しく、重厚である。

39歳のときに「14代目を継げ」と父親から許されたそうだ。「何をするのも自由だ」と言われ、心弾んで身を翻したとき「品(ひん)だけは保て」と発せられた言葉に「後ろから袈裟懸けにばっさりやられた気分だった」と。

以来、「見えない品(ひん)を、カタチにする」14代目の人生が始まった。

番組ラストには、後日撮影の息子の15代目、そしてその長男、次男の方も並んで登場された。陶芸の道一筋。連綿と続く心と技。そこに生まれる生命を育て鍛え、それを、受け継いでいく。「品を保て」を、ずーーーっと求めた時間が作り上げた、14代 沈寿官さんのかもしだす人柄に、人生のお手本を観る。

2008年10月26日 (日)

ああ勿体な

時間とお金が勿体ないことをして、ガックリ。

ハガキを印刷していた。女子用が終わって、男子用50枚余り、裏面を刷って宛名印刷になった。入力した宛名データから何人か抜かなければならないので、その調整をして、印刷になった。セットをして開始OKで食事をしに階下へ。食事終わって、ハガキもできた・・・と思って見たら、あーーーーーーーーーー裏面の文章の上に宛名が印刷してある・・・・・・・・・・・・。

場亀?バカめ!反対にセットしていた。ハガキを買いにコンビニへ。ハガキは間違い分を5円払えば新しいのと交換してくれるが、作業にかけた時間と高いと感じているインクが勿体ない。ミスしやすいことはよく憶えておいて、チェックを抜かさないことだ・・・・が。

2008年10月25日 (土)

小冊子のページ付けに難儀

同窓会の小冊子がA6判・32ページになった。そこでページ付けなのだが、手順をよく憶えてないので、思うように動いてくれず、PCに八つ当たりしている。

まぁ、そのうち思い出すだろう。

プリンターは買い換えて、印字は綺麗になった。が、インクの消費が早いようなきがする。黒色が減るのは当然だが、早い、早すぎる。180枚分刷ったら、「交換サイン」が出た。前のプリンターの黒色容器より小さいのだが。プリンター本体を安くして、インクの穴を少し大きくして儲けようなんてことは・・・。味の素の消費を増やすために、容器の穴を少々大きくした話がある。

自分の期待を下回るといろんな勝手な想像をするものだ。これを買ったのは自分だ。

2008年10月24日 (金)

昼寝した

今日はよく寝た。お昼に。11時頃からタイヘン眠くなって、ゴロリと横になたらぐっすりと寝入った。1時過ぎに美容室に行きたい母親に起こされ送って行って、所要時間15分ほどか、帰って下の部屋で横になって5時過ぎまで。叔母宅からかけてきた母親の電話で起こされ、「晩御飯は外食にしてん」ということで、迎えに行き、眠気さましのコーヒーをよばれて、7時過ぎに西大寺食堂へ。鯖煮、豚肉と大根煮、牛蒡煮、納豆、ご飯小とかけうどん。

帰って同窓会出席者に念押しの葉書用の住所入力をした。あれだけ寝れば、眠くはない。いま22時46分。明日は雨は降らないだろう・・。

2008年10月23日 (木)

この26日が県知事選の投票日

立候補2人。現職の石井さんと新顔の住宅さん。石井さんは4期目を目指す。3期目までの実績はよくわからない。チボリ公園の閉鎖、県財政の悪化で財政再建団体転落の瀬戸際の状態なので緊縮予算で、県職員の給与9%カット、知事退職金ゼロ・・・・などどいうことだけが記憶にある。

住宅さんは、新聞全面広告や新聞シラシ折込など、組織不足を媒体作戦で補っているようだ。

まだ決めていない人が3割はいるそうな。案外、行方はわからない。というより、同じ人よりも・・・・という流れが強くなるきっかけがあると、現職優位ともならない。

宮崎、大阪で活躍している知事活動の良い例があることが、どう反映するか・・・。

2008年10月22日 (水)

