西大寺学区の住民運動会は、旧町内会単位でチーム
昭和47年に新住居表示になったから、37年が経ったわけだが、生活場面では、町内会は旧町内をそのまま継続している。だから、西大寺2丁目町内会というのは、存在しない。
秋の住民運動会のチーム編成も、旧町内毎。
旧町内の色分け地図をつくろうと、地元の方々を訪問して、いまも旧町内が存続していることを知った。だから、町内会の世話役は、旧町内の範囲図を、自前で作っているようだ。
22時22分、眠たいぞ・・・。
昭和47年に新住居表示になったから、37年が経ったわけだが、生活場面では、町内会は旧町内をそのまま継続している。だから、西大寺2丁目町内会というのは、存在しない。
秋の住民運動会のチーム編成も、旧町内毎。
旧町内の色分け地図をつくろうと、地元の方々を訪問して、いまも旧町内が存続していることを知った。だから、町内会の世話役は、旧町内の範囲図を、自前で作っているようだ。
22時22分、眠たいぞ・・・。
今日は愛郷会の展示室作りだった。
展示は地図が5点。西大寺の旧町内の区域を色分けして、来場者の思いでを聞かせてもらい、掲示できることは書き記そうとおもう。
旧町内地図に対比して、昭和47年に始めた新しい住居表示の区分地図。
昭和38年と昭和32年製の西大寺全図。それと、もう少し前の西大寺地図。
模造紙大にそれぞれ拡大コピーしたものだから、見やすいとはおもうが・・・。50年ほど前の地図を見ながら、来場者が思い出すことを押さえていきたい。
6時過ぎから野球を見たり他の番組を見たり・・・。1-0でリードされたまま、藤井投手を打てそうもなく、こりゃ負けるな・・・と思った。8回投手交代で、デッドボールでイースンヨクが出塁した。そこでチャンネルを他に回して、戻したら、同点。
2階へ上がって、パソコンを開いたら、9回高橋勝ち越し弾で2-1と日ハムリード。「なんじゃい」と思って、速報を見ると、2-2になっている。亀井が本塁打。
携帯のワンセグを見ようと、チャネルを探している間に、劇的な結末がついていた。チャネルにたどりついたときには、原監督の弾んだ声が流れた。
この間の動きの早さ。そして、予想外の展開にビックリ!
藤井が続投していたら、どうだったか。疲労が出たか、そのまま抑えたか・・・。手堅く交代をしたことが、均衡した全体の空気を動かしたのか。
打たれた側はガックリだろう。しかし、移動日の間に気分転換するのだろう。
松井がMVP。6打点。夢をかなえた。「日本の優勝と比べたらどうだ?」という質問に「こっちの方が素晴らしい」とは言わなかった。しかし、「いまが最高・・・」とニューヨークの歓喜に応えていたのは、宗教家の教育を受けた松井らしい。
巨人ファンにはたまらん日になったな・・・。負けると気分悪いから、私もファンか?
120万で買った12組の鑿(ノミ)が、今日の鑑定では300万。大正から昭和にかけて存在を知られた名工で、グラインダーを使わず手作業で優れた鑿を作り続けた、二代目市弘。
初代の兄が亡くなり、18歳で二代目に。
企業としては、三代目のとき平成18年に廃業になっていた。
鑑定者の曰く「幻の鑿。3セットあると言われ、今日のこれ以外に2セットあることになるが、どこにあるかわからない・・・。名品です。これを使って、名作を作ってください。」
出品者は木工製作業。東京都認定の「木工マイスター」。埼玉県草加市で本業の傍ら、若手大工さんの指導も。
研鑽、練磨が欠如した我が半生だから、こういう名品とその作者とそれに出会ってその価値が解る人を知ると、残る時間に、その境地を味わってみたいと思う。
いまはこのレベルでも、続ける才能があれば、進化していくことは可能だと信じたい。振り返ったときに、やっぱりそうだ・・・と言いたいもんだ。
一日中、強い風が吹き、部屋の中も冷たさを感じる日だった。そうか、冬はこれより冷たくなるのだ・・・と、思い出させる冷え方だった。
11月は日曜日ごとに行事がある。8日は西大寺公民館の文化祭。15日は岡山市吟剣詩舞道連盟の50周年大会、22日は西大寺文化資料館主催の高橋秋華展、29日は来年の国民文化祭岡山大会のプレ行事の岡山県吟剣詩舞大会・・・という流れ。
舞台で発表するという機会があることは、有難いこと。体調、声調を最高に整えて、作者の思いを聴衆に届けて、聴いて良かった・・・と言ってもらえるようになることだ。吟じる詩はそれぞれ別々だから、練習の配分を上手くしておかなければいけない。
自己満足に終わらないように、凛とした声が出るようにレベルアップだ。
閑静な谷間・・・閑谷か、と思うようなところ。ここに1670年に創建された、庶民を教育して地方のリーダーをつくる学校であった。現存の建物が完成したのは、1701年。1868年に在学生54名(このうち家中武士の子は15名)を数えた。
「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」
「古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす」
1冊200円で、「あいうえ論語」(財団法人 特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会 編)がある。そこに「あ~わ」を始めとする論語の教えを収録している。
明治維新からの欧米先進国への追撃を可能にしたのは、江戸期の庶民教育の普及であった。池田光政公は、その中でも先頭を行く優れた藩主であったと思われる。
今回の閑谷学校行きは、「光政公坐像」を初公開というのがきっかけ。しかも、10月31日が最終日であった。県外含め、多くの人が来ていた。人が少
ないときに、もう一度来よう。
坐像がよく見えない。カメラにズーム機能が無いので・・・残念。
天井の梁は、講堂の中の「飲室」(学生たちの休憩室。ティールーム)
今年6月30日に新聞店にあるイナバの物置の下に隠れていた子猫を捕まえて、叔母の家で飼い始めた。4ヶ月目の今日、避妊手術をした。
昨夜9時から絶食。朝9時半頃、病院へ。陽が暮れて6時半、病院へ迎えに行った。
診察室の台のの上に、カゴに入ったネコがいた。こっちを見て、「ニャー」と鳴いた。医者が手術の説明をしてくれた。手術をした部位を見せてくれた。お腹の真ん中あたりに、切って縫ったところがあった。
ネコはびっくりしただろうな。昨日の夜から様子が違うな・・・と思っていたに違いない。
ネコの血液を採取して、エイズと白血病に罹っていないかどうかの検査も受けた。無事だった。
しばらくはオトナシクしているだろうな・・・。無事でよかった。
小国・・・小さな国、寡民・・・人口が少ない。つまり、田舎。
その食を甘(あまし)とし その服を美とし
その居に安んじ その俗を楽しまん
田舎のままの衣食住に満足し、田舎の風俗、文化をこよなく楽しんで生きる。
行動範囲が狭くなったとつくづく思う。人生の段階をこなして、ゆとりある今なら、それも良いが・・・・。ちょっと違うから、寒いものがある。
「立志 練磨 靖献」という人生訓を考えた。いまさらではあるが、「老いて学べば、死して朽ちず」であることを目指して、古人の経書を読むうちに自分が欲している語を選んだ。
朝の番組「どーも気になる」で、デビ・スカルノさんが「派遣おばさん」で職業体験をするコーナーがある。先日は、東京・文京区で「賄いつき下宿屋」を50年続けているところに派遣された。学生が23人だったか。男ばかり。皆、真剣に未来像に向かっている。下宿の85歳の寮母さんは「こんな学生さんがいるのだから、日本の将来は大丈夫だと思う」と。
こんなアラ60がいるのだから、日本の将来は大丈夫!・・・と言われるようにしたい。
地方出先機関を地方分権の方針に従って、組織変更しようとすると、労働組合から「賛成しない」意向を示される。増田前総務大臣がテレビインタビューで語っていた。
今の日本の労働組合は、正社員の労働組合。組織率は20%を割って、「構造不況業種」と自嘲的な診断を下している関係者もいる。
昨年秋以降のリーマンショックの不況の中では、派遣労働者を守れない実態が示され、いま政権交代した中で、行政機構改革に抵抗する勢力との見方が広がる。
かつて、黎明期の労働組合は、新しい日本をつくる勢力だった。働く者の権利を守り、賃金を上げ生活を改善するために存在した。いまもそのことは変わりはないが、どこか違ってきた。
経済のグローバル化に伴い、国内だけの発想では対応できなくなった。社会の構成組織として歴史を積むうちに、自己変革がおろそかになった。現状維持で推移してきた。だから、保守勢力と言われるようになった。所詮は「予算団体」だ。
民主党政権下で、これからの変化に、如何に対応するべきか。
労働組合が賃金を上げることの影響力が低下してきたころ、「文化活動」に存在意義を求める動きがあった。いまその成果は見えないが、この路線を追求することは、いまだからこそ大事だと思う。日本が日本を必要としているのだと思う。いままでとは違う現代の日本の世相を嘆くなら、これが日本だ・・と伝えるものを明らかにしたい。
ちょっと抽象的で読み辛いこととなりました。反省。
上下二巻。上を4分の1ほど読んだ。頼山陽は若いとき、父親と不仲であったと聞いた。その理由がよくわかった。また、後年、「母を奉じて嵐山に遊ぶ」と題した七言絶句を作り、「冑山の歌」(律詩)に見られるように、山陽が母にかける思いやりの深さが何故であったのかがよくわかった。
見延さんはどれだけ資料を集めたのだろう。父・春水、母・静、叔父の春風と杏坪、菅茶山、そして山陽。登場する人物のキャラクターを巧みに描き出している。
今後、頼山陽作の詩を吟じるときは、気持ちの乗りようが違ってくるかな・・・。
伯母の誘いで牛窓の秋祭り見物。
牛窓には「船型」の山車が何台かあって、何れも、江戸時代の作の立派なもの。今日は5台が、保有する町の人達に引かれて、練り歩いた。東町、関町、綾浦町、あと2つは聞き漏らした。添付の写真は、小さくて見にくいが、関町の山車。船首に龍の上半身?がある。
この関町の引き手の若衆が着ているものが、女物の赤系統の肌襦袢。「何で?」と尋ねると、昔、関町には色街があって、そこの女性たちは祭に参加できなかったため、せめて着物だけでも・・と男衆に自分の襦袢を身に着けてもらったそうだ。
船の中では、子供らが太鼓や鼓を叩いていた。
初めて見た。神功皇后の船団も停泊したという、古くから風待ちの港として栄えた牛窓ならではの秋祭り。大人も子供も楽しみだろうな。
祭は人の絆を太くする。神戸の震災時、祭を持っている町内会は相互扶助が力強かった。
巨人・中日第4戦、5回の中日は1死満塁。リリーフした巨人の越智投手が、森野とブランコを連続三振に抑えた。
強いチームは出てくる選手がきちんと役目を果たす。昨夜の途中経過で4-2で中日が勝っていた。こりゃ負けるな・・・と予想して寝たら、配達終わって見た朝のニュースで逆転勝ち。代打・脇谷が期待に応えた。
いまどこのチームのファンかといえば、特定は無し。しかし、子供の頃から、巨人ファンが
長かったので、巨人が負けると面白くない気持ちになる。
「巨人 大鵬 卵焼き」そのものだった。
6回裏、巨人が1死3塁、打者小笠原。結果は四球。
眠いので終わり。
村上リカコ・・今朝のはなまるにゲスト出演。相変わらず、元気なトークをしていた。中学1年13歳でモデルデビューして、今年芸能生活30年だそうだ。
はなまる司会の薬丸が中学3年デビューの芸能生活28年だそうで、同じ時代を過ごしたとのこと。
息子2人の母親、1年前か離婚したニュースを記憶。その後再婚したのかどうかは定かではない。この人と江角なんとかとが、似たイメージ。
江角がレギュラーになったナイナイの食事した価格当てる対戦の番組で、最下位になって口惜しさ一杯の反応を番組関係なく現していたことがあった。なんとも可愛かった。
この二人の女性に共通する感じは、世話焼きの雰囲気。自分がしたいからする・・・という雰囲気。楽しそうな女性ではある。
朝のラジオでこの話題がホット。「寒さをこらえてベランダで1時間。一つは短かったけど、もう一つは長かった。東の空にしっかり見えた」「粘ったけど見えなかった」
リスナーからの情報が紹介され、各地で夜中から明け方にかけて、「流れ星」を探して、いつもと違う時間を過ごした話がいろいろあった。
私も昨日から配達しながら、時々オリオン座を見上げてみたけど、なんせ、長時間見るわけではないから、流れ星には出会えなかった。2日とも空は晴れて、星が綺麗だった。
いま、携帯のワンセグで巨人ー中日を見ながら、ブログを書いている。小さな画面だけど、中身は同じだ。便利だ。
流星群は23日未明が最後らしい。天気予報は晴。もう一度、気にしながら走ってみよう・・。
このところ、新しい住居表示と旧町名との照合に取組んでいる。
今日は、新しい住居表示について市役所に取材に行った。昭和38年に「住居表示に関する法律」ができた。その狙いは、わかりやすい町づくりにつきる。
「あぁそうか・・・」とわかったのは、既存の「A町○番地」の「番地」は、「不動産登記法」に基く「地番」ということ。目的が違うから、「順序よく並ぶはずがない。
不配当番で連絡のあった家を探す時、地番が飛んでいて探すのに大変時間がかかることを何度も経験した。その点、住居表示が完了しているところは作業が早い。宅配業の人達にとっては、生産性に直結することだ。
住居表示を作るのは市役所で、地番を扱うのは法務局。
住居表示として新しくするには、ある程度の規模の町内でなくては、できないようだ。
因みに、京都は碁盤の目のように筋と通りができているから、住居表示が要らない都会とのこと。
イチローが話題になるときにいつも気づかされる。「一定した生活のリズムを、作って、それを継続している。まさに求道者」
一定したリズムを持つと、身体も心も良いコンディションでいることができる。能力は上がっていくのは確かだ。
先日、「88歳の現役ピアニスト 室井麻耶子」さんの番組を見た。6歳のとき、父親がピアノを買ってきた。それ以来、ピアノと生活してきた。
「バッハ語がわかるようになってきた。中世の作曲家たちが、なぜ、このような音符にしたかを、感じ取れるようになってきた。長生きしているおかげだと、感謝しています・・」いま、若いお弟子さん15人。1日8時間はピアノの前。
人の生活ぶりを聞いて、それをブログに書くことはできても、自分の生活ぶりを書けない。それは、自分の生活には、核が無いからだ・・・と反省する。
室井さんはピアノとともに暮す。若い人達を指導する。それは、伝えることを持っているからだ。心身を練磨した、室井さんしか話せないことがあるからだ。
そういうものができる生活をしなければ・・・・・。表現できる技能を磨くこと・・・。
「戦国時代、筒井順昭が死に臨み、子の順慶がまだ幼かったため遺言によって死を隠した。そこで、順昭によく似た【木阿弥】という人物を病床におき、周りの者は城主の如くに仕えたが、やがて死が公表され、木阿弥は元の市井の人に戻ったという話が由来」
私の場合、酒が元の木阿弥・・・か。毎日酎ハイを350ml×2以上飲んでいる。毎日、夕方買いに行く。ひところは、酒売り場に近づきもしなかったのに。酔う気分が毎日続くようになっている。ひところは、食事の時間がとても短かった。
昨日健幸プラザに久しぶりに行った。体重計に乗った。84.6kg。本当か?また調子が良くない、機械の計測だ。信じまい。でも、この機械が正確なら最高なんだが・・・・。
お腹が空いた。
今日は休配日。いつものように、2時45分に目覚ましが鳴る。止める。53分にまた鳴る。止める。それから何分かおきに・・・8分おきか・・・、目覚ましが鳴る。その度に止める。そのうちに寝入って、電車の音に気がついて、「あれは5時27分の電車か・・・」と勝手に思って時計を見たら、5時31分。
6時過ぎまで「地名の由来」の本を読んで、散歩に出かけた。
コースは砂川土手。右岸を歩いて金田橋を過ぎて、一の堰の橋を左折。こんどは左岸を朝陽を右に見ながら、黙々と歩いた。散歩をしている人、犬の散歩をしている人6人と出会った。「おはようございます」と声を掛け合った人、5人。一人は何も言わなかった・・か・・聞こえなかった。
ほぼ1時間の散歩だった。
「あさひ影 黄金の波 しずかなり」
土日と、ビクター吟友会の吟剣詩舞の全国決勝大会が、倉敷芸文館であり、その手伝いに行った。土曜日は剣詩舞の先生を呼び出して岡山駅西口でノドを潤した。帰ったのは10時前。ブログは確かに書いたのだけれど、「保存」を忘れて、記録されていなかった。
日曜日は、大会が6時半過ぎまでかかり、幸いにも倉敷駅で赤穂線回りの電車が来て、大多羅駅に8時前に着いた。靴が歩きにくい革靴で、足がくたびれていたけども、しょうがない、いまは人と自転車専用道路になっている元軽便鉄道の線路道を歩いて、途中から、住宅地に進路変更して、スーパーのニシナに食料・飲料を買いにいった。
980円ほどの寿司が40%引きだったので買って、酎ハイの350缶を2本買った。
月曜日は、明日は寝られるとのんびりしたが、結果、8時半過ぎに寝てしまった。
寒くなると虫が羽をこする速さも遅くなって、その音は「秋めいて」くるらしい。
パソコンの前に、半袖半パンツでいると、肌寒くなってきた。10月に入って今日が9日。3分の1が終わり。早いなぁー。すぐ12月で、クリスマス商戦だ。
地元の旧町名の範囲を確定しなければならない。いまの各町内会長に聞いて回るのが、効果的だろうな・・・。
眠い・・・・お先に・・・。
昭和30年代初めのころのことだと思う。鐘紡西大寺工場の社宅に住んでいた。台風が来るというので、雨戸を閉め、それを角材で補強するにわか大工の親父がいた。
外の光が入ってこない2階で、幻灯機でロールフィルムの漫画を見た。ポパイの漫画だったか。勿論、モノクロ。音響などは無い。フィルムは自分で手回し。
家にはお菓子の買い置きgあったような気がする。台風が来るのは、お祭みたいなもので被害を思うようなことはない、気楽な年齢のころの話だ。
今回の台風はこの10年で最強らしい。伊勢湾台風と同じコース。防災対策は進歩しているだろうが、災害が無いことを祈るばかりだ。
明日の配達時の雨風の具合が気になるが、なるようになれとしか考えようがない。転ばぬように・・・・。
いま西大寺の旧町名といまの住居表示を合わせる作業を始めた。元町、幸町、本町、市場町、渡場町、今町、掛之町、川崎町、新堀町、上之町、旭町、中村、中福、北之町・・・これらの名称は、生活面での地域割りの名称で、住居表示ではないのか・・・。
この名称の由来が明らかになれば面白いだろうと、その資料探しに、県立図書館に行った。2階の郷土コーナーで尋ねた。係の女性スタッフがパソコンで検索して、貸し出し可能な本と、館内利用しかできない本を運んできてくれた。空いている席でパラパラと読んで、1冊借りることにして、カウンターに戻ると、その係の娘は4冊をまた探し出してくれていた。また、席に戻って、パラパラ読んだ。館内利用のみの本だった。
その4冊を戻しにカウンターに行った。世話してくれた娘は他の応対をしていたので、本を置いて去ろうとしたら、応対を中断して、私を呼び止めた。もう4冊貸し出しができる本を用意してくれていた。
県立図書館は、なかなか良いところだ・・・。
ワンセグ・・・というのは、地上デジタル放送で、携帯電話などの移動体向けの放送のこと。
日本の地上デジタル放送方式では、1つのチャネルが13の「セグメント」に分割されており、このセグメントのうち1つは、移動体向けの放送に予約されており、これを使って放送するのが「ワンセグ」。
先日、電話会社の甘い言葉に乗って、電話機種を変えた。なんだか知らないポイントが3000余りあって、5000円の電話機が、2000円ほどで買えた。その電話にあったのが、テレビのワンセグ。
テレビなんて、自宅にあったらいいだろう・・・、と思っていたが、外出して手持ち無沙汰のとき、見てしまった。
ところ構わずテレビが見られるのは、やっぱり、ダメだ。いつでもテレビが見られることを保証するのが便利な世の中なのか。便利であることを追求するのが、善ではない時代に入った。
眠い・・・チャルメラが客を呼んでいる・・・・。
同業の他紙配達人が3人ほど・・・・、犬を2匹ずつ連れて散歩している夫婦・・・、最初は徘徊かと思った老婦人・・・、蛍光タスキをして歩いている高齢男性・・・、芥子山に登りに行っているのだろうと思わせるご婦人・・・、芥子山小学校の塀のところで会う夫婦・・・、暑い時は休んでばかりのシーズー犬に付き合っているご婦人、踏み切りの辺りで出会う芥子山帰りのご夫婦・・・。出会ううちに新聞を購読してくれたご婦人には、最近会わない。心配・・・。
朝は、新たな始まり。ソロバンでいう、「ご破算で願いましては・・・」の感じか・・・。
月が沈み、陽が昇る。朝焼けがあって、燦然たる太陽が現れる。
ゼロだ。また今日が始まる・・。
朝、暗いうちから動いている人は、自分で決めたものがあるのだ。受身ではない、この先に描くものが、この先に向かうものがあるのだ。3日坊主であっても、違う世界に行こうとしているのだ。
立志だ。
「頼山陽」を著した見延典子さん。30年ほど前に、「もう頬づえはつかない」を大学生卒業の頃に著して、大ベストセラーに。
結婚して広島・竹原市に生活していた。ここは、頼山陽が育ったところ。地元の研究グループで活動するうちに、創作意欲がむらむらと起こり、「若きころ不良少年?で親に心配かけた頼山陽に興味が湧いて・・・」と新聞書評にあったのを読んだ。
地元の図書室に久しぶりに行ったら、「頼山陽」上・下があった。
詩吟をすると頼山陽さんに出会う。西大寺にも来られたようだ。日本外史をまとめた。儒学者の父親と対立しながら、自分の道を作っていった。エライ。
それを主婦業のかたわら、その人生をまとめて、自分の視点から表現できる人も、エライ。
84歳で作家デビューした女性がいる。若いとき本の編集に携わっていた。結婚して、ご主人に仕えることを最優先。ご主人が亡くなられた。再開した。五重塔などを建築する職人の世界を描きたいという出会いがあった。宮大工の棟梁のもとで1年間?学んだ。
大工は規矩の世界。寸法をきちんと計り、それを組み合わせていく。それは、大工の生き方にも及ぶ。そうして完成した五重塔は風雪に耐えて、雄姿を現す。規矩たる生き方・・・を著した、この女性の名前を思い出せない。
いま、TVで「ぴったんこカンカン」に、吉行和子と富士真奈美が安住アナと埼玉・川越を物見遊山されていた。この女性二人の尊重しあい減らず口をたたき合う関係が、楽しげで、老いの境地の人間関係では最高だ。吉行和子のボケキャラは、岡山にもゆかりのある人だけに妙におかしい。
狭い借家だから、のびのびと身体を伸ばす場所も無い・・・といいながら、押入れに入っているもの、積み上げたラック?に入っているもの、ホームセンターで揃えた引き出しに入っているもの・・・死蔵しているだけか。
整理学の本をたまに目にする。「整理とは、次にすぐ使えるようにしておくこと」。使った後、もとの位置に戻さない。しばらくの間は、臨時に置いた場所を覚えているが、そのうち、時間と共に忘れていく。
そのうち、Aの入れ物が空いていって、違う空間が埋まってくる。
動作に合わない整理整頓だから、ダメなんだ。動作の流れに合った片付けの形をつくらなければ、空間はいつも乱される。
もし急死したとき、遺品の整理に手間取るようなことでは困るな・・・と思う時がある。そう思っても、なかなか片付かないのは、まだ他人事か・・・・。
「エコでおいしい料理対決番組」で優勝した友近に、審査員の一人石塚が賛辞を送った。
友近は魚肉ソーセージを4回の対戦全てに使った。自身がダイエットに取組んだときに採用した食材だそうだ。
それにしても料理番組の多いこと。担当者は、料理番組の見せ方に智恵を絞っているのだろうな。その結果、料理自慢の芸能人の出番が増えた。彼ら彼女らのアイデアや料理の手際の良さに、感心する。
思えば、食欲は人間の本能。美味いものが食べられると幸せだ。食材を見て、美味い料理がイメージできる人は羨ましい。インスタントラーメンのお湯を沸かしているとき、もっとどうにかしよう・・・と、よく思うのだが、まだだ。
新聞配達を始めて3度目の秋。午前4時頃のオリオン座は、真上の空に観る。
この本の副題は、「誰が日本文化をつくったのか」。
新聞の書評で知って買ったのだと思う。加藤徹さんが著した。私より、15才若い。
「漢文力」という著作も、この本を読んで知って、読んだ。
一度だけでは理解不足。いま、ノートしながら、再読している。
600年代の日本は、朝鮮半島の友好国・百済が滅び、遠征した戦いにも大敗して、唐や新羅の軍勢が日本に攻め込んでくる恐怖におののいた時代らしい。
半島から逃げてきた知識人、技能者を国づくりに活かした時代でもある。
600年代の後半には、地方の役所でも漢字漢文による帳簿が導入されていったようだ。「生産財としての漢字文化が普及していった。」と加藤さんは言う。
今朝の朝日新聞に、「加藤周一」さんのことが書いてあった。加藤さんは1919年生まれだったか、去年亡くなられている。
「漢字文化がある日本、中国、朝鮮、ベトナムに、漢字文化を蘇らせる作業をはじめたら、100年もすれば、何か共有するものが生まれるだろう・・・」というようなことを提案されていたらしい。
鳩山さんが東アジアの交流を打ち出したら、アメリカはアジアから疎外されるかも・・・と警戒する。乱暴にいえば、東アジアの付き合いは、建国200年少々の国よりはもっと長い付き合いなんだ。1945年8月の敗戦以来の関係は、その長い歴史の中では、特殊な時期。かといって、その時期を踏まえて、長い歴史も考えるべきだが・・・。
漢字文化を貰ったのは、日本、朝鮮、ベトナムで、それぞれ、日本漢文、朝鮮漢文、ベトナム漢文があった。その中で、日本だけが、漢語を新たに作り出し、中国に逆輸出して、中国の新たな漢語を増やしている。
「日本からの漢語が、中国の進歩に貢献したのは事実だ」と中国の実績ある学者が認めているそうだ。嬉しい話。
先日のニュースで、文科省の補正予算チェックで訪れた大臣相手に、「タッチパネル」導入費用900何十億円を認めてもらおうと、デモンストレーションをしていた。タッチパネルは、普段の生活の中で、どれだけの場面を占めているか?便利だろうが、その分、人間の能力が退化するのは確実だ。
誰のための便利さか。それに巨額の金を投下する価値はあるのか・・・・?