同窓会まであと12日

半年ほど前から集まって、ぼつぼつ準備をしてきた。住所不明者の情報集めが気になるところ。これは継続的課題。

準備で集まった8人ほどは数回顔を会わした。拡大準備メンバーがいて、10人ほどの人は2回集まってもらった。ほとんど誰かはわかった。

小冊子は30ページほどになる。これを仕上げて、25日に製本だ。製本といっても、ホッチキスで止めるだけだが。それと、回顧スライドを上手く完結させないといけない。われわれの時代は、明日は良くなる楽観的な気分で生きられた・・・と思う。世の中が出来上がりつつある時代であった。いまは、出来上がってしまい、強者はあくまで強く、弱者はあくまで弱い。

一度、ご破算をしなくては、世の中変われない。

2008年10月21日 (火)

おでんにトマトを入れるというのを聞いたが・・・

今夜は詩吟の稽古日。それが終わるのが午後7時半で、晩飯は外食となって、叔母と3人でうどんの民芸に行った。そこであったのが、出し汁で煮たトマト。トマト1個がお皿に鎮座。出し汁の中にいる。散らしてある葉っぱは○○だ。からしがこんもりお皿の縁に置いてある。木製のしゃもじがついてきている。出汁をこれで飲めというのだな。

トマトの味は薄められ、なにということもない、味だった。

かなり前に来たことがあるが、その頃よりも店は綺麗に改装していた。外人連れのビジネスマングループがいた。外人はインド系か。白人でない。髭濃い。眼力強い。

それぞれ完食して、コーヒーを2つ追加して、4240円の晩飯だった。

2008年10月20日 (月)

月のように・・・

月は自ら光は出さず

太陽の光をうけて輝く

月満ちるとき

地上は白く明るく

心も軽やか

そうか

自ら光ることができなくても

光をうければ輝ける

自らの太陽と

その光の届け先を

見つければよい

2008年10月18日 (土)

風邪薬

喉の上側がかゆいような、乾くような、声がかすれるような、変な具合になった。水曜日に緑のボランティアの講習で、生垣の剪定を実習して汗をかいてそのまま乾かしたのが影響したのか、いや、その前から少し風邪ひいている気配があったから、それで加速したのかもしれない。

風邪薬を買った。1回3粒。薬の飲み方は、説明書をよく読んでおくべき・・と思い出した。たけしの番組で、注意書きを見落として薬を飲んで、危険な眼に会った人の事例を紹介していた。そうだ、そうだ。で、注意書きを見ると、薬を飲む時は、「お酒を飲んだときには、薬を飲むな」と書いてあった。

2008年10月17日 (金)

皎月、同じ意味で、皓月

皎は、「しろい、月光がしろい、ひかる、白く光る、きよい」というのを表し、皓は、「ひかる、白く光って明らかなこと、色が白い、きよい」というのを表す。

「白」が「交わる」と「告げる」のだから、「白い様子」が極まった状況か。

昨日、今日の月は、まさに「皎月」。誰の詩だったか、「皎皎」とあったので憶えていた。皎の字を調べたら皓があった。どちらが先に考えられたのか。誰かが使い始めて、皆の共感があって、こういう意味で定着したのか。

以前、和製漢語のことを読んだ。日本人の漢字力は低下している。「山」の「上」「下」で「峠」、「衣」の「上」「下」で「裃」という字を作り出したセンスを今一度・・・・。

2008年10月16日 (木)

来年の4月から岡山市東区か・・・・

岡山市が政令指定都市になることが正式になった。4つの区になる。西大寺方面は「東区」。もっと気の利いた名前にならないかと思うが、態勢はこの傾向になるのだろう。その土地の成り立ちが伝わる努力は別にしなければならないのだろう。

西大寺の中心区域の地番は、西大寺に上、中、東、北、南をつけて1丁目、2丁目としている。整理するのにはこれが単純でわかりやすいのだろうな・・・。

住所表示が変わる特需で、少しは潤うのは誰だろう。判子屋、印刷屋、看板屋。

住民にどんなメリットを提供できるのかな。

2008年10月15日 (水)

ネコは気ままだが・・・愛すべき白ネコ

白ネコが我が家にいる時間が長くなってきた。押入れで寝る。窓辺で寝る。化粧台の下で寝る。夜来て母親の布団の上で寝る。とにかく、よく寝る。本宅には何匹かネコがいるから、しかも白ネコよりみな若いから、落ち着かないのだろう・・・と、最近の白ネコの行動分析をしている。

寝ている側へ行き、前足の肉球と握手する。今頃は、しばらくはなすがまま。肉球のある場所を触ると、その手を内側へ曲げる。くすぐったい?