それよりも、漢字文化がどのように日本文化の育成に影響を及ぼしたかを、全国の子供たちに、実感させることのほうが、価値がある。それを伝えることに金をつかうべきだ。
1400年前の日本で、新しい文化が到来し、新しい国づくりに邁進する人々は、それを活用する道を選んだ。漢字と仏教。
やはり、やる気が外に現れる。
自民党の外交舞台に登場した人達の印象は、存在が薄かった。英語ができないことがその一因だろう。鳩山さんは留学期間もあるから、大丈夫だろう。
外交は、個人のキャラクターが影響すると思う。表現力を豊かに発揮して、気持ちが入った関係を築いてほしいものだ。
表面的な現象のやりとりで会話が終わるのではなく、Mr.オバマと琴線をお互い響かせてほしい。勿論、各国の首脳とも。
「ボクの後に道はできる・・・」という詩があった。いままでのやり方と訣別するのだから、いままでのやり方に立脚している人たちから非難がでるのは当たり前だ。明日が良くなる方法を提示し、実行するのだから、それをしっかり伝えるのが、重要だ。
思っていることは、自分が思っているほど、人には伝わらないものだ。
愛媛で1万4千枚余りのA4の紙を使って、モザイク画の世界記録のギネス登録をしたというニュースがあった。高校の文化祭などで校舎の壁面に大きく飾ったモザイク画のニュースがある。
多くの人が参加して、常識を超えた作品を作り、それを見ることが出来て、協働作業の嬉しさを実感できる。インフィオラータも同じだ。簡便さからいうと、A4の紙でできるモザイク画のほうが、取組みやすい。
研究しよう。
B級グルメで、津山の「ホルモンうどん」が3位になった。津山を代表するグルメに育てた人達の努力に敬服。そして、全国にアピールしようという元気に拍手。津山でできるなら、ここでもやってみよう。食べるほうは参加できるが、作る方は、いまは自信ない・・・が、アンテナを張ろう。
高速道路無料化の実現性とどっちが難しいだろう・・・。
いつからか、祝日を移動させる法律ができて、祝日がいつだったかわかりにくくなった。秋分の日は移動はしてないらしいが、敬老の日が移動して、「シルバーウィーク」なる連休が発生。どうも馴染まない。
いまの生活は、毎日新聞を配達しているから、祝日も日曜も関係ない。こういうパターンに入ってしまえば、その規則正しい毎日は、心身にプラスだと思う。
「人生の五計」という。①生計・いかに生きるべきか。人間の本質的な生き方。 ②身計・いかに社会に対処していくべきか。社会生活における価値観。 ③家計・いかに家庭を営んでいくべきか。一家の維持。 ④老計・いかに年を取るべきか。老いる計りごと。 ⑤死計・いかに死すべきか。死生一如の死生観。
これを知ったのは、数年前。勝手気儘な生き方で50年以上過ごしてきた身にとって、反省・・・であった。
秋分の日から、夜が長くなる。春分の日から、昼が長くなる。自分が生まれる前から、それは変わらない。自然の摂理に叶った生き方・・・というと難しいけど、幼年、少年、青年、壮年、老年と年齢を経ていくのに素直に応じた生き方をするということだと思う。
ただ、生き方は育つ環境がそのもとをつくる。親になって、子に接するときの自分のセンスに、自分が親から受けた影響を感じる。学生時代の部活などで、強烈な指導者の人間性に鍛えられる機会があれば、親の影響は薄まるかもしれない。
秋の夜長と冷気は、いろいろ思いを巡らせる。
美輪明宏さんが「オーラの泉」で言っていた。
半ば枯れたプランターのなでしこたち。4月、5月の盛んに咲いていたころは、心弾んだ。盛りが過ぎて、切り戻しという作業を施して、また花が咲いてきたときには、呼応する自然の関係に納得と張り合いを感じたものだ。
同じ庭で、挿し木をした名を失念した2種が芽を出し葉をつけ大きくなっていった。鉢に移植してからも大きく育っていった。が、鉢の土を間違えたのか、ある時から、枯れてきた。いま、5鉢あったのが、2鉢しか、葉が残っていない。
なでしこのプランターも、6つあるのが、それぞれ花はすこしずつ咲いているのだが、葉が茶色くなっているのが多くなった。
花は献身的だから、美しい・・、という美輪さんの言葉は、耳に残った。
来春、どこかに花の絵でもつくれればよいな・・・と思っていたが、ぼんやりしている間に、時期が過ぎようとしている。
なでしこの世話は8月の暑さの間に手抜きをして、いま、葉が茶色、花は少なくなり、枯れた花もそのままに、恥ずかしいプランターが並んでいる。
ネットで「インフィオラータ」を検索すると、神戸で平成9年から北野を始めとして数箇所で5月のイベントに定着していた。開催のノウハウも確立しているようだ。
「インフィオラータ」とは、「花を敷きつめる」ことらしい。ヨーロッパの宗教のお祭になるのだろう。
色とりどりのチューリップの花びらを使って、実行委員会が決めたテーマを絵にする。絵をデザインする人、そのデザインを街の通りの現場で花びらを並べる作業をする人。神戸の場合は10m×5mほどのサイズらしい。
見ず知らずの老若男女が、一つの絵を協働して仕上げていくのが良い。
創作活動で、参加する人たちが偏らない、そして結果が見られて、美しいものである。絵を描くことに関心が深まる・・・そういうイベントができないか。
ハローワークのパソコン講習の仲間11人が今晩、集まった。Nさんのご主人が昨年死去。それで激励しようということが、何人かの話し合いがあり、そのうち全員に声をかけようとなって、市内の人を中心に、集まった。
前回から、2年経過。太った人がまず目立った。仕事はそれぞれ。皆さん、元気でよかった。
3ヶ月の講習期間。パソコン講習をきっかけに出会った間に、いろんな接点ができている。花を育てる会話、犬を世話する会話が今日も花咲いていた。
「年に1ぺんは集まろう・・・」と若い仲間が帰り際に声を上げていた。
高齢者のおっちゃん二人は、成田家へ向かった。
選挙で政権が交代するということを、予測できなかった。その分野で活動していた頃は、中選挙区で、衆議院では30名あたりをうろうろ、参議院の全国区に組織内候補で4~5人を立てて、3~4人当選させるのが精一杯の時代だったと思う。
今日の組閣で、労組出身の直嶋さんが経済産業大臣に任命となった。政権交代の象徴的なことの一つだろう。
選挙制度を変えたことが、今日につながったのだ。
マスコミは相も変わらず、「権力の二重構造」と面白半分の害毒ニュースを流す。無礼な輩だ。そういう報道をどんな根拠でできるのか、その職業意識の中身を聞いてみたい。
当事者にならないで、なにもかもお見通しであるかのように、わかったようなことを言う奴がいると、ほんとに、不愉快だ。自分の中にその一面を感じるから、余計に、腹立たしい。
新政権が喝采を浴びる日を早く掴むことを、祈ろう。
9年連続200本安打達成・・というイチローの偉業。ケガをしない身体をつくる、ケガをしない日常の行動配慮、精神をいつもプラスに向ける思考、一喜一憂しない心の鍛錬、目標を高く妥協しない・・・・今を最高にするという考え方・・・・
達成したことを見てからのことだけど、ここまでやればできるか・・・・ここまでやれるか?やれないのは、自分が目標を下げてしまうから。
昔を思い出すと、繰り返し同じことをやれば上手になるのは当たり前だ・・・一回目でサッとやるのがいいんだ・・・みたいな可笑しなプライドがあって、努力することを、軽んじた。
中途半端。それでも生きられるからやっかいだ。それなりに過ぎればそれでよい・・・そんなレベルになっても口惜しくなくなっているのが、ダメだ。
何人がこの偉業に感動し、それぞれの人生を見直しただろう・・・。
高谷さんが勝っている。このNHK調査に出くわしたから、私の返事も入っている。
よかった。
同窓生有志と同窓生に働きかけた。電話やハガキで。私は電話は苦手なのでハガキで選ぶ基準を伝えた。多少は電話もしたが、やはり苦手。
その作業を通して、同窓生向けにハガキの定期便があるといいかもしれない・・・と思った。「また声してん・・・」と40年ぶりに話した相手から言われた。あるいは「ハガキが来たから、同窓会かと思うた・・・」とか。
たしかに、顔を知っている人数は少ない。それぞれの生活での付き合う世界ができているのだろう。でも、同じ中学校で過ごしたという共通項を定期ハガキで、継続し、今のことに何か活かしていくことがあればよい。
一週間前ほどか・・・夜、扇風機をつけっ放しにして、それも「中」で、目が覚めたときに、いつもと調子が違うな・・と感じた。それから、ノドが痒くなったり、飲んだり食べたりするとノドを通る時に痛痒くなってきた。
是を書き始めていま、携帯が鳴って、呼び出し。
居酒屋で飲んでいま帰ってきた。午前0時40分。これから一生懸命寝よう。
夕方近くになると、炭酸のノド越しの刺激が欲しくなる。摂生に取組んでいた頃は、炭酸でその欲求を止められた。いま、350ml缶の酎ハイになっている。そして、その後、ウィスキーの炭酸割りで2杯。
だから、食事の後に眠気がきて、ブログを書かないこと度々。
習慣・・・中毒・・・手放し辛くなるものに注意。
争点はあるはずなのに、噛みあうことなく、それぞれ言いたいことを言って、ライバルの言うことには踏み込まず、自分の支持者を抱え込みすることに懸命・・・という、選挙戦の印象。
これでは、選ぶ側は、いままでの一方的なつながりのなかでしか判断できない。市会議員レベルの選挙戦ではないかと思ってしまう。
政策が選ぶ基準ということだが、今の選挙公報では、十分伝わるはずはない。紙切れに項目を並べる程度の広報から、脱皮しなければならない。
世話になった人が推薦するから、この候補に入れる・・・ということを100%否定するものではないが、そのほかにも、選ぶ基準が伝わる仕組みをつくることだと思う。
いま首長に求められる能力によって、判定されるようになってほしい。選挙戦は、ある面、地域意識の啓蒙ではないか・・・。
外に出て、明るさにビックリ。そうか、もうすぐ満月だ。
こんな実感はいつ以来だろう。7、8月にはなかったような・・・・。
日の出は5時もだいぶまわる。周りは暗く、東の低い空が朱に染まっていく明け方が、気持ち良い。
地縁、血縁、職縁?自身と候補者との縁は?候補者の主張との距離。
かつて団体職員であった頃は、無条件に団体支持の候補者に投票した。団体を離れても暫くは同じ行動だった。そのうち、支持する根拠が解らなくなった。そうなると、情報が乏しい、判断材料が乏しいと思うようになった。
大義名分に頼っている人は、あまりあてにならないと思うようになった。労働組合の候補だから弱者の味方?首長であれ議員であれ、世間の人のためになる・・・という鮮烈な意識を持って、働くことだろう。
この岡山市長選挙では、西大寺方面では天野候補を推す市議会議員の活動が目立っている。天野候補は市職員歴30数年。副市長をしていたが、高谷市長に馘首された。そのためか、演説では、高谷批判、悪口が目立つようだ。
天野候補の7つの提言は、総花的「羅列」。いいことずくめ。行政のベテランを強調する人にしては、いいかげんすぎる提言に思える。
高谷候補は実績に基いて、次の挑戦に意欲をもっていることを感じた。
井上候補は、しっかりしたしゃべりと、市政構想をしっかりまとめて、将来有望の印象。
候補者を知っているから、あるいは候補者の血縁を知っているからだけでの投票を済まさないで下さい。おねがいします。
東海ブロックで、急遽、民主党の比例候補者名簿に最下位で載った人が、「みんなの党」の当選枠が該当者無しとなって、当選したそうだ。前回の自民党の杉村議員のように。
40歳代のフリーターの女性とのこと。親の介護で定職に就けずにいる。今後はそういう立場の人たちのために働きたいとのこと。
こういう稀な事が起こるのも、必然として、ガンバレ・・・と言いたい。
岡山市は総選挙に続き、市長選挙。8月30日告示9月13日投票。政令指定都市だから、選挙期間が2週間。6人が立候補。
私は、4年間手堅く実績を上げた現職を支持する。市の借金を減らし、経費を省き、市の仕事のムダを減らすことに成果をあげてきた。失政は無い。民間企業家のセンスを自治体運営に生かしている。
選挙運動が始まるといろいろ聞こえてくる。行政のベテランを売り物の元副市長の候補は、対立候補の現職市長の悪口を、よく言うらしい。個人演説会で、最初から悪口で始まったということだ。
選挙に出る人は、それにふさわしい見識があるものと思うが、そうでもないのか・・・。
どんな変化がおこるだろう・・・・。
民主党が浮かれなければよいが・・・。
マニュフェストで、できそうにないことに到った場合、信頼を崩さない対応ができるだろうか・・。
兎にも角にも、政権交代が現実化する。
「政権」担当経験者は、未経験者に、どんな心得を説くのだろう・・・。
どんな変化がおこるだろう・・・・。
民主党が浮かれなければよいが・・・。
マニュフェストで、できそうにないことに到った場合、信頼を崩さない対応ができるだろうか・・。
兎にも角にも、政権交代が現実化する。
「政権」担当経験者は、未経験者に、どんな心得を説くのだろう・・・。
4000個ほどだそうだ。
朝4時頃の空を見上げると、最近は、星空であることが多い。目に付くのは、オリオン座。金星。夏の空より冬の空の方が、星の数が多い。今の空には、賑やかな星空という感じはしない。気のせいか・・・?