白ネコが初めて来たのは去年。ブログにも書いている。2階の窓から入ってきていて、ガサガサ音がするのに気がついて、こっちが気づいたのを奴も気づいて、あわてて逃げようとしたのが最初の出会い。追い払われないし危害も加えられないと理解したのか、来る回数が増えてきて、現在に至る。

本宅の主は「あんた家を間違えとんじゃないん」と苦笑する。

何か食べたいときだけPhoto_2 Photo_3 Photo_4 Photo_5 「ニャァ」と言う。Photo

2008年10月14日 (火)

「お好み焼き 手毬家」を同級生が始めた

13日に開店したそうだ。今日が2日目、母親と叔母と3人で行った。同級生からはお好み焼き店を始めるような印象は無かった。公務員を定年退職した後の、スタート。

今日聞くと、お好み焼きが好きだった。そして、人との出会いがあることも好きらしい。なら解る。あとは、料理の腕次第。彼のお母さんの言うことでは、「嫁と大反対したんですよ。一時何も言わなくなったのでおさまったかと思っていたら、夏過ぎて具体的な話になってきた。」そしてとうとう「私らは知らんよ。」で計画が進んでいった。

「勤め時代からお好み焼き屋にはよく行っていた。これを始めるのに食べ歩いた。美味い店では、あえて秘訣を聞いてみた。やっぱり教えない。うまく話をはぐらかす。昨日オープンだが、それまで2週間ほど試食会を続けた。いまは、材料を混ぜるタイミングなんかで、焼くたびに焼き具合が微妙に違うけど、味は変わらないはず。」と研究と実践の店主の弁。

実際、美味かった。粉を昆布などからとる出汁で溶く、大阪スタイル。

店作りには友人たちのアドバイスを受け、靴べらやスリッパを備え、店前の駐車スペース(2台)に、灰皿を置いた。店内が自然に禁煙になったのを受け、「灰皿を外に置いたら」というアドバイスがあったらしい。

店主は、店を持ってそういう交流が生まれているのが楽しいようだ。「いままで家の前を通るだけだった人と話ができるようになる。この店がいい情報を発信できるようにしたい。」と定年退職後に新たな仕事を始めた同級生は楽しげに話してくれた。

場所は、西大寺中1-9-13 喜久屋の前、086-942-6378

定休日:日曜・月曜・祝祭日 営業時間 11:45~14:00 17:30~22:00

2008年10月12日 (日)

案内表示が無い

今日は文化資料館の当番。西宮から電車で来たという男性客。「牛窓へ行こうと思って、駅で案内を聞いたら、結局バス乗り場だけ解った。歩きながら、誰かに聞いたらいいと思ったが、歩いてる人がいない。かといって、案内板は無いし、うろうろ歩いて西大寺(観音院のこと)に行って、お寺の周りから歩いていたら、ここへ来た。」と資料館へ。

電車に乗ってブラリと出かけるのが好きな方。牛窓行きのバスは1時間に1本程度。1時半のバスに乗るつもり・・・で12時過ぎにやってきた。

来る前に歩いたところで見た案内板から、「これは何でしょう」と写した内容を尋ねる。「それは雁木です。」「そこから船に荷物を積み降ろすんです。」「あぁガンギというのですか・・・」

他所から来た人が体験された、地元の不案内ぶりがよくわかった。もすこしどうにかしなければ。

今町、渡場町のほうを歩いてみる・・と言われるので、「ぶらりマップ」とかいう地元地図があったので差し上げた。われわれももすこしサービスを充実しなければ・・・。

牛窓に行かれるとのことなので、「ニコニコ食堂」を紹介して「あなご丼や味がよく染み込んだおでんが美味しいですよ。老夫婦がやってます。」と案内した。そういうお店が好きな様子で、「ありがとう、腹減ったのを我慢して、そのニコニコ食堂で食べますよ」と出発された。

2008年10月11日 (土)

黄昏時が侘しくなる季節になった

この時期の黄昏時の記憶。中学のころか、少々遅くなっての帰り道に、薪が燃えている匂いが漂っていた。夕餉の支度か、残照に木の枝のシルエットが見えた。

いまはキャンプでもしない限り、薪でご飯を炊くことはないだろう。

黄昏時が風情を持つのは、春・秋だ。「黄昏」と書くのは誰が考えたか。「誰そ彼」。薄暗くなってきて、顔がよく見えなくなるので、「誰そ彼」=「彼の人は誰でしょうか」と尋ねた。それが「薄暮」の時間帯を「誰そ彼」がなまって「たそがれ」となって、「黄昏」の字が当てられた。

窓から吹き込む風が寒い。寒いと書くものの、まだ心地よい方が強い。着ているものは、色物のシャツ、半袖の下着、作業ズボン、チョッキ。冬になったらこのままでは済まない。地球上は金融不安で世界中の国が大騒ぎしていても、月は規則正しく28日周期を守っている。オリオン座は上空に輝き、名も知らぬ星達の昔の光がいま届く。

眠い・・・・・。本日は昼寝をしてないから、眠い。

2008年10月10日 (金)

なでしこを2.5号ポットに移植する

7日に講習会があった。そこで、10ポットに移植した。3つは公園協会に置いて、7つは自宅へ。ポットを10個もらって残る苗も移植した。

7日~10日間は直射日光や風に当らないようにということで、古いレースのカーテンで囲いした。土が乾いたら水をやるということなので、毎日、触ってみる。

この苗が生長して花をつけるのは、来年の4月下旬から5月らしい。種から育てたものは、その土地に馴染んでくるから、買って来た苗よりも病気に強いとのこと。

いま苗は18本。

今日も元気か・・・と苗を覗きにいく。しっかり立っていると安心する。花が全部咲くように・・・祈りとともに水をやる。

2008年10月 9日 (木)

あれっ、バイクのエンジンが止まった

今朝3分の1ほど配達したあたりで、トラブル発生。階段を下りてバイクにまたがりキックして始動して進みかけたところで、エンジンの回転がプルルルル・・・と止まってしまった。オカシイな・・と思いながらキックするも、空しくブルルルを繰り返すだけである。時間は4時過ぎ。

店主に携帯で連絡が通じて迎えにきてもらう。店に帰って空きバイクに乗って作業再開できた。30分近くロスした。終わったのが6時前だった。

原因は明日わかるだろう。これまでパンクでトラブッたのは何人か聞いて、もし自分に起きたらどうなるか・・と思っていた。こんなことなんだ。

油とオイル交換は忘れないように注意しているが、エンジンからみはほったらかし。チェックポイントを知っておかなくては・・・。

雨でなくてよかった。

2008年10月 8日 (水)

お一人様2房まで

近所のスーパーのバナナ売り場にあった掲示。前文は「品不足のため、ご迷惑をおかけします。」

バナナダイエットを試みる人が急増して、ずーっと前からバナナを常食にしていた人が、買いにくくなったとぼやいている。この品不足は一時的なもので終わるだろうか・・・。

野菜売り場で見つけた、「12品野菜サラダ」「10品野菜サラダ」「レタスサラダ」「オニオンサラダ」などなど、カット野菜サラダが100円前後で袋入りで売っている。この前は「98円」に「40%引き」のシールが貼ってあったのを、2袋買った。

野菜を買って刻めばよいのだが、面倒くさがりで、最近は野菜が少ない。一時は、毎食、人参にピーマンにブロッコリに大根などを温野菜にして青しそドレッシングをかけて食べていた。その頃はやはり野菜効果があった。

野菜刻むようにするのは当然だが、この市販サラダも活用しよう。

バナナは腹持ちと栄養分に優れているが、さらに緑黄色野菜を食べ、脂質を過剰に取らず、間食も控えなければ、望む減量は実現しないだろう。

2008年10月 7日 (火)

「誰も知らない泣ける歌」という新番組に拍手

小椋佳さんの次男が中学生で若年性脳梗塞となり意識不明に。1週間意識が戻らなければ植物人間になると医師は言う。それまで仕事優先で次男と接すること少なく、溝ができていたことを反省した小椋さんは病院でつきっきりで看病した。

意識がもどらないまま6日目を迎えた。眠り続ける次男が、「あなたが美しいのは・・・・」小椋が作詩作曲して、次男もよく歌ってた歌、そして病室でもベッドの側で何度も口づさんでいた歌を歌い始めた。奇跡。意識が戻った。