長女3才の頃。東京都青梅市の都営住宅に住んでいた。青梅線羽村駅から、畑の道を歩いていた。5月の黄昏時。娘が空を見上げて言った。
「おほしさま、まだ、でんきつかないねー」
「民主、圧勝」バンザイバンザイの各地の選挙事務所。民主党本部は、首脳陣勢ぞろいで、満面の笑み、候補者一覧の壁には、当選のバラの花が一杯。
一方、暗い寂しい自民党本部。誰が踏ん張って報道陣に対応しているだろう。細田幹事長か。
公明党本部もお通夜状態。代表も幹事長も議席を失ったか・・・・。
15年前に小選挙区比例代表制度を導入して、ついに訪れた政権交代。小沢さんの悲願が成ったということか。旧来の自民党を代表する・・・・とか、田中角栄の手法を継承する・・・・とか、いろいろ言われることがあるが、ここまで運んできたわけだ。
この世に形で現す。選挙に勝つということだ。そのことを確実にした小沢さんは正しい。田中角栄さんが多数決の仕組みを活かしきったのを、直伝されたということだ。それから、制度改革、新政策が試みられる。すぐに理想型になることは、難しい・・・が、その心情が善なら、必ずそれに到る。
小沢チルドレンが100人を超えることに警戒感・・・・などという報道がもう出始めているが、こういう見方を、さも通らしく書く記者のセンスが理解できない。その懸念をどう解決できるかを小沢さんと距離をおく、他の議員と追求するところまでやってみるべし。日本を良くすることに加担したほうが記者冥利につきるのでは・・・。
昔、中選挙区で、開票速報の早い時期には、自民党の当選ばかりが続いたものだ。郵便局関係、農業関係、医師会関係、建設業関係・・・、多くの業界が自民党を支持し、野党は労働組合ぐらいしか支持組織がなかった。
20代、30代の若者には、そういう政党の支持関係は、知らないだろうな。
共産党への見方も変わってきた。建設的野党としての存在を示してほしい。2桁の議席は無理かなぁーー。
衆院選の投票に行った。以前は「不在者投票」。いつからか「期日前投票」。
IDカードを下げた若いスタッフが多勢いて、投票に来た人が、速やかに投票完了できるよう、目配り気配り部隊が編成されている。「30日はどのようなことで行けませんでしょうか」と後ろから、声がかかる。
市役所支所にしつらえた「投票所」には、期日前投票をする人が、引きも切らず。16時ころの風景さ・・・。
今朝は汗が出なかった。朝風呂がいらなかった。
ほんわり朝焼けで、上の方にたなびく雲があったから、ピンクの帯が連なっていた。向こうの方の田んぼの中に灰色の煙がかなり勢いよく広がって、草が焼ける焦げ臭いにおいが、ここまで漂う。田んぼは緑濃い米の草が繁る。今年は日照不足で、根の張り具合が良くないと聞く。心配だ。
日の出の位置が、南に移動している。冬至の日まで南へ移動していくのか。地軸が傾いた地球儀を知っているから、北回帰線や赤道に南回帰線をイメージできる。海の端は滝になって落下している・・・と想像していた時代もあった。
時代が進めば、現代の方が昔より進歩している・・・と思うのは、若い頃のこと。生物的にそう思うものなのか、教育の在り方で変えられるのか。何十年かで死んで、人間社会の構成員は交代しているのだから、人間の心がどんどん良くなっていくことは、有りえない。
「あきのたの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わがころもでは つゆにぬれつつ」ということは、いつの世もあることだ。
その気になれば。その気になるには、知らなければ。知ることに意欲を持つ。
猫も杓子も民主党の風潮に、危惧。比例区は共産党をおすすめ。
夜風が気持ちいい・・。あの蒸し暑さがウソのよう。何日前だったか・・・。
三日月が西の空に、白く輝いていた夜7時前か・・。
今朝も星が沢山見えて、東の空のオリオン座の位置が少し上がっていた。そのうち、26日月と金星のランデブーが見られるだろう。
残暑がまだ戻るそうな。
2時45分に目覚ましの音。「気がついた・・・よかった・・・」。
お盆過ぎると大気は少しヒンヤリしてくる。Tシャツ1枚では寒い?と思わせる。
昨日配達が遅れて、「こんなことなら、もう止めるぞ!」とお叱りを受けたところがある。私の心中には、2通りの反応がある。「朝には郵便受けに必ず新聞が来ていて、それを取り出すところから1日が始まる・・・、そのペースを乱してしまったことは、大変申し訳ない」というのと、「こちらがミスしたのは悪いけれども、そこまで言わなくても・・・」。
「1度ぐらいはある・・・」というのと、「1度たりともあってはならない・・・」。基本は後者。
「恕」と「怒」。よく思い浮かぶ文字。
西大寺観音院の精霊送りの行事。本堂大床の角に卒塔婆を供える場所を作り、「為○○家先祖代々之霊」などと書いた卒塔婆にお清めの水をかけて祈る。
境内では恒例の、盆踊りが櫓を中心に繰り広げられる。今年は、岡山市長選挙が近いので、挨拶に訪れた方もいた。
露店が並び、浴衣姿の若い人たちが夏祭りを楽しんでいた。
母親と叔母が、ご詠歌隊に毎年参加している。今年も8時から1時間、活動した。私は卒塔婆を供えて、お参りした後は、叔母の家で時間つぶし。猫は最近、外出する楽しさを覚えて、出たり入ったり。彼女たちが帰ってきたのは、9時40分も回った頃。
今朝は1年振りぐらいの寝坊で、店からの電話で起きたのが4時半。明日の寝坊は許されない。心配だ・・・・・・。
今年の岡山で「真夏日」と観測されたのは、7月に一日あっただけとのこと。去年は17~8回あったそうだ。
確かに猛烈な暑さの記憶はない。暑くて寝苦しいことは2回ほどあったか。
寝ているときの汗が、カブで疾走すると、もーーー涼しい。気持ちよい。北の空気が日本に入り込んでるときは、爽快さもひときわだ。南方の暖かい空気が入り込んだときは、もう最悪。なまぬるい空気の中を進む。
お盆を過ぎると、空気が変わってくる。影の陰影も、影が出てくる・・・というとわけ解らんかもしれないが、虫の合唱は、もう秋バージョンだ。
街は、選挙運動の真最中。
例のネコが、お腹を下したということで、病院へ連れて行くことを頼まれた。
外出用のカゴに入れられると、不安なのか「にゃーお、にゃーお」と異様な鳴き方をする。それでも、側に馴染みの人間がいるから、すこしは安心していただろう。
診察室に入ると、診察台が測りだった。ネコを持ち上げてデジタルの目盛が「0.00」になったらネコを下ろす。「2.36」あたりがこのネコの体重だった。
「草を食べた」「牛乳を飲み過ぎ?」「ストレス?」「餌は、最近変わったものを・・・?」お腹を下した原因は、このようなことにあるかも・・と。錠剤をもらって、「とくに心配はありません」と。猫の体温は38度くらいだそうな。今日の診察代2700円ほど。
カゴに猫を入れて思い出したのが、ウサギをカゴに入れて、新幹線に乗ったこと。大阪にいた頃、ウサギをベランダで飼った。西大寺から連れていった。嫁さんの実家は東京で、冬だったか、家族が先に行って、後からウサギを連れて新幹線で行ったことがある。車中、たまにフタを開けていると、通りすがりの乗客がのぞいていた。
「不戦の誓い、新たに・・・」。8月15日の新聞紙面に必ずある見出し。
今年それらを見ながら、思った。
「戦争を始めるかどうかは、国民が決めることにする。」と。国民投票で、開戦の賛否を問う。投票結果をどうするか。「100%開戦賛成」、「90%賛成」、「80%賛成」、「70%賛成」・・・その条件は論議の的になろうが。
明治憲法では、天皇の権限だった。いまの憲法は、戦争放棄しているのだから、戦争開戦を国民投票で決めようという論議は、矛盾することになりそうだが、戦争はしません!という新たな意思表示にならないだろうか。
例えば「開戦には投票総数の3分の2以上の賛成を必要とする」とした場合、他国は、「日本は戦争する意思を持たない」と判断するだろうか。
国民投票と衆参両院での賛否を総合する方法もあろう。
戦争はゴメンだ。「遺族の高齢化」「戦争の語り部の高齢化」「戦争の悲劇の風化」が問われているいま、「開戦の国民投票」という新しい視点で「戦争をしない」ことを考えてみては・・・。
今日は休刊日で配達は休み。でも、いつも通りに身体が反応するので、3時過ぎからパソコンの前に座った。鯉さんから久しぶりのメールが入っていた。最近、このブログのリピート率が3.4%と3%超えの状態が続いている。集計対象者数が2500人ほどらしいから、70人ほどの人が、繰り返しブログに訪問してくれている勘定になるのか。toraニィー殿が最初の訪問者であったが、それが、中学以来の我が親友であったという、なんとも不思議なブログの始まりであった。それが判明するまで、9ヶ月かかった。
まだ、外は暗い。4時半か・・・・。
配達中に出会う人達いろいろ。いままで3回ほど見かけた、おばさんとパグの散歩。
おばさんが前をゆったりと歩き、その後手が握る革紐?はピンと張って、その先で繋いでいる首輪の片側が頭のてっぺんにずり上がり、肉付きのよい短毛の身体を揺らして、おばさんの引っ張る力に抵抗できず歩いている犬がいた。
この前に会ったときも、この順番・・・おばさんが前だった。
犬種名のパグが思い出せなくて、どう書こうかと思っていたら、ふと、パグが出てきて、ネットで調べたら、正解だった。
「しわくちゃな顔。つぶれた鼻。がっしりした体。飛び出しそうな瞳。常に何かを悩んでいる顔つき。」と表現していたが、まさにその通りだ。
古代中国王朝で飼育されていたという。紀元前400年以前から存在が確認されている犬種だそうな。中国からオランダへ渡り、それからイギリスへ。
最近、西大寺あたりでもよく見かける。
「小型、短毛で、飼育に手間がかからない。性格は穏やかで、主人に忠実。小さなアパートでも、大きな屋敷でも、田舎でも都会でも、どんな境遇でもたやすく適応する」そうだ。
嫉妬深く、頑固という評価も定着しているそうだ。典型的な、ワンホーム・ワンドッグの犬のようだ。
「お前、楽しいか?散歩・・・」と聞いたら、「楽しいさ・・・」っと言うだろうな・・・。
昭和11年の歌もあり。「うちの女房にゃ、ひげがある」だったか。この歌を私は歌える。二葉百合子の「夜のプラットホーム」という歌は知らなかった。「岸壁の母」は知ってる。「九段の母」は知らなかった。美空ひばりの「哀愁波止場」は、高度な技術の歌だと思う。簡単には歌えない。島倉千代子、大津美子、青木史郎・・昭和30年前後にデビューした人たちの、若き日のビデオが流れたが、その歌を聴きながら、時間の流れがゆったりしていたなぁーーと感じた。
時代は巡る。慌しくて、成果が生まれているとは言いがたい現在の社会の在り方の次のステージは、50年前の社会が参考になるかもしれない。
午前4時頃か。今日は星空。久しぶりの賑やかな空だった。
朝焼け空もすこしだけあった。雲が少なかったから、すぐに白い空に変わっていった。
小学生のころ、父親が「なぜだろう、なぜかしら」という本を買ってきてくれたのを思い出す。「夕陽はなぜ赤い?」「虹が七色なのはなぜ?」そんな「なぜ?」を説明していた本だったと思う。
「朝焼け」が見られるときの空の状況は?夜はいつからいつまで、朝はいつから?
今の時期、朝刊を夜に配達し始めて、朝、配達を完了するわけだ。冬になると、朝刊は夜の間に配達完了・・・ということか。
宇宙の運行は一定で、それを人間は、使い易く区別する。
お盆休みで、新聞を止める家が多くて、配達時間は10分は短縮。家の前の道路に、県外ナンバーの車が止まっている。家族団欒か・・・。
今朝の天気チェックでは、この地域に雨雲は無かった。6時までの時間帯では、今日は雨無しを確認するばかりであった、
ところが、5時過ぎて、雨粒が落ち始めた。「冗談だろ・・・・」と思う間もなく、ざーぁっと降りやがる。あとA紙が5部、N紙が1、農業が2部というときだった。街路樹の下が、雨宿りできそうだったので、そこで、新聞を袋詰めした。3部しかできなかった。
雨は幸い小降りになった。そのとき、ふと思い出した。ある家のポストが、中途半端な機能で、新聞を全紙入れられない。鋳物でつくった重厚なポストだが、雨降ると、新聞が全部入りきらないので、要注意だった。その家に向かった。あったあった。雨に濡れた部分が悲しい朝刊があった。
この辺りでは、河川が増水しただけで、不気味ではあるが、そこまで。
美作や兵庫県佐用町の浸水被害を知ると、災害が起きないようにならないかと・・・・・。
床上浸水したら、1階が浸水したらどうすればよいのだろう・・。我が家を見回して、お手上げだ。人間は災害と、ずーっとお付き合いしてきた。災害の多いところの人は、辛抱強い。少ないところの人は、粘り方が弱い。
梅雨明け宣言があってからのほうが、雨が激しいような・・・・。
晴れて猛暑と比べると、少しは涼しい雨のほうが過ごしやすいとはいえるが、新聞配達の時は、降らないで・・・と、勝手なお願いだ。
さて、この雨模様だと、合羽を着なけりゃいけないな・・・・。汗びしょだな・・・。
雷が無いのは幸いだ。あー、雨音が激しくなってきた。
深酒をした次の日の胃腸の調子は、良くない。60才を過ぎると、よく解る。自分の体調を良く維持していく生活のリズムがある。一級のアスリートの人たちは、ベストコンディションを保つ生活方法を知っているのだろう。
ベストコンディションは俗人にもある。それを365日続ける生活は、俗人には無理。欲望にまかせて、酒を呑み夜遊びをしたくなる。イチローのように、求道者の生活を継続できるセンスのある人間は稀だ。
いま世間の耳目を集めている二人の芸能人の覚醒剤問題。快楽に引っ張り込まれると、抜けられなくなるという事例だろう。
自分だけの快楽を求めるところに、間違いがある。人間はどうあるのが正しい形かということを、自分で体得しておく。それがあいまいだと、快楽の誘惑に引っ張られる。
たんたんと、いつもと同じように生活をするのは、人生後半にならなければ、わからないように思う。外面、表面の形の変化に気を奪われるのが、若い頃の生活だ。
根本は人それぞれだが、生きる形をどうつかんでいるかということが、問われる。
百円ショップで8×8×5cm位の容器を9個買ってきた。サランラップを敷いて、辛子漬けを入れた。6個の容器に入れた。そして、「長なすの辛子漬け 長なすは九蟠のNさんの畑で収穫 加工は広谷の我が家で私の作・・・・・・・」と印刷して、容器に帯封にした。
各2個ずつ、計6個。念をいれて、冷蔵で送った。
送料がそれなりの額だったが、送る楽しみには変えられない。その心情は可笑しいかな?それがよく通じない反応があった。そういう反応がよく理解できない・・・・。
食べてもらって、感想を聞きたい。クロネコは今夜の便のはず。今頃、どこを走っているのやら・・・・。
一晩明けて朝食時に食べた味は、昨夜のしょっぱさは消え、意外にいける!という感じ。
母親も「お母さんがつくっとった辛子漬けを思い出す・・・」と。そして、今日は、辛子漬けの先生であるNさんに食べてもらおうと持参したのと。叔母にも少し持っていった。「あー、えー箸休めじゃわ・・・」と叔母の感想。
百円ショップで娘たちに送付用の容器を探した。自分が作ったものを娘たちに送る・・・というのは、あこがれのこと。野菜とか米とかお菓子とか・・田舎の親が都会にいる子供に送る・・・というのにあこがれがある。
自分が昔、送られた側だ。不十分な親業であったから、そういう憧れが強くなったと思う。
昨日夕方、ネコの慰問に行った。ニャーと寄ってくると、抱き上げて肩のあたりや胸のあたりに上向きに抱く。しばらくは、ゴロゴロノドを鳴らしながらオトナシクしている。そのうち、降りたくなって、飛び降りる準備に入る。肩の位置から上になると、まだ、そこらあたりから飛び降りるのは躊躇する。身体を低くしてやると、私の身体をつたうように飛び降りる。
今日は、タンスの引き出しの中で寝ていた。1mほどの高さになる引き出しの位置だが、自分で入るらしい。お気に入りの場所ということだ。
2kg余りの茄子を1cm幅に切って10kgの重しで一昼夜置いておくと、ヨコ14cm×タテ20cm×深さ7cmの容器に、漬け込むことができる。
塩の効き目で、茄子の水分が大量に出る。この液に白布を浸せば、草木染か。
ともかく、茄子の辛子漬けを作った。すぐ食べてみたら、塩が多かったか?辛子が多かったか?この夏の刺激的おかずになる・・・と決めた。
こうして自分で作るのが、楽しい。今度は、何を気をつけたらよいか・・・。
今年の夏は日照時間が短くて、稲の根が十分張っていないから、今年の米の作柄は良くないということだ。岡山は桃をPRしている。その味が今年はイマイチ。太陽の活動には、何も言えない。
夕方、買物して準備完了。茄子1本を半分にして、それを1cmサイズできる。2kg分の茄子だ。2本ほど、虫が喰ったような部分があった。刻んだ茄子を放り込んだ45リットル入りゴミ袋に、塩とミョウバンを入れる。そして、10kgの重し。10リットル入りバケツに水を入れる。
一方、鍋に砂糖にみりんに辛子粉に甘酒を入れて、混ぜる。
一昼夜置いておく。
さて、明日の夜に、どんな辛子漬けができているだろう。
美味くなかったら、もう1回だ。
昨日朝、仕事終わって家で朝飯を食べているとき、ドアを叩く音あり。出てみると、Nさんが、「できたから持ってきた・・・」と茄子の辛子漬けの瓶をくれた。地元の歴史を教えてもらったり、大根やニンニクや人参や・・・いろいろ自家作物を下さる、大先輩だ。
早速食べる。辛子の刺激と調味料の甘さ、そして長茄子の歯ごたえが、美味い。
今日夕方5時過ぎ、Nさん宅を訪問。長茄子を2kg、準備してあった。一通り「つくり方」を伝授してもらった。どんなものが出来るか。美味いのをつくって、娘やその母親に送ってみたい。
作物の出来具合が心配。
蝉の声が少ない印象がしていたが、全国的にもそうらしい。蝉は樹液を食料にしているから、成長が遅く、寿命が短いそうだ.。ラジオの知識。同じ時に話していたのが、「牛乳と母乳」。牛乳は牛の乳だらら、身体を発育させるのが第一の役割。一方、母乳とは人間の母乳のこと。母乳、脳の発達を促すのが第一の役割。赤ん坊に与える乳を、牛乳ばかりだと、身体は大きくなるが、脳の発育が不十分になるそうだ。
冷夏で暑さに弱い人にとっては嬉しいことかもしれないが、作物が不作では、多くの人が困る。自分にとって良いことが、何人の人と共有できるか・・・。
いつからか、寝てから起きるまで、目が覚めなくなった。
ひどい時は、4回も目が覚めたこともある。小便に目が覚めたのもあれば、さっき目が覚めて1時間なのに目が覚めるというのもある。
それが、21時半頃に寝ると、2時45分の目覚ましの音で起こされるまで、しっかり寝ている。
どうだろう。また途中で起きるようになるのか、このまま、途中の目覚めは無くなるのだろうか。
状況は変化する。行政の施策で、その変化を織り込んで運用する発想なり対応を取り込んでおくべきだろう。多くの人を相手にするときは、さまざまな場面がある。それを、簡略化するやり方を、もう止めるのが正解だろう。庶民の報告を蹴散らす、官僚の判断は、もう受け入れられない時代になってきた。
税金とは・・・・、公僕とは・・・・、学問を修めた者の義務とは・・・・、民主党が最低賃金を1000円にしようと提案している。理解できない。
何を書こうか・・と考えている中で、スーっと眠りに入っている。
今日は「岳陽楼に登る」と「秋日偶成」の四声を調べた。先日は「平野國臣」と「香炉峰」を調べて、送り仮名の声出しに注意して吟の練習。
四声を訓読の中で、どう表現するか・・・を極めることだ。
f
今朝、例のアパート前の道路には、「桃の水」のパックが相変わらず転がっていた。拾って帰った。
夜9時のNHKニュースで、岐阜市で山に不法投棄された産廃を市が撤去せざるを得ず、その費用100億円ということが報じられていた。業者はすでに収監され、その不法投棄した責任がある会社は、既に無い。
その産廃の処理を依頼したところとこの産廃処理業者は利益を得たのだろう。しかし、利益といえるのだろうか。
ルールを保つ大多数の人がいることを前提にして、自分の側の利益を確保しようとするのが最も卑劣。
それにしても、永年の怠慢の処理費は厖大だ。我関せず・・・の結果が大きくなる人は、早期処理をお奨め・・・。
2階に配達先があるアパートの階段下に、「桃の水」と赤い文字が目立つ空箱が転がっていた。一昨日のこと。「また不心得者がいるな・・・」と通り過ぎた。
今日で3日目だが、まだその空箱はある。誰かが踏んだか、へしゃげている。
今朝、思った。「私が処理しなければならないのか・・・」「辺りにゴミをほかす所は無い」「それなら、拾って帰って処理すれば・・・・」という考えが浮かんだが、何もせず。
明日あったら、拾うか・・・。
我が家である借家のゴミ置き場に、岡山市指定のゴミ袋を使わないで、ゴミを出している人がいる。ゴミ回収者は、持って行かない。残ると、カラスがつついてゴミが散乱する。母親が置き場の管理を委託されていて、困っている。このゴミ置き場は借家10世帯余りの専用なのだが、近隣のアパート住人の中に、ここへゴミを出している人がいる可能性がある。
「岡山市指定のゴミ袋以外はダメですよ」という注意文書をこの借家世帯に配った後も、まだ指定の袋を使わない。その度に、母親は指定の袋に入れる作業を、強いられる。
ルールを守るから、この世は回っている。ルールが破られたとき、それを補う働きがあるから、正常さが保たれる。
「自分」というコトバは、「自という個を表わすもの」と「分という全体との関係を表わすもの」とから成り立つ。
社会の安心・安全が保たれるのは、人々が「自分を保っている」から。
明日、「桃の水」を拾うか・・・。
今日の晩御飯が、夕方5時頃。小僧寿しだった。
晩御飯メニューはおいといて、この時間帯。
思い出す風景は・・・。鐘紡南社宅。社宅には共同浴場があって、社宅敷地の東北の隅にあって、その前の二戸一の二階建ての片側に住んでいた。小学校1年から中学3年までか。
我が家は晩御飯の時間が遅かった。
その習慣の中で、夏の社宅の風景がある。夕方5時には、共同浴場は営業?していた。勿論、その時間はまだ明るい。浴場に来た人が入る度に、バネの効いたガラスドアが開閉する音があった。また、風呂に入る人の声がザワザワとした夕方の風情に溶け込んでいた。あそして、洗面器あるいは金盥を持ってランニングシャツの親父さんが、子供を引き連れて家に帰っている姿が見られた。
明るいうちの、風呂上り。夏休みを楽しめる新しい方法であった。
いまでも、夕方に晩御飯を食べるのは、うれしい。なにか得をしたような気がする。今宵は、寿司を食べ酎ハイを飲み、もう寝よう・・・・。
今年、2回ほど芝生の手入れで芝刈り機を使って各1時間ほど庭の雑草を刈る用事を、叔母夫婦の依頼でした。
夏のことゆえ、また草は伸び、「また頼むは・・」と電話があったらしい。
その伝言を母親から聞いたとき「家のかたづけもせにゃいけんのじゃ・・・」というような、他所の世話をすることが恩着せがましいようなセリフを言ったらしい。
「あほじゃないか」
身体の具合が芝刈り機を扱えない状況になったから、甥である私に支援を請うているのに、それを快く受ける会話をせずに、なにを偉そうにほざいとんのや・・・と思った。
4人姉妹の長女である我が母親に対しては、「頭が高い」「人の気持ちを思い測ってモノを言ってないのでは・・・」と感じることがある。
自分の甲斐性の無さが母親にも苦労や負担をかけているという負い目もあるが、時に、この感性はいただけない・・と思うこともある。
「復性の学」というのが、佐藤一斎の「一日一言」にあった。「人は生きている間に、心身にいろんなクセがついてくる。それを、本来の位置にもどすのには、学問をして、本来の位置にクセのついた心身をもどすことが要る。」ということらしい。
いま自分に求められているのは、何か・・・を、どんな状況になっても、自分が求められている役割をこなさなければ・・・・。
皆既日食で報道合戦・・・といった按配の今朝のテレビ。
岡山は何時頃か?と思いながら、テレビの皆既日食報道を見ながら、外へ出て地元の空の変化を確かめていた。
それにしても、あの暗闇はなんだ!びっくりするよなーーー。太陽が出ていない配達時を思うと、それと同じことなんだけど、いままで明るかったこの世の中が、あっという間に暗くなる。そして、あっという間に明るくなる。
太陽と月と地球の並び方で生じる天体ショー。次に日本で見られるのは、何年後だろう・・・。
午前2時45分の目覚ましがなり続けた。ほっとこう。
それから眠り続けて、目が覚めて時計を見たら、5時56分。雨は激しくなったり止んだり・・・。窓を開けると涼しい風。いっしょに雨も入ってくる。。
9時半、ご詠歌の稽古に行く母親を、観音院まで送る。帰って、朝食。食パン2枚、とろけるチーズをのせて焼き、ハムのせて、ココアに牛乳入れて・・・。
林家正蔵司会の「どーも気になる」?を見る。生野アナ担当の料理コーナーでは、「賛否両論」店主の笠原氏。豚バラ肉と高菜の丼ともやしとジャガイモの味噌汁。笠原氏のアイデア豊富な料理は、いつかトライしようと思いメモしているのだが・・まだ実現してない。
昼過ぎ、激しい雨のとき、観音院に迎えに来て・・・の電話あり。稽古には叔母も行っている。手毬家に昼飯。久しぶり。先日、同級生のOが来てくれた・・・と、店主のO。昼時で、お客さんそこそこ。
そして、叔母宅へ、ネコの慰問。留守番をどうしてるか・・・と入って行くと、椅子の上の寝床にはおらず、居間を見てもおらず、ゴトンと音がして台所から細く開いた襖の間から、「ニャーー」と姿を現した。
じゃれついて、指を噛み、部屋を走り回り、バッグの紐を相手に転げまわって・・・・そのうちこっちは寝てしまった。
帰りの車で母親が言うには、寝言をいってたらしい・・・・。
午前2時45分、目覚ましの音で起きる。雨音は?やっぱり、している。「合羽を着なきゃだめか・・・・」と眠たい頭で考えているとき、バリバリバリバリドドドドドドーーンという音がした。落ちた。こんな雷の中に、バイクで走るのは怖い・・と思って、バイクは止めて、車で配ろう・・に決めた。
配達の間、猛烈な雨は4分の1か、濡れるのに難儀する雨は4分の1、晴たのと同じなのが4分の1という印象だが、雨が多かった。猛烈な雨足になっても、車の中は別天地。ただ、バイクのような機動性は無いから、配達時間は3時間を超えた普通の配達時間の5割増し。
今日はビクター吟友会の詩吟コンクールがあって、進行係でお手伝いであった。不配当番は午前8時で打ち切りにしてもらって、詩吟会場にむかった。
(眠気上昇、ひとまず打ち切り)
今朝3時前の天気図では、4時過ぎるとこのあたりを雨雲が覆う予想であった。店に行くとほとんど出発していて、4人ほど準備していた。雨用の袋詰め機はカバーがかかったままで、誰も使っていない。電源を入れて、「4時過ぎに降るかもしれんぞ・・・」と声はかけた。袋詰めしたのは、結局私だけだった。
4時半近い頃か、合羽を必要とする量の雨が20分ほど続いたか・・・。皆、困っただろうな。不配当番の間は、「新聞が濡れている・・」という苦情は幸い来なかった。
この季節、しとしと降る雨の日は、街は落ち着いて見える。
「雨がしとしと降る日には 心がなごむときがある
遠くで犬の声がして 遠くで子供の声がして
車が通りを走りぬけ 酒をなみなみ注ぐとき」
混乱した時、何を根本にして動いているのか・・・ということ。
舛添さんが総裁候補になるらしい。小池さんも意欲。それぞれ、この人が勝てると思ってかつぐ人たちが集まってくる。自分たちが御しやすく、世間受けが良い・・というところで集まっているのだろう。
現代は「コーディネイト」する能力に長けた人が、リーダーだ。俺について来い型は受けない。ただ、「無私」であることは自ずと伝わる、大切なリーダーの資質だ。
ありゃりゃ、23時だ・・・。
午後7時も過ぎると「40%引き」のシールが貼られるものがある。
スイカもそれ。カットして容器に入ったものが多いときと、今日のように、298円で玉の8分1切りか・・・こっちが多いときもある。初めてこっちを買った。
弁当も398円が40%引きだった。
スーパーで遅い時間になると割り引きするのを初めて経験したのは、神戸の震災の後、六甲道で仮住まいしているころに、買物に行ったダイエーでだった。商品は限られていたし、毎日行くと、同じようなものばかりになるが、一度経験すると、定価で買うのがバカらしい思いになってしまう。店も売れ残って廃棄するよりも、有料で処分できるのがよいし、こっちも安いほうが良い。
いま行っているスーパーの割引シールは、「20%引き」と「40%引き」。「30%引き」や「50%引き」は無い。何故だろう・・・。
岡山市吟剣詩舞道連盟が、今年、創立50周年になる。Y先生所有の「第2回大会」の新聞コピーを見た。そこには「15日の日曜日」に開催したとある。
もとの新聞記事は簡単に見つかると思った。第2回だから、昭和36年。市連の大会だから6月か7月だろう・・・と現在の感覚で思い込んだのが、間違い。
昭和36年で、「15日が日曜日」は10月。10月16日の新聞を見ると、「岡山県連第6回大会」の記事はあったが、市連の記事は無い。
それから「15日の日曜日」を頼りに、周辺の年のフィルムを借りて探したが、見つからず。山陽新聞だけでなく、朝日新聞も探したが、まだわからない。コピーはあるのだから、あるはずだ。じれったい。もう一度探す。
「自動炊飯器」や「テレビの割賦販売」や「森永コーラス」という飲料水の広告が懐かしい思いがした。映画の広告が大きく頻繁に載っていた。新聞のページはいまの半分ほど。私が中学生の頃か・・・・。
昨日は寝ぼけた状態で書いた。書き始めて寝てしまい、気がついて、書き足した・・・と記憶しているが、今日読んでみたら、この有様。
暑さ加減に油断して、7月8月の暑さを読み間違いした・・・というような心情を書くつもりだった。
1億5000万km。太陽から地球までの距離。午前3時過ぎから太陽が昇るまで、暗いし涼しい。それが、午前7時を回って、太陽光がどどーっと溢れるころになると、この温度の上がりようはなんじゃ・・という地球になっている。
太陽はすごい・・・。この22日は皆既日食だと。地球と太陽の間に月が入って、太陽光を遮る。鳥たちが騒ぎ、あたりは暗くなる。
じっとしていても汗が出てくるいまの岡山。
そういえば、まだ「夕凪」「朝凪」はまだだ。暑さはまだこれからなんだ。
都議選は民主圧勝・自民惨敗となった。昭和48年だったか、当時、民社党から立候補したH君の選挙運動のスタッフで活動した。結果は1万余票で届かなかったが、善戦であった。いまのような状況なら、当選だろうな・・・。
今回の都議選で杉並区の候補者に、当時の仲間の名前を見た。「そんなの関係ねー」の小島君の父上も、そのころの活動仲間だった。
何かを模索した時代。曖昧に生きたその後・・・。何かをそれなりにまとめたい、いま。ああ、やってるな・・・・・と、記事を読んで思う。
これまでも、「真夏日」と言える天気はあった。しかし、今日のこの蒸し暑い日はなんだ。昼前、「劉邦と項羽」のドラマを見て、蒸し暑い日をまた扱いして、満足か。
いままでの暑い日、もっと暑い日をイメージしていたが、よう判った。
この借家の西側には、川がある。農業用水だから、この時期、水量は豊富な時が多い。その川面を渡る風が、涼しい。今夜は、蒸し暑かった昨夜に比べると、別天地。蛙の声が、今夜の良い気分をさらに促す。
(ここまで書いて、寝てしまった。11日午前1時25分再開)
この時間、蛙もオヤスミか、聞こえてくるのは車が疾走する音だけ。
昨日は子猫のご機嫌伺いに行って、夕方、ドライブしようと九蟠から新岡山港に走った。百間川河口に建設中の河口堰あたりに広がる左右の水の風景は、熊沢蕃山、津田永忠以来の300年を越える治水事業の賜物。数メートル幅の堤防が陸と海を分ける。河口堰が蓄える膨大な水量は、もしこの堰に異常あったら・・・という怖さを感じさせる景色でもある。この河口堰が完成すると、300年来の百間川治水事業も一区切りらしい。
新岡山港から玉野まで足を伸ばした。児島湾大橋を渡って一直線。宇野港へ。繁盛を夢見た港整備施設が、客待ちぼうけの態で、立ち入れない駐車場があるばかり。その中、唯一とでも言いたい「うどん屋」があって、入る。
これが予期せぬ美味さ。かけうどんの小を食べた母親と叔母も「出汁が美味しかった・・。」と満足した模様。
叔母宅へ戻り、洋間のドアを開けると、布張りの椅子の上で寝ていた子猫は、顔を上げて大きなアクビで出迎えた。
綾小路きみまろの偽者、文字の職人・・と名づけてたか、平仮名で漢字を形作る人、風船で犬や龍や花などをショーとして作る人、そして江戸時代からの伝統芸「切り絵」の4人の芸人?さんが登場。
人様に見せられるまでになるには、人知れぬ努力の時間があっただろう。きみまろの偽者は評価が違うかもしれないが、マジックに歌真似をからめてお客様からお金をいただけるまで鍛錬したのは事実だ。
他に比べても遜色ない「芸」を持てたら張り合いがあるなー。そのためには、繰り返す繰り返す繰り返す・・・。
いま、草書体を憶えようと練習している。同級生で書道歴50年のIさんにお手本をいただいて始めたのだが、永年続けている人たちに比べると、反復練習はまだまだ足りないわなー・・・。
手紙を筆の赴くままさらさらと書いてみたい・・・・。
項羽が自害した。戦闘では負けなかった項羽だが、劉邦の策略に負けた。ドラマの始まりのころは、項羽の自信過剰の性格が、周囲の人の献策を拒み自我を通すので、劉邦の人使いの巧みさと比べて、ダメな人だったのか・・・という印象が強かった。しかし、四面楚歌となり、垓下の戦いで敗れ虞姫も自害して、対岸へ渡れば故郷である烏江亭で「引き連れて出征した故郷の若者8千人を、すべて失った、面目なさ・・」に、独り漢軍に挑み、最後は自害する。策略を用い勝利した劉邦より、講和を信じ、虞姫と故郷へ帰ろうとした項羽の心情を買う。
ただ、新しい秩序を作るときは、抵抗する芽をできるだけ摘み取らなければならない。民主主義とされる現代でも同じことだ。
いま「霞ヶ関の官僚」たちが改革の障害になっているようにいわれる。彼らも田舎の普通の家庭の子弟であったが、官僚組織に入って、その組織の機能に染まるに従って、自分の行動の優先順位が決まってきたにすぎない。
それでも、社会組織の機能部分で衝突すれば、勝たなければ負けるだけだ。
「天意」と項羽も劉邦も言う。勝つときも負けるときも、「天意」として、次に生きる。
この時間に起きているのは珍しい。今日は詩吟の稽古が19時30分に終わって、晩飯を叔母も誘って・・・と、子猫にも会いに叔母宅に寄った。子猫と遊んで、21時までの茶道稽古を待って食事に行ったものだから、この時間にまだ起きている。
早く寝たい。生活も変えようと決めれば変わるものだ。
最近の反省で、チューハイを飲むクセが出てきた。季節柄、晩飯時につい飲んでしまう。350缶を2本。以前に比べれば少ない。しかし、クセになってくるとダメだ。
ここでガマンすると、明るい未来が待っている・・・・ガマンしない、いまを満足してると、暗い未来がまっている・・・・・、と心の中で歌ってみる。
明日は遂に雨が降るか・・・。
7月1日にココログのデザインが変わって、これまではパスワードは自動的に入力されていたのが、改めて入れるようになっていた。記憶していたパスワードを入れると「違う」と言う。さてそれから今日まで、話せば長いことになってしまった。
ログインできたのは、パスワードを再設定できたからだが、この再設定に際し、「あなたは登録されてない」と言われて、往生した。ニフティーの担当部署に尋ねること4回か5回。「もしかして、登録した情報が間違っているのでは・・・」というヒントをもらって、試しに、誕生日を1日ずらしてみたら、反応した。
これでは「登録してない」と判断されるはずだ。こんなこともあるのか・・・。皆さんもご注意ください。3年目に入っているブログも、過去の分は封鎖で、新しい「フキタンポポ2」にしなければならないか・・・と諦めの境地に近かった。
この間、ノラ猫の子を世話するようになった。橘曙覧さんを真似て、一首。
「楽しみは ノラの子猫が だんだんと 遊び相手に なりし時々」いま叔母の家で飼われている。体長30cmほど。まだ人間も遊び仲間にしている。つかまえたときは、草をネコじゃらしにして遊びに夢中にさせて、首の後ろをつまみ上げた。前足はだらんと下げて、後足は持ち上げてお尻を丸めて、情けない顔をしていた。
幸い、トイレの躾を教えるまでもなく自らネコ砂をいれた容器できちんと排泄している。小さいのが無邪気に遊んでいるのは、かわいい・・・。
今日は曇りで昼過ぎでも陽射しは無し。最近水分過剰で、腹回りが膨張気味。朝の新聞配達作業だけでは運動量が不足ということがわかってきた。
昨日の吟士権大会で、「主人は毎日30分は歩いてる。もう20年続けてるからスリム。生きとってもらわんと・・・・私は何も稼げんから・・・・」と「歩く」ことを勧められた。そうです。運動して健康な身体を維持することです。
芥子山に上るコースもあるけど、時間がかかるので今後の課題にして、砂川沿いに行って、金田橋を渡って、緑化フェア会場跡地を巡り、味彩館を左に見て、砂川の土手まで直進して新橋を渡り帰るコースにした。
歩いてみると、1時間。砂川土手に上がって、ランニングしてみたら、地面を蹴って走れないのにショック。こんなに弱体化してるとは。フクラハギの筋肉が攣る。50歩も走るともう限界だった。
詩吟も声を自在に操って漢詩の内容を表現し尽くすことができると、快感だ。そのためには、それに耐えうる声帯を作っておかなくてはならない。さらに、共鳴箱としての身体、息を的確に送り続ける筋力も使えるようにしておくことだ。
この歩きは続けよう。
一部が130人、二部が18人の出場。私は会場係。始まる前と終わった後に仕事発生。その間は、自由。
一部はお弟子さんたちの競吟。二部はお師匠さんたちの競吟。
一部の人たちの吟に、漢詩の情が伝わってこないな・・・と思っていたら、藤上会長、日枝理事長の講評にも同じ指摘があった。
言葉を吟じるリズムに乗せて言うから、言葉の味わいが消えて、節回しだけが残る。節回しにしても、無闇に張り上げる。
「詩の内容を説明する。それが聴衆に伝わるには、声も良い方がいいし、吟じ方も上手いほうがいいにこしたことはない。しかし、聴衆に何を伝えようとしているのかを、まずはっきりすることだ。」と、剣詩舞道家の視点で講評された藤上会長の指摘は納得。
来年は二部に申し込もうか。いくつか課題詩を練習しよう。
緑化フェアで我々に作業指示をだしていたのは、市職員でなく、民間会社のスタッフだった。その男女2人がもうすぐ岡山を去るに当り、会期中の労を慰め、これからの仕事をガンバレという気持ちをこめて、宴席を企画したオッサンがいて、それに賛同する14名が、今宵集まった。
ボランティアという一語に集まった人たちのいろんな立場は興味深かった。結果、この集まりを継続することで、だらだら食事する集まりにならないようにしようという意思を確かめ、この秋には何らかの形示そうということになった・・・と少し酔った脳に記憶している。
15名いると、多士済々。面白い人の動きが生まれるとよい。
サリン被害で脳が萎縮していき視力を失い、言語も失った妻・澄子さんと、14年間心を通わせた河野義行さん夫婦と1男2女の子供たちの記録だった。澄子さんは昨年亡くなられた。
どんな状況であっても、いつも共に生きているからできることなのだろうと思う。もし、河野さんじゃない人が、犯人扱いされていたら、執拗な警察の取調べで自白してしまったかもしれない・・・。
警察は潔白を証明してくれるところではなく、犯人を作るところですよ・・・という弁護士の言葉は、足利事件のこともあって、納得してしまう。
職業意識がしでかす横暴さを戒めるのは、本人の学習でしかないのか・・・。
先日京都を歩いたとき、「田舎亭」を友人が教えてくれた。京都日報の杉浦記者と烏丸署の大洞部長が下宿している「田舎亭」。そのままロケで使っているらしい。石畳がくねくね続く一角にあった。
新撰組に追われた勤皇浪士が刀を引っさげて、角から飛び出してくる・・・そんな場面が自然に浮かんでくる。
さっき京都日報の2時間スペシャルが終わった。室井滋と橋爪功、大滝秀治と橋爪功のやりとりは、引きこまれる。上滑りの喧しいだけが目立つ最近のドラマという印象だが、年季の入った俳優の演技はさすが。
室井滋は美人とは言わないと思うが、目の動きの豊かな人だ。学生時代に痴漢にあうことが多かった・・・と言っていた。色気はあるんだ。柴田理恵と同じ、富山出身だったと思う。
室井と言えば、室井佑月がいる。この人は不思議な人だ。女流作家の文章を真似して書いているうちに、私にだってできる・・・で、見事、作家でデビュー。スポーツ紙のコラムでときどき見る。この前は「水野真紀は好きだけど、旦那は嫌い。番組でいっしょになったときの態度が傲慢で、何様?という印象だった。そのことが旦那に聞こえたらしく、早速、自分の著書を送ってきたそうだ。こんなのを「如才が無いというのだ」とまた切り捨てていた。旦那は、自民党代議士の後藤田氏。
宮崎県知事の出した「衆院選出馬条件」が世間を賑わしている。
「おちょくってはいないのでしょうが・・・」「わけわかっとるのか・・・」「生意気な・・・」という自民党のお偉方?の声が聞こえてくる。おしなべてこの類の反応を出している人は、既存の秩序の枠内で発想している人。秩序を動かせることは大したことなのだが、その秩序が国民の利益を守らないことに国民の側が気づいてきているのに、対処する方法を作れないところが、問題なのだ。
自分が優位にあることを確認したい気持ちは、往々にして、現実を歪める。「あれは現実を解っていない。まだ若僧だ・・・。」という自分のプライドを優先した結論で対処しようとするのが、「志」を無くした与党議員の行動だろう。
それにしても、古賀さんは、遺族会会長として沖縄の慰霊集会に参加せず、宮崎に出向いたことに悔いはないのだろうか。宮崎の一議席を話すつもりが、えらい話題になって、困っているのが実情か。
幕末に新たな潮流を作った「郷士」という身分の特徴は、田畑を耕していた武士であった。上級武士のようなサラリーマン武士ではなかった。
既存の秩序で「利益」を享受している人たちには、今の秩序を変える発想は生まれるはずが無い。
既存の政治の限界を打破するのは、交代するものの「志」でしかないと思う。
権力に驕るなかれ・・・・。
64年前、沖縄は日米の戦場となり、本土出身兵65,908人、沖縄出身軍人軍属28,228人、住民約94,000人が戦死したといわれる。今日が、その戦闘終了の日。
39年前日米安全保障条約が自動延長された日が、今日だったと思う。
そして今日、10何年ぶりに、次女の声を聞いた。
早朝も雨だった。大した量ではなかった。ただ、合羽を着ると暑くて・・・。下は短パン、上はTシャツにしていったが、すぐ汗がでる。少々の雨なら合羽はいらない・・と脱いだり、雨粒が大きくなってきたからまた合羽を着たり・・余分な気遣いに忙しかった。
K社の郵便受けにN紙を入れて、橋の上で向きを変えると、面した県道の右の方から大型トラックが走ってくる。待機で、ふと前を見ると、道路端に大きな水溜り。「あーーーーー」と思ったのと同時。トラックの大きなタイヤがそこを通り過ぎた。気持ちいいくらい、頭の上から水をかけていってくれた。幸いといおうか、合羽のフードをかぶっていた。が、前は風通しで開けていたので、Tシャツはびしょ濡れになった。
明日も雨だ・・・。いまは雨が降ったほうがよい。パンツは洗えばよい。雨不足は、人工では補えない・・。
今日、あしもり荘へ行った。1年振り。母親と従姉妹の4人。結構、繁盛していた。主として3年目に入ったQさんは、去年と同じスタイルであった。