歌にまつわる話をドラマで再現して、最後に主人公が登場して歌う。

愛媛の村上さん親子の「みんなゴメンと言えたらいい」「みんな好きっていえたらいい」という歌は、離婚したお母さんが娘さんに伝えたい思いで作詩したそうだ。お母さんは工事現場で働いて一人娘を育て、「でんしれんじ」というバンドでボーカルを担当。娘もバンドに入れて、この歌を一緒に歌う。いま全国の小学校や幼稚園で流行っているそうだ。いい歌だ。

9時過ぎたのでやむなく2階へ上がった。

この企画がどんな流れで生まれたのか・・・。「泣ける・・」カタチもいろいろだから、乞うご期待だ。

2008年10月 6日 (月)

最近のTV番組は内輪の戯れ事になってるのじゃないか

クイズ番組が氾濫。制作費が安い。出題する内容を専門家に作ってもらい、出場者の座るところを作り、出場者を交渉し、あとは司会にまかしとけばよい。

いわゆるタレント達は、こういう番組に出て結構なアルバイトができる。最近は、お笑い芸人がクイズ番組の予習をして、高回答率を誇っている。おバカキャラが売り物だった女性タレントが「笑われるのがいやだ」と勉強始めたそうだ。そのことは、良いことだ。

同じ顔ぶれで、わいわい話が面白くなるよう盛り上げて頑張っているが、こんな番組がいつまでも続いていくとは思えない。

今日昼の番組予告で、ホストが主人公のドラマがあるのを知った。内容は勿論知らないが、なんで主人公がホストなんだ。

時代劇があると思ったら、侍の時代にしただけで、内容は現代劇。

テレビ関係者はどう考えているのだろう。

2008年10月 5日 (日)

所ジョージ 笑ってコラえて 再放送

日曜日朝10時半から見る。今日は秋田に行った。きりたんぽの名人81歳のご婦人。道の駅で売っていたら評判になって、今は全国から注文があるそうだ。きりたんぽを「美味い!美味い!」とスタッフは感激していた。それもそうだが、名人のゆったりとした人柄が印象的だった。この人にして、美味いのができて、全国にファンができたのだ。

癒し系・・・というが、人の気持ちを和やかにできる能力をもっている人は拍手。「眼・耳・鼻・舌・身・意」に心地よさを与えられること。般若心経は、そういうものは無い・・・というのだが。

人を相手にするのではなく、天を相手にするとよい・・・と西郷さんは言う。「天を敬い、人を愛す」。人に執着すると、愛と憎が混ざり合う。ゆったりと、人を愛することに徹するには、いつも天を相手に心に問いかけることだ。そうすると、自分の心の歪みが見えてくる。そうすると、人との付き合いが滑らかになる。

人間は防衛本能を持つ。自分をガードする。だから、自分が不利にならないように行動する。そんなとき、相手を負かそうとする。天から見て、歪んだ人間の心模様だ。

その点、所さんはマイペース。自分の世界を持ってるから、人に優しい。全国にロケに行く。出会う村人、町人は皆びっくりして、感激する。それほど、所さんは全国の老若男女の心を掴んでいる。

2008年10月 4日 (土)

見渡せば 我より高齢の 人ばかり

詩吟にしても郷土史の会にしても、メンバーは私より年長の人ばかり。年下の人と会うのは、新聞店。

60才は高齢者とは言わないと思うが、老いが体力・能力を衰えさせ、それに応じた生活を考えなければならなくなる・・と、高齢者の心得を求められるのを感じる。

御歳88歳の恩師が、同窓会出欠の返信に書いてくれた。「後期高齢者からの少々の忠告」

「① 本当に生きづらくなったのは80歳からだった。 ② 心配なく過ごすためには、かかりつけ医を作れ。 ③ ガンなどより最悪は認知症と思う。アタマのことを忘れてスポーツだけではダメ。」とあった。

「身体がついてこない」ことがだんだん広範囲になっていくのだろう。それを遅らせるために心身ともの刺激を与えなければならないのだろう。サブプライム問題、アメリカの金融危機、世界経済への影響、日本はどう対処しているのか、そもそも欧米の金融関係者のモラルの程度はどうなのか、生活を支える実体経済活動の足を引っ張る金融があっていいのか・・・などと断片的な知識で考えることもめんどくさくなってきたし、それを考えてどうなる・・・という気分が勝ってきた。

般若心経を書き、千字文を憶え、漢詩を憶え歴史を学び吟じる。ときに身体を動かし・・・否・・、これではもう高齢者か・・・。

2008年10月 3日 (金)