美味い御膳をいただき、滑らかな湯に浸り、いい気分だった。風呂上りに休もうと座った座敷の壁に、空翔る美女?たちとそれを取り囲むように引かれた幾筋もの線の間に、「天地玄黄 宇宙洪荒 日月・・ 辰宿・・ 寒来・・ 秋収・・ 閏餘・・」とある。
以前、草書体を習おうと「三体千字文」を初めのほうだけ見ていたので気がついた。
明るく可愛らしい仏画だなぁ・・と主に尋ねると、東大寺の管長の作とのこと。
温泉といえば地元でよく行っている温泉と比べると、ここの方が柔らかく、ゆったり入れる。湯上りもサラッとして、温泉の違いがあることがわかる。
家から1時間ほどの距離。今年のホタルは見逃した。秋の紅葉の頃に、また来るか・・・。
血管にできた瘤など血流を妨げるものがあるため、血圧が上がる。いまの常識である「最高血圧」と「最低血圧」に加えて、「中心血圧」と呼ばれるこの血圧値のチェックが、自分の血管の柔軟性を知る上で大切になってきた。この数値が高いと「塩分の摂取量が多すぎる」などの生活改善目標が立つ。
生活習慣で病んだ身体は、なかなか治らない。若い頃は、ちょっと摂生すれば、健康体を回復できた。60を過ぎた身には、摂生の効果を知りたくても、現れてこない。
6月19日に測定した血圧は「145 と 96」。高血圧に判定される。この数値を見て、「高いのは高いが、ぎりぎりの値だ」と気休めしている・・・。気休めが何の意味も無いことは、十分承知の介だ・・・と吠えてはみても、要は、治さなければ。
無意識に息をしていると、ハースーハースー2拍子で息をしている。
それを「ハーハーハーハーハーハー」「スースー」、6拍子と2拍子で息をすることにした。この調子だと、配達の動作に乗れる。長く吐いて短く吸うことをクセつけようと思って。
まだ、配達作業全体を通してはできていない。それが出来る頃には、腹は細くなってるだろうか。
雨が降らない。新聞配達の時間帯には降って欲しくない雨だが、こんなに降らないと困る。
ナデシコの切り戻しで、また可憐な花がいっぱいに咲いてきた。そのプランターが6つ。去年49本の苗を植えた16のプランター。去年の苗は名前を憶えてなくて、花が終わってそのままにしていたら、去年の20分の1くらい咲いている。
これらのプランターに水をやるとき、1時間近くかかる。講習で「プランターの底から水が出てくるまで、たっぷりあげてください」と習ったから、6リットルのジョウロでプランター1つ。
緑化フェアの相談所に相談員補助でいたとき、相談に来た人の中には、植物に与える水の必要量を勘違いしている人がわりといた。少ない方に・・。
窒素・燐酸・カリの栄養素を与えれば十分かといえば、そうではなくて、ミネラル成分を与えることが、栄養素の吸収に必要だそうだ。人間も植物も同じだ。
最近、「野菜工場」がニュースになる。天候不順にも影響されず、農薬不要だから安全で、栽培期間が短縮され、立体式の栽培だから平面栽培の6倍の生産性・・・。
設備投資とのバランスで売値が高いという課題はあるようだが、これはもっと拡大していくと思う。カネボウ跡地に「野菜工場」・・・というのは如何。
休刊日と昨日休んで、2日の休暇。今朝の天気は晴。中天に眉月があり、その両サイドに輝く星。一つは金星だろう。もう一つがわからない。この景色はいままで記憶にない。
4時過ぎには東の空の闇が群青になってきて、4時半の明るさになると、鳥たちが鳴き始める。朝の空気は、冷たくて爽快。
本日、間違いなく配達完了。
昭和61年頃のカネボウ綿糸西大寺工場の住所は「西大寺南1-2-1」が使われていたようです。当時在職の元労組支部長の方の情報です。また1989年版の「ゼンリンの住宅地図」を見ると、地図中の「裏門」あたりに「2-1」と「2-3」と表記してあります。
ただ、「ハピータウン」の店舗枠内に「1」とありますので、ここも「1-2-1」だったのか。
14日に朝の仕事すまして京都へ行った。16日16時ころ帰ったところ。お尋ねの件のご返事が遅くなりました。
大阪在の友人の誘いで2泊。寝屋川市香里園のお宅に。そして、京都・宮川歌舞練場近くの町家でご馳走とカラオケを楽しんできた。
建仁寺、高台寺、八坂神社、円山公園、清水寺、花見小路、辰巳大明神・・・・。汗かいた。
今朝、香里園から京阪電車で淀屋橋へ行く。が、電車の行き先は「中の島」だった。新しくできたところだから、終点まで行った。地上に出て、想定どうりの場所だった。ABC放送の前を通って、JR新福島駅でどっち方面に行こうか迷ったが、大阪駅に向かうことにして、北新地で降りた。大阪にいた頃に何度か寄った桜橋口地下街のレストランで昼飯にした。
いろいろ連絡したい人もあったが、遅くなるのは都合わるい・・・ということで、そのまま新快速に乗った。姫路駅が改装されてた。駅そばを、つい、食べてしまった。
昨夜は9時には寝ていた。目が覚めたので時計を見たら、11時前だった。トイレに行った。次に目が覚めたのが、12時過ぎ。「なんだまだまだ時間あるじゃないか・・」、そこで気がついた。昨日、玉テレ収録に備えて、10時半頃から一眠りしたとき、目覚まし時計の時間を変えていたことを、思い出し、あわてて「午前2時45分」に設定し直した。安心して寝た。そして、目が覚めたのが2時。微妙な時間だな・・と思いつつ、いつの間にやら眠りに入って、2時45分の目覚まし音で起こされた。
こんなに目が覚めたことは無い。齢をとったというのだろうか・・・。
玉テレの詩吟番組で割り当て出演が来て、明日が収録日。
短歌三首。
吉田松陰の「親思う 心に勝る 親心 今日の訪れ 何と聞くらん」
大伴旅人の「吾妹子が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人ぞ無き」
「鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘らえめやも」
松陰さんの作は、90歳と87歳のご婦人で、旅人さんの作は、私がするのだが、昨日の連絡では、衣裳があるそうだ。そして、「吾妹子」との仲睦まじい様のイメージ映像も撮るとのこと。面白そう・・・。早く寝て、寝不足を少しでも減らしておかなくては。
森光子さんの「放浪記」2000回公演が話題になった。
同じ芝居だから同じになると思うのは素人で、森さんの芝居は毎回新しさがあるのだそうだ。ご本人は「前回の芝居を忘れるから・・」とラジオで話していた。ある時、心中、気になることがあって、芝居中に心此処にあらずであったことがある。芝居が終わって、相方に「あの場面はおかしくなかったか?」を尋ねると、「何もおかしくなかった」と言われ、気持ちが離れていても形だけの芝居をしたことに、馴れの怖さを知り、今後への反省としたと告白していた。
セリフを憶え、情景に合わせて声に出し、観客をその世界に引きこんでいく。
40歳過ぎてこの役を掴み、そのときも結核にかかり会社が代役を検討している状況だった。「この人から舞台を取り上げたら、病気にも勝てませんよ」という主治医の理解と支援に支えられ、病院から舞台に通ったそうだ。
暗記、暗誦するから、いつまでも若いのだ。暗記、暗誦をするのが楽しくなることを考えよう。
① もう1ヶ月以上前になるか、杖をついてだが颯爽と歩く老婦人あり。その翌日だったか、左腕を抱えて共に歩く息子さんと思われる介添えがついた。それから時々お見かけした。このところは出会うこと無かった。先週、車椅子に乗った老婦人と、それを押す息子さんと出会った。足の具合が悪くなったのか・・・・。
② 去年、朝の散歩で出会う縁で、新聞を購読してもらうようになった老婦人。今年も夜明けが早くなってきた頃から、朝の散歩を再開。散歩コースに飼い犬がいて、いつの頃からか知らないが、前夜のおかずの残りを与えていたらしく、犬は毎朝、ご婦人を待つようになっていた。その犬の家に最近再び新聞を配達するようになった。以前から、ウンともスンとも言わない犬で、番犬にはならないな・・と思っていた。それが今朝、ご婦人の姿は見えないのに、立ち上がって尻尾を振り、きゅんきゅんと啼く。その家の隣はアパートで、アパートの次は道路。ご婦人はアパートを左へまがって1軒先のところで腰をかけて休憩していた。
③ 時々出会う8歳の犬。シーズー犬というのか。小型で耳が大きく鼻ペチャで、愛嬌のある顔。連れている老婦人は言う。「モー、休んでばかりでひとつも前に進んでくれん・・・」「1時間ほど散歩しとるけど、歩きゃせん・・」と。私と会うと、足元に近寄って、頭をなでると機嫌よくしている。そして、勢いよく歩き出す。
もう一題。ある家の玄関先に時々いる白ネコ。そこはいつも暗い時に配達に行く。最初に出会ったときは、玄関先に白いものが落ちているな・・と思った。近づくと庭の叢のほうへ走った。ネコだった。それから暫くして会ったときは、逃げる距離が短くなった。一昨日出会ったときは、5歩ぐらよけて、こっちをみていた。
土曜日、配達してから弁当を作ってもらい(自分で作るつもりだったが・・・)7時過ぎには車に乗って一路「宝伝」港へ。8時の犬島行きの船に乗るため。
8時の渡し船に乗って行き、17時15分の船で宝伝へ帰った一日となった。何しに行ったかというと、犬島貝塚第2次調査現地説明会に参加した。犬島貝塚調査保護プロジェクトチームというのがあって、リーダーは遠部さん。いま北海道大学の埋蔵文化財調査室に在籍。
この日総勢30余名。「犬島の石おばさん 在本」さんの案内で石切り場まで見学、そして石割まで経験。そして、貝塚のある島へ渡って現地説明会。
30年前にO君が中学生のときに発見してからの年月で、崩落し始めていて、早急な調査と保護対策実施が求められる。
日曜日、配達終わって風呂に入り、髭剃りと洗髪。7時5分の岡山行き電車に乗るのに急いだ。大多羅駅には余裕で着いたが、ダイヤが変わっていて、7時10分の電車到着だった。
行き先は「金光駅」。8時過ぎには着いて、歩いて「詩吟コンクール」の会場に。既に会場には今日の運営役員の諸先生方が多勢おられた。
「幼年」「少年」「青年」「一般一部」「一般三部」の年齢別コンクールで107名が出場。(欠席が数名)私は「会場係」。
今日の会場は、一つの建物に5つの機能を持たせていた。「図書館」「農村婦人の家」「コムニティハウス」「歴史資料室」もう一つあった。詩吟コンクール会場は、収容500人の大ホール。
その図書館に本を借りに来ていたTさんに2年振りに会った。Tさんは、ハローワークのパソコン講習での同級生。会場係の用事は無かったから、しばらく立ち話。交通事故でムチ打ちになって、その影響で右手の動きが鈍くなって大変困ったそうだ。いまは大分回復したらしいが・・・。まず元気そうでよかった。
この2日間は、いつもと違う展開で、気分転換になった。でも、配達が終わって、すぐ出かけて夕方まで拘束されパターンはしんどいな。慣れれば慣れただけのペースにはなるのかもしれないが・・・。
「笑ってこらえて」が表彰した1996年2月22日の人。
造園業の人に嫁いだのがきっかけで、樹木医の資格をとり、樹齢1000年の木の移植を成功させたのが評判になって、移植の依頼が増え、それまで100例以上手がけたが、失敗は一例も無い。
藤の木の移植計画は、2年がかり。600㎡を2段階で70㎡に縮め、根の張り具合も8mまで短くした。幹周りは4m近く。枝を切った切り口から腐っていくのを止める方法が見つからず苦悩した日々を送るが、奈良時代の木簡発見のテレビニュースから、墨が木簡の腐るのを防止している・・・と閃いた。また、社員が交通事故で首の骨を折ったときに、「石膏包帯」で保護した話しから、クレーンで吊る幹の保護方法を考えついた。
いま60才の塚本さん。「60年しか生きていない私が、100年200年、1000年生きている樹木を治療するなんて、おこがましい・・・」と言っていた。
移植のために縮めた藤の木は、いま元通りの600㎡に成長している。もの言わぬ藤の木が満足できる状態を作り出し、20km離れた場所へ無事に引越しさせたのは、塚本さんのに人間の深さだろうな。化粧品会社勤めから造園業の家に嫁いだのがきっかけで、樹木を助けるプロになった。目の前の課題解決に没頭する人だったからだろう。
「笑ってこらえて」は、いい人を探し出すな・・・。
西大寺の中の、松崎と大多羅あたりの、朝の4時半の景色なのだが、もう明るい。東の空にまだ太陽の輝きは無い。スズメや鶯やカラスや燕や、知らない鳥が、鳴いている。冷んやりとした空気が、新しい一日の始まりを実感させる。
新聞配達は年間10日の休み。毎朝2時45分起床。私はまだ3年目に入ったばかりだが、37年続けてる、21年続けてる、17年続けてるベテランがごろごろいる。全国に40万人と推定されるようだ。
朝の町には、道路のゴミ拾いや用水のゴミ拾いをしている人がいる。いつ何がきっかけで始められて、始めてどのくらいなるのか・・・。毎朝、見かける。
朝のトレーニングで歩いている人、犬を散歩させている人、走っている人、自分の時間を計画して使っている人が、朝の街を賑やかにする。
時に、朝帰りの人にも出くわす。もったいないな・・・と思う。自分も昔やったな。朝は始まるときだ。朝が一日の終わるときになる生活は特殊だから、そのパターンを長くは続けないほうがよい。
新聞配達をして実感するのは、「朝は毎日、新しい・・・・」こと。
健幸プラザという施設にお風呂がある。冬の寒さに銭湯が恋しくなり、来るようになって、常連さんになった。
そこに血圧計が置いてあって、腕を通してスタートボタンを押すだけなので、入浴の度に測っている。脱衣所にあるのは、結果をプリントする機能は無い。そこしかないのかと思っていたら、玄関脇の広いロビー部分にもあった。こちらのはプリント機能付き。
今日、髯も伸びてむさくるしくなっていたので、行った。血圧計に腕を通した。最高血圧139と最低血圧86mmHg。
4日前の17時頃の記録では、152と93。
やや高めというのが、私の血圧。痩せればも少し下がるのだろう。
痩せるで思い出した。ここの脱衣所に体重計があって、いつも計る。来た当初は、目盛りは90kgを越えようとしていた。それがこの1ヶ月には85kgを越えなくなった。嬉しいー。
ただこの秤、測る者の足の位置の加減で、表示が変わるので、自分の結果に自信がない。
家にある体脂肪や内臓脂肪も測る機器で計測すると、89kgはあった。がっかり・・・・だった。
朝の陽射し。眩しい。夏到来を思わせる。昼過ぎの空。白い大きな塊が、あっちこっちに浮かんでいる。夏の空だ。
夕方、からからに乾いたプランターに水をやる。30分はかかる。じとっと出る汗。夏の暑さへの心構えか・・・。でも、風はまだ爽やかだ。
買物に行ってトイレに寄った。ボランティアで一緒になったTさんとばったり。24日の閉会式の後に会場を散策していたときにも、出くわした。探究心旺盛な親父さんで、野菜づくりに花栽培、船を操り海釣に、車の整備もまかしとけ・・・の働き者の方。近々、2つのグループから頼まれて、船をだすそうな。「お互い知らんから、2回行ったほうが気を使わんでええじゃろう・・」の気配り。
ボランティアで動いたおかげで、新たなつながりもできた。やっぱり、動かなきゃ・・・。
30歳の頃、企業や団体のの50年史、60年史の本の制作に携わったことがある。その頃は、自分の人生より以前のことを調べ、まとめていくことが、年史物の仕事であった。
いま、「50周年・・・」などの活字を目にするとき、自分の人生の範囲内じゃないか・・・ということを思い知ると、なにかガクッとする。
「何周年」なるものが自分にあるかと考えると・・・詩吟だけか。祖父の詩吟が世に知られてから70年余り、「西大寺詩吟同好会」からいうと53年。私が祖父の講座に正式に入った時からいうと、33年。続けるのなら、もっとレベルを上げるべしだ。
先日、山陽新聞が金婚式の集いをしていた。天皇、皇后様も50周年だった。私は23年で途切れた。途切れなければ、37年だ。
ずーと前、80歳過ぎのご婦人が、信仰心の厚い大変気丈な方が言われたことを思い出す。「自分と同じ歳の人を見て、あーー私もあんな様子なのか・・・とショックだった。」日々の生活を振り返ると、60歳以上の人達としか付き合っていない。緑化フェアのボランティアの間は、20歳代の若者とも交流があった。
毎朝見ている「一日一言」に、「子供の教育」について「師を選び、友を選び、土地を選べ」とあった。「老いて衰えないために」、この戒めは子供だけのものではないな・・・。
岡山学芸館高校の芸能鑑賞会の授業が、シンフォニーホールで、27日にあった。同校の職員の方からご案内を戴いて、行った。
「津軽三味線 ゴスペル コラボレーション」で、出演は「澤田勝司」と「EVERYTHING GET TO BE GOOD」。
ゴスペルはピアノと4人、三味線は1人。舞台は照明の演出だけ。シンプルで4人のハーモニーの心地よさが残った。津軽三味線のリズム豊かな哀愁は期待に違わず、エレキにチューンアップした音は、三味線であることを疑わせた。
1階は生徒たち、2階を保護者と招待者に開放された。ゴスペルにのって会場が手拍子に溢れ、舞台に引き上げられた生徒がゴスペルの一声を、上手くこなし、三味線では4人がリズムにのって伴奏し、とても楽しい鑑賞会であった。
私立高校が、生徒の可能性を引き出し、成長させることができることに優れている面が垣間見られた気がした。隣接する、わが母校である県立高校の状況と比べ、どんな違いがあるのだろうか、気になるところだ。
このところ仕入れたことで、「立命」とか「知命」ということがある。この世に生まれたからには、自分は何ができるのか、自分の能力は何か・・・をまず知りたい。
「この世に生まれし人々は 天に受けたる 務めあり 各々務めは違えども 己の務めは果たすべし」「人の命となるものは 務めを果たす吾にあり その吾なくばその命 さて何というべきか」
高校卒業間近の頃、友人からもらった「生きがいの探求」という本を読んだ頃に、書いた詩?。今も忘れず出てくる。その後の実際の40余年は、この気概の通りにはなっていないのが口惜しいところだが、それはまた、今後に期待しよう。
25日、12人がOさんの山荘に集まった。ここは30年ほど前に来たことがある。祖父の詩吟の会で20名余り。夜の会合で、雨が降ったように思う。タクシーを利用したが、道が狭く暗いのしか憶えていない。
10年ほど前から、荒れていた山荘の周りを整備して、庭作りに邁進して、TVの取材を受けるまでになったそうだ。枕木で作ったデッキがあり、芥子山山頂からの眺めとは違った西大寺の街や吉井川の風景が新鮮だった。
男性5名、女性7名が集まり、緑化フェアでの活動振りを話し合った。そして、このつながりを活かして、何かしていこうと一致。今回連絡できなかった人たちにも呼びかけることとなった。Oさんからの今朝の電話によると、前回開催地の群馬ではOB会が組織され活動をしているそうだ。
いま思うのは、来年4月にオープンとされる、フェア会場跡の公園(西大寺南公園か)が、開放されるとき、花で飾るのはどうだろう。広く賛同者を募り、プランターなどで各自で育てた花を持ち寄り、公園中に飾る。それを毎年の行事とする。
3週間ほど前か、電話に出ると、朴訥そうな声で「函館の・・・・です。もしよかったら毛ガニと帆立貝があるんです。蟹は冷凍ではなく、捕れたてをボイルしたもの・・・・」というセールスの電話だった。FAXを頼むと、翌日送られてきた。「お話を聞いていただき・・・」とあった。ホームページがあったので見ると、北海道で手広く商売をされているらしかった。
母親に言うと、注文しようということで、メールで注文した。私不在のときに連絡があり、この土曜日に来るとのこと。土曜日になったが来ない。日曜も来ない。月曜も来ない。何の連絡も無い。いいかげんな会社だなぁ・・で忘れていた今日の土曜日、来た。母親の勘違い。
晩飯は、毛ガニと帆立貝。ハサミで足を切り、爪に切れ目を入れ、胴体を二分し、ホタテは説明書を見てナイフで切り、レンジで温め・・・・・美味い。
やはり、カニを食べるのは、疲れる。そして、想像通り、カニを食べている間は、「静か」だった。
今日の4時過ぎにフェア会場に行ったら、随分と人がいた。人の思いは似たところがある。名残惜しむ人の思いか。明日はいよいよ最終日。緑化フェア66日目。
「日本外史」を見たいと思って、県立図書館へ。県庁の前を右折するとき、ガラス張りの内側はブラインド。「あれっ?」駐車場が見えてくると車がいない。出口のところに「休館日」の看板があった。
「どうしよう・・」信号待ちで考えて、市立図書館に寄ることにして、旭川沿いの道へ。市立中央図書館は久しぶりの訪問。11時前だから駐車場はガラガラ。入って、パソコンで検索。「書名:ニホンガイシ」。検索を押したら、「岩波文庫 1982年で上・中・下」が「在庫」。「上」をプリントアウトしてカウンターに行って尋ねると、書庫から出してきてくれた。
開いた机で読み始めたが、期待に反して、「漢文」が無い。全部、読み下し文。思えば、活字が無いか。読み始めたが、それほど読まない内に、眠たくなってきた。知らぬうちに、眠りに落ちていた。ハッと目が覚め、また読み始める。そのうちスーーッと睡魔が襲い、また眠りに落ちる。何度かそれを繰り返し、また来よう・・・と決めた。
駐車場に帰り、車の駐車券を見ると入場時間は1時間40分になっている。規定は「1時間30分」までは「無料」。それを過ぎたら「1時間 100円を支払わなければならない。「うたた寝代だな。」
フェアはあと4日間だが、私の活動割り当ては今日が最後。
暑かった。スタートした3月20日頃は、まだ寒かったことを思うと、「日本の四季」だ。終わりが来ると、それゆえの寂寥感がある。休憩のとき、「これが終わったら、どこへ行こうか。行くとこが無くなったら困るなぁ」とご婦人たちが話していた。ボランティアで家事も忙しかっただろうし、いくら作業をゆっくりしたとは言え、午後3時を回ると、疲労感が出てくる。そうであっても、フェア会場に来ることは、張り合いがあったのだ。
これからは、岡山市の緑化推進活動の一端を担うことだろう。
それは、「美智子 著」という文字。本のタイトルは「橋をかける」だったか?
「美智子」は「皇后様」であった。皇室には苗字は無い。本の内容は、美智子様が子供時代に読書を通して、知らない世界と自分の間に橋がかかっていった・・・というように勝手に理解した。何年か前、インドで開催された読書関係の世界大会で、子供たちに講演されたニュースを記憶している。それを、文春文庫が発行したようだ。
文春文庫はどのようにしてこの本の出版にこぎつけたのだろうか。
眠くてたまらん。今日飛ばすと2日連続になる。少しでも書こう。
この3日間、腹筋と背筋を動かしている。背中を動かすと体が軽くなるような気がする。
腹筋は無いと思った方がよい。お腹が出ているのが、カッコ悪いと思うようになった。ほんと、体が思うように動かせないのは、不細工だ。両足を上に上げると、下腹や胃の周辺の肉が下りてくる。叩いてみると、いい音がするような・・・・・・・・。
緑化フェアメイン会場の目標人数が30万人。5月12日に30万人目に40代の女性が当ったそうだ。
これまで天気が良かったのと、リピートの人が期待以上に多かったらしい。花は綺麗だ。自分のペースでのんびりと歩けるのがいいのだろう。
先日ボランティアで出動していた日、同級生のFが来ていた。背広スタイルで、「仕事を抜け出して来た。入場券がぎょうさんあるのに、今日が初めて。花が咲いとるのはええなぁ。癒される。仕事に帰りとうねーな」と。
イベントが終わる。また同じような日常が繰り返される。自分の生活の中に、日々積み上がっていくものがあるかどうか。それが共感を呼ぶものならば、自分発のイベントも可能になる。
新幹線は7年振り?大阪駅西口のビックカメラ進出が決まった頃、大阪を離れた。
大阪駅東口の改札を入って7~8段?の階段があったが、それが無くなって、いきなりエスカレーター。決定打が無いまま、漂流してしまった大阪時代。このまま、この街に溶け込めそうな気もする。
45分余りで岡山に着く。倉敷駅で人身事故があったとかで、赤穂線のホームに学生を中心に待ち人が溢れる。15分余り。大多羅駅着。芥子山と色づき始めた麦畑。一日が終わるホッとした空気が漂う。
トヨタの営業赤字がまだ続くという記事を見て、石田退・・・なんとかいう名前だったと気になった。「石田退助」と検索して、「石田退三」と気がついた。
そして、「粗にして野だが卑ではない」という本があったな・・と検索したら、それは「石田礼助」氏で、国鉄総裁だった人だ。
このお二人の生年没年を見て驚いた。石田礼助1886年~1978年、石田退三1888年~1979年。同じ時代を生きた。
出身は、石田礼助は静岡県松崎町、石田退三は愛知県知多郡。
学歴は、石田礼助は東京高商(現 一橋大学)で学び、三井物産に就職。石田退三は、父を早くに亡くして丁稚奉公に出るところを、遠戚の小玉一造の支援で、滋賀県立第一中学校に進学。卒業後は代用教員として働く。
石田礼助は、昭和14年三井物産の社長に就任。戦後、公職追放で晴耕雨読の生活。昭和31年に国鉄監査委員長に引っ張り出され、昭和38年には第五代国鉄総裁に。「公職は奉仕するべきもの。総裁報酬は全額返上する」と明言し、国民の支持を得る。昭和43年、辞任。
石田退三は代用教員の後、3社ほど勤め、豊田佐吉と出会い豊田紡織に入る。昭和23年、豊田自動織機の社長に就任、昭和25年に経営の危機に陥ったトヨタ自動車工業の社長を兼務。社長在任中は、「ケチに徹した」それが、トヨタ無借金経営の礎となる。ある時、融資を引き上げようとする住友銀行のやり方に不信感が募り、その後、取引を止めた。それもあってか、内部留保を増やし、トヨタ銀行といわれるまでになった。「トヨタ中興の祖」「トヨタの大番頭」と言われる。
明治生まれの気骨。時代がつくるものか・・・・・。
幕末から明治初期の寺子屋と私塾の数が多かったから。
寺子屋は長野1341、山口1307、岡山1031、私塾は岡山144、長野125、山口106。
私塾の数では、岡山が最多。邑久郡には14もあった。30人から50人の規模が多かった。学科は「漢学」。他には「筆道」「和学」「算衡」「詩文」「算術」「習字」「読書」「文章」など。一私塾でこれらの学科が網羅されているのではない。「漢学」は、全ての塾が教えている。それに1~3学科が加えられている。
19世紀始め頃には普及していたであろう、「漢文の訓読法」によって、多くの人たちが学習することができるようになった。そして、漢学で鍛えられた能力は、英学の吸収も早かった。
「それ、学は通の為に非ざるなり。窮して困しまず、憂いて、意、衰えざるが為なり。禍福終始を知って惑わざるがためなり。」と、古代中国の哲人・荀子が喝破した。
幕末そして明治期、少年少女らは、何を思って私塾で励んでいたのだろう。いまの少年少女たちよ、なぜ学校にいくのか考えてみよう。
「日本外史」の作者は頼山陽。幕末明治期の大ベストセラー。幕末維新期における漢詩文の読者のうちで、「日本外史」の文章に触れたことのない人はほとんどいないといえるほど。発行部数は30万とも40万とも言われている。頼山陽は1781年~1832年の人。
先日、県立図書館で「漢文脈と近代日本~もう一つのことばの世界」(齋藤希史 著)なる本を借りた。そこに書いてあった。
「日本外史は、保元・平治の乱による、源氏・平氏の台頭から徳川の天下統一にいたるまで、武門の興亡を記した本。」「君臣の分を重んじる大義名分を、皇室と武門との関係に当て・・・・つまり皇室が君で武門が臣というわけです・・・尊王思想を記述の根幹としたことが、時代の好尚にあった。」
「武士がいかに行動すべきか、その指針を示したものであり。思想の中身もさることながら、歴史を一つの原理、一つの流れでわかりやすく描き出し、規範を示したことが、人々に歓迎された。」
「日本外史は、さまざまな史料や史書を駆使してできあがったもので、その中には和文で書かれたものも少なくなく、また史書というよりも小説に類するものもあったわけですが、山陽はそれを巧みに漢文に直しました。一種の漢作文と言ってもよいでしょう。」
「中村真一郎は『頼山陽とその時代』の中で、思い出をこう記しています。」
「明治初年生まれの私の外祖母は、文字通り無学な田舎の一老媼に過ぎなかった。しかし彼女は、中学生の私が漢文の副読本の『外史鈔』を読み悩んでいる時、台所に立ったままで、私の読みかけた部分をえんえんと暗誦して聞かせてくれた。明治の初めの地方の少女は『日本外史』を暗記することが初等教育であったのだろう。
それは『外史』が全国津々浦々行き渡っていた証拠となると同時に、その文章が暗誦に適した、つまり人間の呼吸に自然に合致した、見事な雄弁調といて成功していることを示しているだろう。近代の口語は、そうしたエロカンスの美において、遂にこの水準まで達した文体を発見していない。」
祖母が暗誦したのは、漢文の訓読で、山陽が作文にあたってお手本にしたのは、「史記」130巻のうち「項羽本紀」。
「私(山陽)はかつてこの一篇を書き写し、読みながら傍点を付したり、段落を区切ったりしたことがある。日本外史を書くようになって、毎朝この篇を朗誦したが、大いに力を得たものだ。」と、述懐している。
頼山陽は30歳の頃、日本外史の草稿を仕上げていたようだが、その後増補を重ね一通りの完成をみたのは、47歳のとき。20年を費やした。
炭酸を買ってきて、ウィスキーを飲んだ。いつもよりウィスキーの量が多かったかもしれない。眠い。
以前のバカ飲みから思うと、酒量は激減。これが普通。
一杯人酒を呑み 三杯酒人を呑む
古来、酒を呑むときは注意せよ・・・と言われてきている。
深酒や、深夜まで呑むことを注意すれば、朝起きたときの「胃」は軽い。ほんと、バカみたいに呑んでいる頃が、勿体無い。
昨日、無事終わった。先生6人生徒57人の出席だった。その中、20人ほどは半年前の中学校の同窓会出席者だ。
前回は6年ほど前。そのときご出席のM先生は、比べると、やや衰えを感じた。N先生は「数えで80になる。これまでは感じたことは無い、衰えを感じる。頭の中が空っぽになったような・・・」と。卓球一路のT先生は、到着時に体調が悪くなり「世話役の顔を見て、帰ろう」と思われたらしいが、思い直してくれて、最後までお付き合いいただいた。我々と10歳違いのO先生、5歳違いのS先生、藤沢市から来ていただいた I 先生・・・40年余りの時間を遡った。
スライドは現在の学校風景、卒業アルバムから各クラス写真や当時の学校風景、芥子山山頂からの眺望、緑化フェア会場風景、同窓会準備作業風景、昭和38~41年の時代描写の雑誌、高校三年生、学生時代、校歌、応援歌など、盛りだくさん?に写した。
男子の顔は皆わかったが、女子は半分ほど。県外から16名人が来られた。
小冊子にスライドを作った。スライドは中学校同窓会よりも種類もコマ数も多くなった。
卒業写真を映像に取り込んでいると、皆の顔の初々しさを改めて感じた。面差しはいまの原形になっている。自分のを見ると、気取った顔で、ええかげんにせぇーーと言いたい感じ。思えば、殻に閉じこもったところもあって、シャキッとしない高校時代だった。歯切れ悪し。
先日、緑化フェアの花柄摘みの作業で同じ班になったご婦人から、「あの頃はもっとスマートでかっこよかった」と言われた。確かに、高校当時より30kgは増加。明日は40年余りの時間を刻んだ顔が見られるか・・・。
今日から5月、夕方のヒンヤリした空気はあるけど、寒いという感じは無くなった。窓を閉めた車に乗ると、早く窓を開けて外の空気を入れたいと思う季節になった。
また、汗をかき、太陽のまぶしさに眼を細める時期が来る。夏至の日まで昼はどんどん長くなる。あと1ヶ月半ほどか。四季がある国は世界でどのくらいあるのか。以前、インドネシアのセレベス島(いまは、サウス スラウエシ)に行ったとき、川で水浴びをしているのを見て、「冬は寒いだろうな・・・」と言った人のことを思い出す。その人は3年前に亡くなった。
窓を開け、夜風の涼しさによい気分でいたら、ブーンと飛んでくるやつがいる。そうだ、この季節になるといるんだ。また、蚊取り線香を買ってこなきゃ。
ブルーラインの道の駅黒井山の側の山中に「ぼたん園」があって、千坪はあるだろう。花の盛りの終わり頃だったか。いろんな色の大輪があった。「花王」「鎌田錦」「島なんとか?」などなど、いろんな名前がついている。新種を作った人が登録するときに、自分の好きなように名前をつけることができるかららしい。
ぼたんの産地は、島根と新潟だそうだ。鳥取の大山の麓でも作っているが、島根の会社が作っているから、「鳥取産」にはならない。連作ができないので、そういう措置が必要になるらしい。
黄色がひときわ映えているものがあった。「ハイヌーン」と名前がついていた。実は、アメリカ人が作った新種。今日が見ごろという。綺麗な黄色だった。
芍薬とぼたんをかけあわせたのがあった。まだ蕾で、「ぼたんが咲き終わって咲くようだ。それでは遅い。失敗だった。抜かんといけん」とぼたん園の人。
ぼたん園に隣接して「茶花園」があった。沢山の、憶えきれない木々があった。記憶にあるのは「花水木」が花を沢山つけていた。「手毬なんとか」という名前が数種。白い花が丸く集まって、枝のあちこちについていて、その丸い形が「手毬」に例えられたようだ。
木には名札がついているのだが、憶えたつもりが、出てこない。
昼寝をしていて出かけたのが2時過ぎていた。でも、陽射しと風が心地よかった。早めの晩飯を回転寿司に行って、帰ったのが6時頃。なでしこなどに水をやって、ゆっくりした夕方をすごした。これも、緑化フェアのおかげかな・・・。
ラジオで話していた。ボーナスに縁があったのは、いままでで10年間ほどか。いまのご時勢、ボーナスがあるだけでもハッピーだろう。
儲けるということを、先人の言を借りると、「君子もまた利害を説く。利害は義理に本づけばなり。小人もまた義理を説く。義理は利害に由ればなり」
事業の規模が大きくなると、経営者の価値観は変わるのだろう。トヨタがいつの間にか過剰設備を抱えていたという。世界一の販売台数に迫ったことが、何かを狂わせたのか。
日立など電機メーカーが、自動車の世界市場規模に期待して、自動車部品製造を増強したとたんに、この世界不況に出くわした。
競争は生き延びるためには避けられない。地元のスーパーの乱立?を見ていて、大変だ。なんでまた新規出店してくるの。ここの市場規模はそんなにあるの?それとも、先発店のどれかが息切れするまでのガマン勝負?
3000万人の人口で260年間過ごしたのが、徳川幕府の江戸時代。鎖国をして、3000万人の生活を維持した。
黒船来航でヨーロッパ先進国の介入?が始まり、鎖国を止めて、世界と付き合い始めてから150年余り。
お金はいまや世界中を勝手に走り回る。我利我利亡者どもが掻き乱す。
お金にモラルを求める声も上がってきた。「利害は義理に本づけばなり」だ。
今月はブログを飛ばした日が多かった。この3日間は、高校同窓会の小冊子とパワーポイントでスライド制作のため、ブログ書く時間を取れなかった。幸い今日の最終打ち合わせに間に合って、小冊子の製本作業を共同ですることができた。スライドもほぼできた。
久しぶりに見る卒業アルバムで、木造の教室と廊下、そして「購買部」の板が下がったいわゆる「売店」は、懐かしさ一杯。今日の試写で、皆、同じように感じていたから、当日も40余年前に飛べるだろう。
なでしこが咲き始めてもう1ヶ月になるか。まだ花は咲き誇っている。小ぶりな可憐な花だがしっかりと花を保っているのが「大和撫子」になったのだろうか。
ここはオープンしてから何年経つだろう。以前、来た時は、駐車場の空き待ちの車が道路に並んでいる時ばかりで、いつの間にか足が遠のいていた。今日は高校の同窓会のホテルと打ち合わせに代表世話人のFに随行で岡山に出て、帰りにここに寄ることになった。
昼前で、館内でFお奨めの?スパゲティーナポリタンを「熱いうちに食べる」というアドバイスに従って食べた。
30分ばかり見学して、登録して2冊本を借りた。さすが、蔵書は豊富。居心地も良さそうだ。せいぜい利用しよう。
おはパソの道上さんが今朝話してた。腹筋を鍛えるのに、ボールを足ではさんで、頭を上げて腹の方を見るとかなんとか、そういう運動を指導した先生がおっしゃったらしい。
腹筋を鍛えるのに身体を寝かして上半身を起こす運動を繰り返すが、単純に同じ運動を繰り返している場合は、思うような効果は出て来ないそうだ。
ワンパターンという語がある。
ワンパターンのときは、楽してる。
冬の間は家の中で過ごしているのだろうと思い、姿が見えなくても心配はしてなかった。暖かくなってきたのに、歩く姿が見られないので、どうしたのか・・・と気になっていた。今朝仕事から帰ると、母親が「だいちゃん死んだんじゃて・・・」と。飼い主のKさんに聞いたところによると「1月のある日、夜帰ってこないので近所を探し回った。遅くに入り口で音がしたので出てみると、顔を血だらけにしたダイちゃんが倒れていた。事故で怪我をして、家までやっと帰ってきた。すぐ獣医に診てもらい処置をした。しばらくは、家の中に留めて、様子をみていたが、亡くなったそうだ。」
賢いネコだから、事故に遇う事はないだろうと思ったのは、勝手な思い込みか。可哀想な結末だ。
普通なら、朝、配達を終えて帰ると、バイクを置く庭?にある台の上で前足に顎をのせて気持ちよさそうに眼をつぶっているはずだった。残念な事故だ。安らかに眠れよ。
なでしこと牡丹が咲いている。なでしこは去年9月9日に種をまいた。約6ヶ月。花が咲くまでに、これほどの時間がかかる。牡丹は母親がいつ植えたのか、咲き始めるまで知らなかった。
昨日は詩吟の誓山流の30周年とのれん分けした魁山会誕生の記念大会に参加した。坪井誓山先生の志気が行き届いた、いつもながら、気持ちの良い吟詠大会であった。出席の顔ぶれも、吟剣詩舞振興会の河田会長、岡山県総連の藤上会長そして日枝理事長が勢ぞろいの晴れ舞台であった。
吟じたのは、「和歌 楽しみは」。4月2日の緑化フェアで発表したもの。よく練習したということと、この歌の内容を考えると、「昨日まで無かった花」は「上達していく会員の実力」と見ることができる。そういう意味を含んで、この和歌をすることにした。
「楽しみは 朝起き出でて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」
「楽しみは 庭に植ゑたる 春秋の 花のさかりに 会える時々」
懇親会の後、倉敷駅前の某店で2次会。電車には乗ったのだが、降りるたびに違う駅で、やっと大多羅駅に着いて、20分ほど歩いて帰った頃は、0時近かったのか・・・よくわからない。おかげで、今朝は3時30分の起床であった。仕事は無事にすませたが、帰って食事してから、すぐ睡眠補給。3時間ほど寝ていた。
一昨年1月から始めて、それほど休まず書いてきた。今月は休みが目立つが・・・。1都1道2府43県すべてから、1回はアクセスがあった。TV番組を話題にすると、アクセスが増える。皆似たような関心をもつものだ。最高は200を越えたことがあった。両備グループのCMソングが、秘密のケンミンショーで取り上げられたとき。
主婦から医者になって僻地医療に単身で取り組んだ鈴木陽子さん、東尋坊の自殺防止ボランティア茂さん、簿記検定一級を満点で合格した元歯科医院事務職の赤壁さん、シンクロナイズドスイミングのデゥエット伴奏曲を作曲した中学生・車川さん・・・ひょっとして名前に間違いがあるかもしれないが、この人達の話題がアクセスを増やしてくれた。
ブログを始めた直後にコメントをくれた人物が、中学校以来の親友であったのは、驚き桃の木山椒の木。時々来るコメントから、だんだん知っている人物か?と思うようになって、1年余り経って、彼の結婚記念日と私の次女の誕生日が同じという話題を書いたところで、判明した。東京と岡山のやりとり。
ブログを作ってなかったら、何を楽しみにしていただろうか・・・。
今日は植物管理のボランティアだった。花柄摘みで1日が経った。最初は、芝生の雑草取り。ついで、花柄摘み。
どちらの作業も、しゃがんでするようになる。その姿勢は、若干、腹の出ている、メタボ体型の自分にとっては、次第に負担になってきた。
しかも、しゃがんだり立ったりを繰り返していると、太腿がジワッと痛くなってきた。日ごろの運動不足なのだ。終わったいまも、腰のあたりに、疲労感があり。
好い天気で、昨日の入場者数1,200人を十分穴埋めできそう。2度目の花と緑の相談室での仕事だ。
「桜を2本植えとんじゃけど、サクランボを少ししかつけん。去年は12個。これを増やす方法は・・・・・」
「背丈の小さい桜は無いか?」
「桜を植えて5年は経つ。花が咲かん。どうしたら咲くか?」
憶えている質問はこれだけ。「クリスマス ローズの株分けの仕方」を尋ねていた人もいた。クリスマス ローズという花は、いますごい人気だそうな。相談室の前にあったので、見た。
緑化フェア会場は、花が溢れてきた。チューリップがとても綺麗に咲き誇っている。
入場者数は10万人を超え、予想より速いペースだそうな。今日、ミニトレインが復帰した。
10日ほど前になる。白いシャツの背中が丸くなったおばあさんが、スラックス姿で右手にステッキを握り締めて、早足で歩いているのに出会った。配達も後半だったから、5時半頃だっただろう。
「思うところあって、早朝散歩を決行しているのだな・・」と思わせる歩き方であった。
その翌日、また出会ったのだが、そのときは、左側に息子さんらしい人がおばあさんの左腕を抱えて、おばあさんの歩調に合わせて、足早に歩いていた。おばあさんの右手はステッキをしっかり握っていた。
一人だけの早朝散歩は心配だから、息子が同行しているのだろう。早朝散歩を止めたのを、おばあさんが強行してので、あわてて付き添うことにしたようにも見える。
その次の日も出会った。それから何日か出会わなかって、今朝、どうしているかなとおもっていたら、はるか前方の道を横切るオレンジ色のシャツを着た人が見えた。遠くてそれだけしか印象に残らなかった。配達順路をたどっていって、ある家の角を曲がったとき、前方右に左腕を抱えて歩く男性とオレンジ色のシャツを着たおばあさんがいた。
最初に見かけたおばあさんの歩く姿からすると、左腕を抱えて歩くその形が、どうも不自然に見えてしょうがない。歩くのたいへんじゃないのかな・・・と心配する。
でも、おばあさんの毅然とした歩きっぷりに感服。
日曜日は吟士権東部地区予選会があって、音響係でお手伝い。30番づつ交代で156番まであったから96番分受け持ったか。CDをセットして、司会者の呼び出しに合わせてスタートボタンを押したはずが、ストップボタンを押して、伴奏が流れるまで間延びした失敗が1回あったが、他は迷惑かけることなく無事終わった。
帰りにユニクロに寄って、ズボンとシャツを買った。ズボンは黒と茶系のもの。シャツはピンクと紺のストライプのもの。ピンクはそれがあったので、買ってみようかという心境になったから。ズボンの色との組み合わせも私なりに考えて、無駄がないようにしたつもりだが。
お客は沢山来ていた。若者が多かったが、同じ年齢の人もいた。
イトゴとは違う安い店だ。柳井社長が億万長者になったのもわかるな。
今日のTV番組で、川島芳子が銃殺されていなくて生き延びていて、1979年昭和54年に亡くなった・・ということを立証するドキュメントを放送していた。見ていて、なんでかホッとした。
「世間知らずで思いやりに欠けるから、側について助けてくれる人が必要・・・」と説得されたのは天皇陛下。「誠実さと寛容さによって、今日まで努力することができた・・・・」と皇后陛下。
お二人で、全身全霊をかけて、皇室の責務を築き実行してこられたことに、感動する。何をしなければならないかを、常に問いかけ、行動に移すことができるには、敬愛の気持があるからだろうな。
かつてご進講に上がった団藤元東大教授が、風邪で体調を崩したことを聞いて、七草粥を届ける皇后様。
「無私」なのだ。人々の幸福を祈られるのだ。
4月8日に緑化フェア会場に秋篠宮ご夫妻が来られた。その日午前中の入場者数4000人超え。会場を回られたとき、通路両側に並んだ人々に、笑顔で手を振る姿は、公務とはいえ大変だな・・・と思った。
某スーパーがリサイクルステーションを設けて、ビン・カン・ペットボトル・牛乳パック・食品トレーなどを回収している。
ペットボトルはラベルをはがすのがルールなのだが、そうしない人が目立つ。今日そこで袋を交換している男性スタッフがいたので、「ペットボトルのラベルは、はがさんといけんのでしょう?」と言うと「そうです。でも、はがさん人多いよ。裏で、ワシが一人ではがしょうる。腹立つで。もっとひでーのは、ネコの死体や、ブロックのカケラを放りこんだり、この間は墓地の草取りをしたものを持ってきて捨てようとしていた。ここはゴミ捨てじゃねえんかな・・言うて・・・。もうごだじゃ、この回収するのを、もう止めようかいうとる。」
自分が楽をした分は、誰かに負担をかけている。
この回収場所があるのは、随分助かっているのに、少数の身勝手な人たちのおかげで、継続しないかもしれない。
先日のボランティアで聞いた。来場されたある人がこう言って通り過ぎた。「1000円もろうとんじゃから、しっかり働け・・」。こんな人は稀で、多くの人は「ごくろうさま・・・・」と声をかけてくれる。
それにしても、思いもよらない行動がある。どうしたらよいか・・・。
我が娘37歳になる。気がかりな状態にある。3年前に離婚した。親の因果応報か。いま新たな心寄せる人あるも、年下らしい、一回り。先方の親御さんは、不満の様子。いままで母親と同居していたが、いま、彼が働く遠隔地へ転居する段取りを進めている。
47歳で離婚して、離れて暮してしまったから、親子の関係は自分の期待したようなものではなくなったのだろう。因果応報か。
いまを作ったのは、過去の私。それが娘のいまの行動に影響を与えていると思う。いかに支援するべきか・・・。
「志があれば邪念を振り払う」ということを、今日の「佐藤一斎の一日一言」にあった。
「志」ということをよく意識するようになったのはこの一年のこと。たしかに二十歳前後のころは、その渦中と言えたのだが、省みると、無かったな。
何故だ?解ったつもりになってたのか。あの頃の硬直した精神状態が残念だ。過ぎたことをあれこれ考えても仕方ない。これから、何歳まで行けるか。90まで行くためには、何を準備しなければならないか・・・。何をするために、時間が必要なのか・・・。
昨日のTVで、空気で家を浮き上がらせることで地震から家を守ることを実現した人を知った。年齢は同じくらい。偉い奴がいるなぁ・・。町の工務店経営者。
必要と心底思うなら、その実現に邁進すべし・・・。
4月2日の「吟と書と舞」の公演を写真も大きく、目立つ割付の位置で記事にしてくれた。私はこの写真の中にいるのだから、舞台がこうなっていたのを初めて知ったわけだ。演目が終わって、フィナーレを作っといて正解だった。書道の作品がしっかり見られてよかった。
上手くいってよかった。先生はじめ書道部の皆さんも「好い経験になった」と喜んでくれた。われわれも、年寄りだけの詩吟が、若者たちと共演となり、観客の興趣が高まる中での舞台ができて良かった。機会を作ってまたコラボレーションといきたいものだ。
さあ、詩吟の活動の次の目標は、11月15日に岡山市民会館で開く「岡山市連50周年記念大会」だ。しっかり練習して、恥じないレベルにしなければ・・・。
1週間前、突然に風邪気味になった。症状はどんどん進むようで、ノドは痛くなり、鼻水は止まらず、土曜日に別な吟を録音しようとしたら、詩吟にならなかった。
これはまずい・・・と焦った。それから、葛根湯を朝、昼、晩とこまめに飲んだ。汗にも気をつけた。そして、今日の練習日。1週間声をだしてない。発声練習では、声がかすれる、変な裏声になる。大丈夫かな・・・?