なでしこは地を這うように伸びている

芽が出て双葉になって4つ5つと葉が増えて大きくなってはいるけれど、茎が細いそして陽が当る方へ全部同じ方向へ茎を伸ばしている。

今度大き目のポットに移植するとき、深めに植えると、細くて横ばいに伸びた茎も真っ直ぐに伸びてくれるそうだ。それまで、この状態のままで茎を太くはできないということらしい。10月1日に講習があって、教えてもらった。

この講習は「緑化推進リーダー」のためのもので、緑化フェアの手伝いもするが、その後の緑化運動も含めた活動家を養成するものらしい。公園協会が主催。「緑化フェア・ボランティアリーダー」の講習と別だ。混乱。

花2種、もらった。教材として。1日にもらって、ビニールポットのまま置いて忘れていた。3日の夕方、鉢を買ってきて植え替えた。危なかった。すまなかった。

今日は文化資料館の展示を、緑化フェアのパネルですることにして、市役所の緑化フェア推進課にパネルを借りに行った。それがために、公民館文化祭の舞台打ち合わせがあったのを忘れてしまい、担当者にご迷惑をかけた。来週月曜に再設定。

文化祭の演目は「西郷隆盛」にした。「篤姫」が話題になっているということと、「敬天愛人」に生きた西郷のあり方が、代替わりの時期を迎えている政治業界必須科目になると思うから。

吟題は「千秋 動かず 一声の仁」(永久に変わらないのは仁)と詠う『一声の仁』、「児孫の為に美田を買わず」と詠う『偶感』、そして西郷の死を悼み、悲しみの中に作られた西道僊の『城山』。吟じ方を工夫しよう。

2008年10月 2日 (木)

実るほど頭を垂れる稲穂かな

田の水面を渡る風に、頼りなげに揺れていたあの草が、堂堂と立ちしかも先端にずっしりと重そうな実をつけている。いまはまだ緑の草の色だが、早晩、黄金色の実りが溢れた田が一面に広がる。

芥子山から眺める実りの秋の風景は、いつ見ても美しい。今年も見に行こう。

2008年10月 1日 (水)

「北の駅から」と「チャングムの誓い」をまた見る

「北の駅から」を先日から2回目を見ている。そしたら今日、「チャングムの誓い」が再び始まった。同じ作品を繰り返し見る経験はこの2つが初めて。「北の駅から」のストーリーは、知っているのだけど、登場人物に毎回気分が乗ってしまう。

食堂で酒を酌み交わしているのなんか、うまそうだなぁ・・・と。家族で食事をしているのがよくあるが、感じる雰囲気が「3丁目の夕陽」と似たものがあるのでは・・・。3丁目は見たことないが、ふとそう思った。

いま現実の晩飯の声がかかった・・・。

2008年9月29日 (月)

朝が冷え込んできた

寒い・・・を意識するようになってきた。雨模様で合羽を着るときも、下着一枚から長袖のYシャツを足すようになった。合羽を着るとまだ汗が出る。

それにしても、このところの冷え込みは、冬の寒さを想起させる。もうそろそろシャワーだけでは寒くて、窓からの朝の風に身体を冷やすというわけにはいかなくなった。

最近は眠たくなるのも去年と違う。2日も昼寝無しでいると、3日目の昼は朝飯を10時過ぎに食べ終えてから、ほどなく眠気がしてくる。昼寝は3時間もなるときもある。今日は、11時40分ころから眠気。2階で「孫悟空」の夢を見ていたら、敬老会の案内で来たこの地域の世話役で、同級生のおばちゃんに起こされた。30分しか経ってないときだが、随分と寝たような気がした。

2008年9月28日 (日)

意味がわからないことを言う国会議員

中山という国会議員。信念?を吐露して大臣5日目にして辞任。自民党最大派閥、総理大臣を4人連続で出した町村派の事務総長。麻生内閣組閣で入閣の割り当てが少ないと押し込んだのがこの人だそうな。