前奏をかけて短歌を歌ってみる。引っ掛かるところもあったが、大丈夫だ。なんとか間に合ってよかった。
シナリオを作って高校へ行った。丁度、胴着に袴の本番仕様でリハーサルをするところだった。流れがわかった。さあて、明後日だ。
3月30日から4月5日まで、緑化フェアテーマ館のロビーで、鐘紡西大寺工場の展示をする。今日5時半から幅1.2m高さ1.8mのパーテーション4枚使って、A3サイズ25枚の写真と3枚の歴史説明文を展示してきた。
昭和35年頃の工場全景写真は興味を引くようで、展示作業中に、事務局関係者が何人か立ち止まって話ししながら見入っていた。
昭和9年に撮影した、畠を馬で耕している写真もある。
ローラースケートを使って作業のスピードアップをしていた頃の写真もある。
ほぼ100年間、緑化フェア会場の地に、紡績工場があったのだ。歴史の展示はこれだけだろうな。
今日見せてくれた写真。4月2日の書道部衣裳だ。
夕方、緑化フェア・テーマ館内の行事紹介冊子を高校へ届けた際、先生が練習の成果を見せてくれた。部室には3人残っていた。自己紹介をして、練習の成果を拝見した。そして、当日の舞台での段取りを伺った。その時に見せてくれた写真の出で立ち。なかなか凛々しい。花ができた。
習字を始めてどのくらい?と問うと、一人の子が9年ほど、と答えてくれた。我が同級の女性が先日、還暦の展覧会をしていたのを話し、「続けることは大事だと思う」と実感するところを言うと、3人肯いていた。
先生は入念に舞台のイメージを作ってくださり、感謝感謝。お客さんに花を感じてもらえる舞台ができそうだ。
一応ボランティアリーダーだから、4人のボランティアの人たちに、事務局が決めた作業などを指示伝達する。昨日は、外周歩道に面した部分の除草と、ビオラとパンジーの花がら摘みだった。皆さん慣れたもので作業はどんどんはかどり、追加作業を申し出る。
風が強く、ちょっと寒かった。作業していると、何人かのお客さんが「ご苦労さま、大変ですね」と声をかけてくれたが、さほど大変でもなかった。新聞報道によると、出足好調のようだ。
今日も風が強く2月中旬なみの冷え方だった。暖かくなるのは4月か。開花も多くなり見どころが増えてくるだろう。花の『ハナ』が失われないよう出動日はしっかり働こう。
1-0の4回の韓国攻撃から見始めた。岩隈がきっちり抑えていたが、1点差じゃ1発で同点だなぁと思ったらバックスクリーンに放り込まれて・・同点に。
9回のダルビッシュ。その心の内を想像すると、四球2つもしょうがないか。同点にしてしまったのもしょうがないか。同点で止めたことを好しとするか。それにしても、韓国の思いの強さに敬服。それが、10回のイチローの一撃の後は、張り詰めた心の糸が切れてしまったのがまるわかりの状態だった。
日本チームがそうなりかねない緊迫したゲーム展開は、観客を感動させた。すごい試合だった。
ダルビッシュは今年も好成績をあげるだろう。あれだけの場面で投げたことは心のコントロールに形ができてくるだろう。自分の力を発揮することを邪魔するものが何かが、判ったのでは・・・・と思う。
絵に描いたようなというよりも、絵にもかけない展開になった決勝戦だった。勝つと嬉しいもんだ。力を出すのは、練習をしたからだ。
いつものように階段を上がりドアポストに新聞を入れたとき、チッチッという声と羽の音が聞こえた。上を見ると、燕が2羽、隣のドアの縁にとまろうとしていた。
もうツバメが来たのか・・・!?
こんな詩を思い出した。
花開けば 蝶枝に満つ 花謝すれば 蝶また稀なり ただ旧巣の燕有り 主人貧しきも 亦 帰る
今年は店に燕が来るだろうか。去年は道路に落ちていた?燕の子を保護したが、手で触ったのが失敗だった。子燕を巣に戻しても、親鳥は人間の匂いがする子燕の世話をしなくなるらしい。このときは、パン屋さんの軒先のテントに巣があった。そこに戻したのだが、その後を見届けていない。
緑化フェアのボランティア初日の出来事の追加。
花緑相談室の前に立っていると、私に尋ねる人が出てくることは昨日書いた。その中で、なんだか可笑しい話。
「出口はどこ?」と3人ほど聞かれた。最初の人には指差して多言を弄して案内した。2人目の人のときは「入ったところです。」と応えると、即解決。正解だ。「出口はどこですか?」の答えは「入ったところです。」
3人目の人も「入ったところです。」の応答に、追加の質問もなく歩いて行った。なんだか、このやりとりが無性に可笑しかった。
今日は雨模様で、お客さんの入りはどうだったのだろう。私は今日は文化資料館の店番。館長と2人体制であったが、緑化フェアに行くという人は赤穂線で来た男性一人。他に3組5人来られたのは「ベル串田」さんの絵が目的だった。
緑化フェアと西大寺見て歩きはまだ連動していない。
今日は「花緑相談室」の補助スタッフだった。相談員は公園協会職員と造園業経営の方。20人ほどは来られた。「山野草にはまったご婦人」「もらった花の苗をどうしたら・・」「どんぐりの木と樫の木の苗をもらって知り合いの送りたいが水やりはどうしたらいいのか・・」いろんな質問があった。
相談室のプレハブの前に立っていたら、「トイレは?」「飲み物はどこで売ってる?」「自転車のタクシーの乗り場は?」「ミニトレインの乗り場は?」「さっきの放送の苗をくれる場所は?」「ミルクをやりたいのだけどお湯をくれるところは?」「出口はどこ?」「風船をくれるのは?」「青いバラが展示してあるのはどこ?」「車椅子は借りれるのか?」・・・・・・・・
いろんなことを尋ねられる。
今日あったほほえましい話。「木の名前が違うぞ」と言ってこられたので、ついて行くと「ヒラマヤスギ」と書いてある。木の幹にくくりつけた木の名札が間違えている。書き間違えたのか。外して事務所へ。中学校の生徒さんが作ってくれたものだった。「ヒマラヤスギ」が正しい。
3連休の2日目で、明日の天候が雨らしいということで、来場者数は多かった。会場を歩いているとき、「また来てーかな?」「うん・・」という親子の会話が聞こえた。
どんな展開になるだろう。来場者はだんだん多くなるだろうか。それともその逆か。30万人を予想しているらしいが、どうなるだろうか。
1000円の期間中パスを利用する人がどのくらいになるだろうか。65歳以上と17歳以下は無料だそうな。
いま関心事の一つは、フェアに出品するのに使っている、いろいろな器材を、フェアの後にどのように処理するのだろう。利用できるものはもらって活用するようにしたいものだ。
天気はどうだろう・・・。
ズボンとシャツを見に行って、適合サイズが僅かで、こげ茶のズボン95×73を選んだ。シャツは色が5種類あって、緑の濃い色にした。まるで、緑化フェアの制服みたいだ。シャツのサイズがXLで、44×85だったか。少し大きめと思ったら、帰って着ると丁度よかった。
ユニクロの柳井社長は去年は日本一の億万長者だと云われた。山口県光市だったかどこだったか。テイラーの二代目。技術レベルに妥協せず低価格で品質とファッション性の満足を追求した結果だ。最初のブーム頃に行って以来だったが、その頃よりまた勢いが増している印象。一時、次の世代に任せたと思われる時期があって、低迷しかけて、また復帰して盛り返して、さらに発展している。
人々の欲していることに合う製品を作る仕組みを持ち続けていることなのか。
また買いに行こう。
約30年ほど前、出かける支度の洗面所で、5歳の長女が下から見上げて言った。「どっきりあへ・・・」「?・・・」しばらくして気が付いた。「ヘアリキッド。」を逆読みした。
「ドッキリカメラ」でビックリして騙されて情けない瞬間は「ドッキリ アヘ」が似合いそう。
可笑しかった。いま思い出すと、可愛い頃だ。
30年は長い歳月になるなぁ・・・。いや、そうでもない・・・。いや・・・長い・・・。
今日はボランティアの人たち向けの、会場説明会があった。ほぼ出来上がった会場を約1時間かけて歩いた。時候の好い頃だから、景色と併せて気持ちの好い空間を楽しめそうだ。
麦畑の中を円形に敷いたレールを、ミニトレインが走る。距離にして180m。乗車は年齢制限無し、重量制限無し。一人200円。
会場にはベロタクシー(電動自転車タクシー)も営業。大人500円、小人300円。
街中のメインの通りには花のプランターが並んだ。通行の妨げにならないように置くことの兼ね合いで、インパクトは弱い印象。
ボランティア応募から1年半が経ったのか・・・。
長女の身の振り方で眼を離せないことができた。思えば、いままで自分だけ気楽に過ごしてきた。自分ではそう思ってないのだが、家族に無関心・・・ということになったのだ。大切なこと、深い喜びを多く逃してしまったと思う。
地に足がついた形になるよう祈ろう。
般若心経を暗記しようと始めたのは一昨年の夏頃だったか。写経を始めて、写すだけでなく憶えようと思ったのがきっかけ。区切りのよいところで分けて、書いて憶えていった。1行17文字であるのを知った。100円ショップで、漢字練習帳を買ってきて、繰り返し書いた。
書けるように練習するのとあわせて、暗唱の練習も、配達中に始めた。それまでは、例えばアパートの2階に上がるとき、1234・・・と頭の中は歩数を勘定していた。
やり始めの頃は、暗唱と作業がちぐはぐで、うまく出来なかった。いまは、鼻歌でも歌うように作業に支障はない。
遅ればせながら、繰り返してマスターする楽しさを味わった。習うより慣れろ。慣れれば昨日より違う自分がそこにいる。出来なかったことが、さらっと出来る自分がいる。
それをいろんな分野に広げることだ。
今日、高校の同窓会の打ち合わせで会ったT氏。いま主夫をしてるとのこと。定年になってから、奥さんがまだ勤務しているので、晩飯の料理を受け持とうと決めて、男の料理講座に行こうとしたが、どこも満員で入れない。やむなく、料理本を2冊買ってきて、その通りにしてみたら、結構美味いものができたそうな。奥さん大喜び。以来、「主夫業」をこなしているそうだ。
見習わなくっちゃ・・・・。仲良き夫婦のかたちを聞くと、それが無いのがなんとも・・・・。
「塀の上 ポストの上に 円い月」 ブロック塀の上に郵便受けを置いている配達先がある。新聞を入れるのに上向きになる。すると、1ヶ月のうち満月過ぎた今頃、月の位置がそのポストの上になる。
「夜のしじま 漂う朝餉の ハムエッグ」 住宅街。6軒配達先が集まっているところがある。配達先ではないが、いつも台所や2階の部屋の明かりが点いている家がある。そこから、ときどき、朝食メニューの匂いが路上に漂ってくる。今朝はフライパンに油をしいてる匂いだった。
さっき西大寺高校へ行って来た。4月2日の緑化フェアの舞台の件で。学校内は生徒の姿は無く、閑散としていた。昨日も訪問したとき、M先生が「いま入試中で、生徒は登校禁止です」と言っていたな・・・。
帰って見た新聞にも、「県立高校一般入試」の記事があった。
高校入試は昭和38年か。46年前。合格するものだと思っていたな。どこで受験したかよく憶えていない。いまは当時の校舎は無いから、よけいにわからない。
合格後に必要な物を揃えるため登校して、木造の体育館に集まったのは記憶にある。革靴と皮製の鞄を欲しいと思ったが、言わなかった・・・。
桜が咲いて、陽光まぶしい、心がうきうきしてくる季節・・・・青春は何かに打ち込んでいる中にあると思うが、春のころは、それを促すものがあるなぁ。
毎日同じ作業をしていると、天候や新聞の部厚さや自分のコンディションなどで、配達所要時間が変わる。ポストに入れるとき2ツ折や3つ折にする。広告が多くて部厚いと、1軒当り時間がかかる。
今日はスピーディーだった。中間地点で1時間5分。店を出てからの時間。中間地点は、後半の配達分を、某小売店の軒先に置いているところ。だいたい半分配ったぐらいだ。
後半では、あと2軒になるところに、赤穂線の踏み切りがある。5時27分大多羅駅発上り列車が通る。タイミングが好いと?それに当る。長いのだ、踏み切りが降りて上がるまで。今日もタイミングが好かったが、待ち時間は短かった。
時候が好くなってきたから、夜明け前の暗い中でも、ライトと光反射たすきをして散歩しているご夫婦や、遊歩道を走っている人、メタボ対策らしき人などを見かけるようになった。夜明けが早くなってきたら、もっと増えてくる。去年は、その中から新規購読者を一人ゲットしたのだったなぁ・・・・・。
今朝、赤い小さな花を1つ発見。他のなでしこを見て回ると、蕾をつけているものが4株あった。
「楽しみは 朝起き出でて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」橘曙覧さんの歌そのままだ。
3日のボランティア講習の時に「もう花が咲いている」という話をしている人がいた。日当たりが良く温かいところに置いているので、そうなるということ。多くはまだ葉が繁っている状態だった。去年の話では4月末の頃と聞いていたので、早いのかな。
種を蒔いたのが9月9日だったか。半年になるのか・・・。
花が咲くのは嬉しいものだ。去年の夏の花も嬉しかった。花柄摘みの実習をしたわけだが、なぜこれが必要なのか体験した。花柄摘みを念入りにしている頃は、花が次々咲いた。
終始禍福を知って・・・・とあるが、花についても始めから終わりまで面倒見れるようになることだ。
こういう表現でいいのか?会陽の行事ではないそうだ。会陽一連の行事は先週の稚児行列で終わり。この護摩焚きはいつから始められたか。以前、阿含宗の護摩焚きがこの観音院の境内であったそうで、それがきっかけかもしれない。
この護摩の炎に古いお札などが投ぜられる。
ヒノキの小枝が積み上げられている。檀家の人たちが世話係でいろいろ準備をしていて、その中の一人が同級生さぶちゃん。今日のブログ内容はさぶちゃんとの話から。いま観音院の牛王所の建て替え事業を進めており、その寄附を募っている。その一環で、瓦もあって、その受付の手伝いをしている一人も同級生のNさんと言っていた。
還暦すぎの年回りを感じる。今日は風は冷たさもあったが陽射しも出て、お昼頃の観音院境内には、会式の最終日を味わう人がのんびりと散策していた。
プリンターのインクを買いに行って、階下の宮脇書店をのぞいたら、こんな本があったので、買った。「1925年から2015年」までの昭和版ということだ。左側のページに、その年の出来事など資料付き。それで記憶を呼び起こして、自分の出来事を書けという。
以前、企業や団体の30年史とか60年史とかの編纂に関わったので、昭和の年表を見る回数は比較的多かったが、もう昭和そのものが遠くに感じられる時代だから、自分史をどれだけ埋められるか・・・。
こういう本を企画して売れるというのは、団塊の世代向けのものか。どのくらい売れているのだろう。儲かったのかな・・・。
してみよう・・・というよりも、してみなければならない・・・といった感じ。
こういう思いは前からあったが、なかなか実行しない。スーパーに行っても、買うものはだいたい同じ。メニューがあって、それを作る材料を買うなんてことは無い。それをしてみよう。
詩吟の先輩の方で、一人住まいの男性。料理は達者。それは、亡くなった奥さんが余命の時間に、ご主人に料理方法を伝授していった賜物だそうだ。正月などには、息子ムスメが子供を連れて集まり、その料理を全て準備するそうな。後片付けは子供らの仕事。
自分が美味いと思うものを自分で作れれば満足できるだろう。そして、美味いものを他に振舞えれば、もっと満足できるだろう。そういう喜びを味わえるようになりたいものだ。
人生、大事なものを掌中から失っているから、それをすこしでも取り戻せるように励まなければ、寂しいままだ。
林家正蔵が司会のTV番組の料理コーナーで登場する、「賛否両論」店主の笠原氏はじめとする料理人のいろんな工夫を見ていると、自在にできる世界が羨ましい。
昨日も今日も、天気図では雨雲があった。昨日は岡山県は全面雨雲がおおった。今朝は5時からこの辺りに雨雲がきて、6時には四国と岡山南部を雨雲が覆った。
「転ばぬ先の杖」で、新聞をビニール袋に入れたのだったが、雨は降らなかった。
眠くてたまらん、おやすみ、ごめんなさい・・・。
広島市の高屋東小学校だったと、あいまいな記憶。NHKのニュース。
全校で取り組んでいるから、3年かけてマスターした技を6年生が披露する。卒業にあたって、下級生に秘伝の技を伝える機会を持つことができる。学校の外にも、慰問に出かける。
けん玉を練習して、できないことができるようになる・・・努力の楽しさ、達成する嬉しさ、またやるぞの意欲を燃やすことを知る。これがいい。
知育偏重と言われて久しい。その偏重を是正する方法を思うと、このような、遊びの中から学べることも多い。
「けん玉上手くなるぞ!」と思うときが来れば、しめたものだ。「志」が生まれたのだ。
志を持つことを覚えることが、大事だ。
どの花の検索が多いだろう。
ここんところ「簿記検定1級・100点満点合格の赤壁さん」の検索が多かった。「笑ってこらえて」が人気番組で、その中で大いに興味をそそられる話題であったから、普段の5倍ほどのアクセスがあった。
頑張れて、目標に到達した人には誰もが興味を抱く。しかも、独身の聡明な女性ならば一層興味がわくだろう。
桃は山陽町、梅は神崎梅園、桜は後楽園の旭川土手などなど。春の陽気がだいぶ近づいてきた。夜明けが6時過ぎになってきた。夜明けがくると、ホッとする。
4月2日の公演に向けて練習練習。
また、4月5日に鐘紡西大寺工場のOB会があって、緑化フェア会場に集まるそうだ。徳田さんの話によると、100人ほどは集まる。多くは女性達で、遠くは鹿児島からも参加があるそうだ。様変わりしたかつての西大寺工場に何を感じるだろう。
明日、緑化フェア事務局に要望に行く。というのは、鐘紡西大寺工場の製造現場の各工程の写真があるので、工場全景写真とともに展示したいので、その方法を考えてもらおう・・というもの。なんとかしてもらおう。
あと20日。なんだかんだと言いながら、地球は回り、緑化フェアの開催日が近づいてきた。今日、ボランティアの会合があって、「入場証」をもらった。そして、私のボランティア活動日が14日間と配分された。
「接遇」。ご来場のお客さまに快適に見物していただくよう、挨拶の言葉、その声の調子、態度などの講習もあった。ただ、時間を十分取ってないから、女性講師の方も説明に苦心されていた。
常識といえばそうだが、やはり他人を快適にさせる態度・振る舞いのコツはあるわけだから、もう少し徹底する方法を取るべきでは・・・・。この程度でよしと誰が判断したのか。それとも、大体がこんなものか。事務局サイドは、ボランティアの人たちには強制はできない、という思いがあるのだろうか。あとは、成り行きか・・・。
このボランティアの集まりが、フェアの後に継続できるように願う。公園協会は、緑化推進リーダーという位置づけで、今後の岡山市地域の緑化事業の活動スタッフを確保しようとしている。西大寺地域での活動の受け皿を探そう。
雨の中、浦安の体育館前に集合。緑化フェア用に烏城公園と岡山駅前通りだったか、そこに並べるプランターに花などを植えた。
これまで講習で花の植え方は学習。雨が降っていたから、皆それぞれに準備をして来ていた。約1時間30分。植栽完了。3月12日あたりに現地へ搬入。
緑化フェア開幕まで3週間。TVの告知放送も増えて、だんだん世間に浸透してきた。私は4月2日の10時40分から舞台発表もある。抜かりなく準備して、拍手がもらえるようにしなくてはならない。それにしても、今週は雨がよく降る・・・・・。もういらんよ・・・。
大阪に10数年いたのに、「かすうどん」は知らなかった。TVの秘密のケンミンショウで知った。
大阪の食べ物の記憶では、「串かつ」。「二度づけ、お断り」の表示があるソース缶が印象的。串かつの合間に食べるキャベツの甘さ。一口餃子に、天五のうなぎ丼。木の葉丼。
「きざみうどん」をメニューでみたとき、うどんをきざんでるのかと思ったら、お揚げをきざんでいれていた。
「たぬきうどん」は、東京と大阪とでは違った。天かす入りとなんだったか。
中華料理は神戸が多彩。北京、上海、広東、四川の全てのタイプがある。テーブルに必ず酢と練りカラシがある。焼きソバに酢と練りカラシを入れて食べるのが美味い。肉マンも美味い。
ゆっくり美味いものツアーしたいなぁー。
それが、いま何をしているかの違いになる。
今日の「笑ってこらえて」で紹介された「簿記検定1級を100点満点」で合格した赤壁さん。女子大の文学部を卒業して歯科医院で働いていたとき、医院の税務申告で訪れた女性税理士の魅力に触発され、簿記の勉強を始める。3級、2級は働きながら合格。2005年に1級を受けるが、予想通り不合格。一念発起して、仕事を辞めて挑戦。1日15時間。「簿記の問題集の回答を、身体が自然に反応するまで」毎日、繰り返し学んだ。
そして2007年、1級100点満点合格。この数年間で15万人受験して、満点合格は3人だけらしい。
番組にも登場した赤壁さんは、美人で聡明な独身であった。
繰り返しやれば進化していくのは自然の摂理だが、「繰り返しやり続ける」ということがその人の才能になるのだ。その決意、その意志、その実行力に敬服。