ある面正直に言ったということ。自民党の多くはこういう考えなのだろう。ずーっと政権党だから、強者の立場でしかものが見えない。現状認識がズレていてもわからない。

選挙民はどう判断するだろうか。宮崎が選挙区。

政治家は言葉に責任を持つべきことを選挙民が教えるべきだ。失態・失言・はては公約不実行でも、当選させてきた選挙民がいるならば、それを変えなければ。

きちんと責任ある仕事をしないと、落選する・・・そして、政権を失うという緊張感を、選挙民がつくらなければならない。

小泉さんが次男を後継者にした。世襲の問題の一つは、周りから持ち上げられた人間関係の中で育つこと。政治業界だけしか知らない場合、視野が狭くなる。ただ、その気になれば自分を鍛えるいろんな刺激があるのは恵まれている。次男を後継指名を聞いた時、小泉さんは、国民に与えたイメージほど改革者ではないということ。結局、旧来の遺産を守る人。あの構造改革は、アメリカの要請を実行しただけ・・・という指摘がうなずける。

自民党の中での劣勢を、あたかも自民党を否定するかの印象を与えて、世論をあおり、党内の勢力関係を逆転した。いま自民党内は、もとの木阿弥・・・という印象。

やはり、政権交代を一度しなければ、だめなのだ。

2008年9月27日 (土)

同級生が亡くなった

癌だった。何年か前に胃を切除して、今回は肺にも転移していたという。酒、タバコをやめなかった。言うことを聞かなかった・・・とも。思えば、33年前、我が親父が亡くなったのが数えの62歳。今日の同級生も同じ年齢。挨拶をする喪主の息子に、昔を思い出した。

私の親父も胃癌で手術した後、酒を止めなかった。直腸に転移していて、胃癌手術から3年後に再発してダメだった。なぜ止めるのに酒を飲んだか・・。恐怖心があった。そんな気がする。当時、私は東京で勤務。いま思うと、親不孝だったな。親父が何も要求しないから、それに甘えていた。いまだに親孝行ができていない。

今夜の通夜式には多勢の弔問客がおられた。その一人が「やんちゃしとっただけあって、付き合いがおおいは・・・」と話していた。棺の中の彼と対面した。亡くなった彼の親父さんと面差しはよく似ていた。傍らに立つ、喪主の息子さんに「おじいさんとそっくりじゃな・・・」と言うと涙顔のままうなづいていた。

同級生の物故者は、30人になった。

2008年9月26日 (金)

バナナが品不足という記事が朝刊に

やっぱり売れてるのか。バナナダイエットの番組の森公美子のせいだ。それにしても、日本にはダイエットしたい人が沢山いるのだな。

さっき泉ピン子が「食べたものを書き留める」という「レコーディング ダイエット」を今年の3月から始めて、4ヶ月で64kgから48kgに減量したドキュメントを見た。一人の女優のダイエットぶりが2時間番組になる。制作費は割安で、ダイエットという魅力的テーマで視聴率は稼げそうで、結構なことだ。

考えると、肥り過ぎが多く出る食生活ほどムダなことはない。最近「地産地消」が盛んに言われるようになった。輸送費が安い?頃は、生産コストの低いところで大量生産をして、消費地に輸送したほうが利益がでたのか。

それにしても、「儲けること」が最優先。その「儲けること」の内容を見直すと、どこかに犠牲を強いていることを勘定に入れないまま「儲け」を自分が取っていることに気づきつつあるのが最近の流れか。

日本の人口は明治初年に3500万人ほどだった。一億人を超えるのが昭和42年。いま1億2800万人ほど。産業が増え、経済力が増えたからこれだけの人口を養えるようになった。しかし、大きくなった社会システムが、いろんな部分で勝手な動きをするのを、コントロールできなくなってきて、社会を構成する人同士の信頼を損なう事件が多発している。

なにが悪いのか。全体を思う思考回路が無くなっているのが悪い。「自分」という言葉は「自」という個性と、「分」という全体の中の一部を現すものとが合体したもの。「自」ばかりを言うのが最近の傾向。「自」が儲かることにばかりに気をとられ、結局、同業他社やその仕事を支えている人たちに損害を与えることに気づかない。結果、永年に渡って築かれた「信用」をガタガタに崩してしまう。そんな人ほど、「やり手」と言われてきたことが、今後は改められなければならない。

バナナの品不足に対応するのに、「他国分に回る量から引っ張ってこないと・・・」というコメントがあったが、「その他国の量が減ると、その国のバナナの価格が上がって、そこの人たちに迷惑をかける」ことになる。

余分に