どこかで、負けてたな・・・・・・、心底から決めたことじゃなかったか・・・。
今朝の雨雲の動きをヤフーの天気図で見ると、6時の予想でこの辺りに広がっていた。5時までは無い。となると、5時半までに終わるようにしないと、雨にあうかも・・・。
なるほど、5時25分ころからポツポツ雨粒が当りだした。そのときは、あと4軒。降るのはもうちょっと待ってくれ・・・と念じながら、急いだ。
久しぶりの5時33分の帰宅。このくらいの帰宅だと、ブログを書ける。
そばに「市場システムを超えて~現代日本人のための世直し原論」(中公新書 高橋洋児 著)という本がある。1996年7月発行だから、13年前。3年ほど前に古本屋で105円で買った。パラッとしか読んでない。最近の世の中の動きを思うと、もう1度しっかり読んでみよう。
雨が降る前に・・・・・予想を信じるか信じないか、事実は1つ。
毎年この時期、小学3年生の課題で、地元のこと・昔と今の生活の違いを学ぶようだ。西大寺文化資料館はその学習の場となる。今日は芥子山小学校3年の2クラスの子供たちが来た。明日は3クラスが来る。
3年生の子供達は、平成10年生まれか。1999年生まれか。
数人の子と話した。展示してある、垢離取場で沐浴をしているご婦人の写真を見て「この人なにしとん?」と問われた。「お願い事をするのに、身を清めとる」と言うと「お願い事いうてなに?」と聞く。「そうじゃな、勉強ができますように・・・とか、お願い事をせんか?」と聞くと、「うーん、せんな」・・・と話していたところ、「集合!」の声がかかって、話は終わった。
子供と話すことがないから、話し方を考えてしまう。
最近とみに重要だと思う「日本の歴史」を学ぶ環境を、きちんと整えるには、この子らに通じる話ができるようにならなくてはいけないな。
最近の子達は、散髪屋よりも美容室に行く・・・と聞いて、「えっ!」と驚いている。
今朝の冷たさは格別。合羽の右腕がやけに冷たかった。車の凍りかたも全面に及んだ。会陽の日の前後は必ず寒くなる。そして天気が崩れる。
今日の文化資料館の来場者は20人足らず。去年は50人ほどだった。
いま外は雨。雨垂れの規則正しい音が、窓の外。足元から、深々と冷えてくる。明日は根性入るな・・・・・。
4月2日に緑化フェアのテーマ館の舞台で詩吟をすることになったのだが、その中で短歌を朗詠するのにあわせて、舞台で短歌を書いてもらおうと、母校の協力をいただこうと以前お願いに上がり、受けていただき、今日、書道部の水島先生にお目にかかった。
現校舎は築30年になるようだ。コンクリート4階建て。我々が卒業して12~3年後の建築か。書道部の部屋は奥の棟の4階にあった。旧校舎の2階建て時代も、奥の棟の2階の東の端にあった。地味な部は、端の方になるのは、しょうがないか。
先生には気配りいただいて、好感度の高い舞台ができそう。観客動員を励んで、印象的な舞台発表にしよう。
新国語辞典によると、「不運の上に不運が重なること」とある。「泣きっ面に蜂」も同じ意味。麻生首相の状況を言うとしたらこれかと思ったが、「不運」ではないか・・・。漢字の誤読、給付金についての発言が二転三転、郵政民営化は反対だったが閣僚だったから賛成したなど、すべてご自身が発言したことで、「不運」ではない。
そして中川財務大臣の大失態。
不思議なのは、なぜ記者会見の席についたのか。後からの報道を見ると、酩酊状態で記者会見したことは何回もあるとのこと。そういうことか。
組閣してまだ5ヶ月。たった5ヶ月でこのザマ。就任当初から、麻生首相そのものが「浮かれていた」のが、TV画面から感じた。覚悟が足らない内閣だ。自民党総裁選挙に勝つことだけしか考えていなかった人たちが、その成果を分け合って、我が世の春・・・と浮かれた。その足元に、「未曾有」の不況が忍び寄っていたことを知らなかった。
根本的な大胆な対策を迅速に立てられない。追い込まれてしまって答えを出さざるを得ない。なぜだ。全体像を把握していないからだ。日本を、そして世界を。
G20の会議をはじめ、世界の会議でバカにされる日々が続くだろう。不愉快なことだ。
整理整頓とは、次に使うときに使いやすいようにしておく・・・。自分の場合、いろいろ区分整理するだけで、その後、使っているうちに、時間経過とともに変化していくことに対応してなくて、以前整理したものが使われもせず、意味無く空間を埋めている。
これは、頭の中もそのようになっているのだと思う。そういう習慣を改めるのは、終生の徒労にも似た努力?に寄るしかないか。鉄は熱いうちに打て・・・ということだ。
この狭い部屋の空間で、活きているのはどれだけ?春が来る。新スタートの季節。どうにかしよう・・・。
一歩一歩腰を入れて歩くようになる。だから、配達し終わって、いま、パソコンの前に座っていると、尻の筋肉が働いたという感じがある。一歩の歩幅が大きくなる。そして、身体をひねる動きがあるから、腰周りがしまるかもしてない。
階段をあがるときは、足と肩が同じ上がり方になる。これは、坂道や山道を踏みしめて登っていくのと同じ。
歩く中にも目的が出てくると、アパートの階段が何軒も続いても、苦にはならない。試して納得する面白さが出てくるので、階段の場所が増えてもかまわない心境になる。
今日は月夜。暗い玄関の床に郵便受けを置いている家に行ったとき、懐中電灯が要らない明るさに、空を見上げたら、中天高くお月様有り。
空から、私のナンバ歩きをご覧いただいたか・・・。
まだ手足の動かし方が混乱する程度だが、以前に聞いたことを思い出し、歩くのは上手くなってきた。
右の手の平で左足の太腿をたたく、左の手の平で右足の太腿をたたく。この要領で、速く歩ける。ナンバ歩きは、重心を低くしてしっかり歩くのを感じる。ゆっくりしているようで、速い。
時代劇の武士の歩き方と同じ動きになる。いま早朝の暗闇の中での練習だ。疲れないのは確かだ。
それに乗っかる時の心境はどんなものだろう・・・。投資、投機、ギャンブルをするときには、損することは考えない。これで儲かるとなんぼになる・・という、皮算用が先に立つ。そして、だいたい失敗する。
最近、円天なる新通貨?の詐欺、関西一の相場師のおばちゃんなど、多くの人がお金を出して、詐欺だ詐欺だと、事件になっている。
昔、ホテルで100人200人を集めて、儲け話の説明会に行ったこともあるが、小金をもっていそうな小奇麗な男女がいた。
こういう詐欺方法もあるが、「思考は現実化する」という書物から引き込んで、高額な学習プログラム教材を買わせる詐欺まがいのもっともらしい商売がある。迷いがあるときに買ってしまったが、その中身は価格ほどの価値は無い。家に契約に来た若者は、契約を取れた報酬が入る嬉しさがにじみ出ていたように感じた。その後、A4用紙1枚に「このプログラムを追加すれば、更に効果があります・・・如何でしょう」という内容の売り込みをしてきた。
こういう商売に手を貸しているのが、信販会社だ。売り物についている価格が、その商品の価値を正確に反映しているのか、きちんとした審査はしていない。お互い、商売になる同じ穴の狢同士だ。
信販会社の社員は、会社の規定通りに仕事をすればよい。詐欺商売であっても、それは知らないことだ。
自分にとって都合が良いように考えて、現実が見えなくなるのは、欲が理性を飛ばしてしまうから?
そういうとき正常な心であるには、素の心のありようをつかんでいることか。般若心経も佐藤一斎も、そのためのことなのだが・・・。
橋下大阪府知事は有る人。麻生総理大臣は無い人。
その違いは、何をしようとしているのか・・・わかるかどうか。
麻生さんは、総理大臣になったとき、嬉しさが体中からにじみ出ていた。これはちょっといただけないな・・・と思った。その後の経緯は、総理大臣の器ではないことを、露呈している。
橋下大阪府知事は郷土愛に根ざした決意があった。大阪を再生させる。零細弁護士事務所経営をエネルギッシュにこなした経験があった。文芸春秋に堺屋太一さんと対談している。
国政に関わる人たちの討論は、なぜ、すれ違い問答で、事足れりとしているのだ?もっと国民をうならせる、拍手喝采させる討論ができないのか。相手をはぐらかす、相手を誹謗中傷するようなやり取りしか聴こえてこない。
この人が登場すると議場が引き締まる・・・そんなことはもう無いのだろうか。
大阪の難波を歩くことではない。江戸時代まで日本人は、右手と右足を同時に前に出す、つぎに左手と左足を同時に前に出す、歩き方をしていたようだ。
いまのような手と足が逆に動くような歩き方は、明治になって西洋のマネをするようになってから。
実際にしてみると、疲れが少ない。速く歩ける。江戸の飛脚はこの歩き方。いや走り方。
この手足の動かし方は、急な襲撃にも態勢を崩さないで、応酬できるそうだ。古武術研究家の甲野善紀氏の著作にあった。
陸上の末続選手がナンバの走法を取り入れているという話を聞いたことがある。
最初は手足の動かし方がうまくいかないが、慣れてくると、けっこう納得できる。
昨日D店のグリコの朝食ヨーグルトが、158円から148円になっていた。朝2つ買った。今日夕方、H店に行った。同じヨーグルトを見に行った。148円から138円になっていた。2つ買った。いつ138円になったのか。
同窓会の記念写真を焼き増ししなければならなくなって、パソコンに取り込んだものを、フラッシュメモリーにコピーしてキタムラカメラへ。サイズは四つ切で、1枚420円だった。
「お宅のパソコンから送る方法もありますよ」とソフトが入ったCDをくれた。世の中変わった。銀行も手続きして口座を作ればパソコンや携帯からでも振込みができる。しかも振り込み手数料が安い。まだそうしてないけど、したほうが得だ。
ガソリンスタンドも携帯メール会員になると5円引きとかの勧誘をしていた。
こういうのは、差別?区別?ただの商売?
また明日から配達。次の休刊日は4月になってから。3月はフル稼働だ。
成田家で食事した。酎ハイ3杯と日本酒2杯飲んだ。
例によって、カラオケに行った。明日は配達が無いから。2時間歌った。
「かかし」。さだまさしの「案山子」を探して歌ってみた。
途中、声が詰まった。
今日の月は上弦から丸みが半分ほど膨らんでいた。やや赤みを帯びて、西の空をひっそりと下りていった。
だんだん丸くなっていき、満月から下弦になり、そのうち逆さ眉月が東の空に昇っているのを見ながら配達をするようになる。
今朝の6時過ぎの東の空は「夜明けが早くなっているなぁ」と思わせるほど、これまでの暗闇が白っぽさと赤っぽさに変わってきていた。
配達が終わる頃に空が白んで来る時間が好きだ。配達の初めから終わりまで暗い時期は、早く明るくなって欲しいと思ってしまう。
今朝、芥子山小学校の裏の道には、車が何台も集まっていて、何だろう?と思いながらバイクを進めると、ライトの向こうにスキーを抱えた女の子が見えた。あースキーバスを待っているのか・・・。それにしても、子供をこの場所まで送り届ける車車車の多さに吃驚。
大正3年6月22日生まれ。昭和50年10月6日没。わが父親の一生である。
その61歳と4ヶ月が近くなってきた。いま61歳と1ヶ月。この5月か区切りの月だ。緑化フェアの頃だ。
大正生まれは兵役を経験し、敗戦後の「民主主義」日本の復興を担い、日本経済の高度成長を支え、その繁栄も味わった。
大正時代に日本を訪れた欧米人は、謙譲、親切、礼儀正しい日本人の精神的美しさに強く印象づけられた。アインシュタインやチャップリンが、日本贔屓だったという話を聞く。
最近の日本人は、それに比べると、別な国の人か。敗戦国になって、それまでの日本人の良い伝統までも否定されて、戦後の教育路線が敷かれてしまった結果だろう。
「何故に自分は生み出だされ、何の役目をしなければならないのか。もし、それをしなければやっぱり、何らかの責めをおうべきだろうな。」
「志を立てることが、学ぶときには不可欠である。志あれば、薪や水を運んだりしていても、その行為の中で学ぶ。志がなければ、一日中、書物を読んで勉強していたとしても、それは時間潰しでしかなく、何も学んでいない。」
これらのことは、佐藤一斎が著した「言志四録」にある。
いまの学校教育にこのことを明確に子供たちに示しているだろうか。わが反省をこめて、知識を学ぶその根本に持つべきものをしかと叩き込むことが必要だ。
最近そのためには、「漢文力」を学ぶことだと考える。そのために何をしたらよいか・・。
先日TVの朝番組「きになる」で、佐々木秀実という28歳のシャンソン歌手の歌を聴いた。おなじみの「愛の賛歌」。訳詩はよく聞くものとは違う。その表現の豊かさは、番組の司会女性アナを涙させた。
以前ラジオで知った若林ケンというシャンソン歌手のCDを買って聴いた。
お二人の歌を聴いて、その声その情感その表現力を真似たい。曲の流れは違うけれど、詩吟は単調すぎるけど、その中でできることは・・・。
健康に気配りしている同級生Fの話を聞いて、豆乳、ヨーグルト、プルーンを食べ始めて2週間ほどか。豆乳1000ccが2~3日。ヨーグルト400gが2~3日。朝食プルーンが3日。
ヨーグルトはグリコが食べやすいが400g。今度は500gのを買おう・・・と思ったりする。
どの店が安いかも知った。
食べ物が身体に与える影響は正直だ。これらを食べだして感じるのは、腸が快調。胃もスッキリ。
あとは腹回りの結果だ。
配達中には何度かある。日によって違う。そんな時はたいてい何か考えている。
動作はバイクを停めてスタンドを立て、前カゴか後ろカゴからその家に配る新聞を抜いて、郵便受けに入れるのだが、カゴから新聞を抜いて1~2歩歩き出したとき、「アッ違う」と気づかせられる。
バイクを停めてカゴから新聞を抜いて歩き始めるまでは、「小脳」の管轄で、「違うぞ!」と言うのは「大脳」の管轄なのだろう。大脳が働かないときには、間違いのまま作業は進むのだ。
この間、そんなことを感じた。人間の構造はうまくできている。懐中電灯をポケットから取り出そう・・・と思うと、右手が動いて懐中電灯を握る。
鍛えればその能力を上げることができる。去年のある時期から始めた般若心経を暗記し暗唱することは達成し、それにより、次に違うものを暗記しようという気をおこさせた。暗記なぞ長いことしてなかった。それだけ怠惰な生活してたとわかる。
脳の機能は使えば衰えないのだそうな。じゃんじゃん使おう。
今日の新聞記事、1段ベタ記事で、鳥取で1万円でかんぽの宿の施設を買った不動産業者が、福祉施設経営者に6000万円で売ったとあった。
どのような経緯で「1万円」で買えたのか?、「6000万円」で売って「満足」したのか?
関係者を明らかにして、そのときの状況を全て明らかにしてもらいたいものだ。
「6000万円」で売れるものを「1万円」で不動産業者に渡したかんぽの宿のトップは、「不利益」をもたらした「背任」ではないか。経済活動にも「モラル」はあるはず。常識を超えているような取引は「公序良俗」に反するから、この売買は無効だ。もとに戻せ。
情報を内輪で処理して、うまい汁を吸っている例はいっぱいあるのだろうな。
昨日の天気予報では90%、今朝の予報で60%の雨確率、しかし雨雲の動き予想を見ると、このあたりには6時まで雨雲は来ない。よしよし、この通りで動いてくれ・・・と願って配達出発。
5時頃からポツポツ雨が落ち始めた。「まだ降るな。もう30分待て!」と心中で叫びながら、動きも自然に速くなった。
降るというまでにはならなかった。よかった・・・ということでいま書いている。気温は高めで、早々と上着の合羽を脱いだ。それでも汗ばんだ。夏にはTシャツで汗だくになるのだ。四季があるのは、やはりいいことだ。
久しぶりの早朝ブログでした。
選挙の洗礼を受けていないという意味で「4人目」。小泉首相の「郵政解散」圧勝以来、その勢力に乗って、たらい回し政権が麻生さんで3人目。
いま自民党の深ーーいところで、「麻生では選挙はできないから、次を選ぼう。そして、首を挿げ替えて、国民に対してボロが出ないうちに解散総選挙といかなければならない」
「麻生に代わるのは、小池百合子か石原伸晃だ」という動きをしている「長老」たちがいるそうだ。
それぞれの憂国の心なのだろう。正常なところは何か・・・を選ぶ健全さを国民は持っている。狭い組織で通じても、本来の政治の場・国民を交えた場で、果たして通じるか?
「ニコニコ食堂」で、あなご丼とおでん(ごぼ天 平天 こんにゃく 卵)の昼食。ホテル リマーニでコーヒー。今日はケーキも。オリーブ園に上がる途中のアイスクリームは休み。オリーブ園の第3駐車場に上がって、キラメク瀬戸内海を眺めた。
目の前に大きく小豆島、右手彼方に台形の屋島。その手前右に豊島。左彼方の突出したのは赤穂、その沖合いに山肌が削れたのが家島。その間に前島、黒島、黄島、桜の樹の向こうに犬島。
波穏やかで、池の如し。久しぶりの暖かさで、平日なのに8台はいた。平均年齢は高かった。我々も61歳と87歳。平均すれば74歳。信じられん・・・・。
冬の空気は遠くまで見せてくれる。何度か来たが、今日の景色はグーグッグッグー。
この駐車場にある歌碑。
「上り船 東風吹く風を 過すとて よを牛窓に 泊りてぞ経る」 曽禰好忠
歌碑はブルーラインの一本松SAにもあるのを思い出し行った。
「ぬばたまの 夜明けぬらし 多麻の浦に あさり(求食)するたず(鶴) 鳴き渡るなり」
この歌は、736年(天平8)に新羅へ派遣された使節団が、瀬戸内海を航海しているときに、使節団の誰かが詠んだものらしい。万葉集の15巻にある。
帰りにハローズに寄ると、店頭でコロッケの出張販売車があった。こういうのに出会うと、買って上げなくてはいけないと思う傾向がある。買いに行った。ふと見ると、「縄文の神々と古代吉備王国」という本が展示してある。尋ねると、コロッケを作っている人の著作とのこと。興味あるのでこれも買った。著者は明日来てコロッケを揚げるそうだ。3種5個買って、蓮根のコロッケをオーブントースターで温めて食べた。カリッと美味かった。
店によって商品価格に差があるのは当たり前なのだが、自分でそれを見つけると、「発見」ということになる。
グリコ社のヨーグルトがD店¥158、H店¥148。紀文の豆乳がD店¥198、H店¥238。オハヨーの牛乳はAコープが最安値のようだ。雪印の6Pチーズは、D店が最安値。
主婦はこういう価格差を幅広く知っているのか・・・。
一昨日の朝、指先は冷たさで痺れ、ヘルメットの顎紐をはずそうとしても指先が働かなかった。手袋は皮製のもので、去年から使っている。気が付くと、左人差し指の先に穴が開いていた。配達中にも両手を組み合わせてすこしでも冷たさが緩まないかとするが、効果は無い。
そこで新しい手袋を買いに行った。売り場にあった一番高い¥1980のを買った。
今朝はそれで配達した。冷たくなかった。今日は天気予報は外れて、暖かいのか?と思うほど、冷たさを感じなかった。実際は、車のフロントガラスは凍っていたし、一昨日と同じように冷えた。
指先の強烈な冷えは、体全体が冷えたような気になる。指先の防寒と保温は、体をよく動かせる。明日もこれで安心か・・。
佐藤一斎の一日一言を憶えようとしているところ。
「間思雑慮の紛紛攘擾たるは、外物之をみだすに由るなり」(気持ちがいろいろ動いているときは、周りから心を惑わすことが入ってくるからだ)
「常に志気をして剣の如くにし、一切の外誘を駆除し、敢えて肚裏に襲近せしめざれば」(自分の志を剣のように研ぎ澄まして、周りからの誘惑をばったばったと切り捨てて、自分の気持ちの中に入り込むことがないようにすれば)
「自ら浄潔快豁なるを覚ゆ」(気分はすっきりと躍動するのがわかる)
この一節を間違えなく言える様になるのに3日ほどかかった。ここに書いた意味は、自分の受け止めかた。
江戸期、寺子屋で論語の素読をして、何回も素読をして、それがいつしか血肉となって、生活の中に実践されていったのだ。
クラブ活動で練習を繰り返し、練習を継続し、10年20年30年40年と続けた人はホント偉いと思う。外誘と戦い駆除してきたのだ。
一歩踏み出せ、まだ遅くない・・・・。
寒いのでブログを書かないで寝ようかな・・・と思ったが、そのことを書いておこう、それに今月は休みが多いから、これ以上サボれない。
それにしても冷える。明日は風もあるそうな。風があると、新聞のページの間に風が入って紙がめくれて破れそうになる。いつもと違う気を遣う。
この冷えの続きに春がある。春の来ない冬はない・・・か。
就任式に招待された倉敷の女子高校生が「この人だったら・・・」という期待を抱かせる気持ちになったと言っていた。
若い頃は志のある人が政治家になり、国家国民のために仕事をするのだと思っていた。しかし現実は、特定の利益を守る勢力が自分たちの利益を守ることに都合のよい人物を政治の世界に送り込み、政治の世界に送り込まれた者もそれに応えるように仕事をする・・ということがあると知った。
どの道、選挙を勝つには支援者を集めなければならない。自ずと自分の勢力の色合いは出る。社会を構成するのは、多様な人たちだから、それぞれの利益があって、それを守るために政治業界に代表を送るのは当然だ。ただ、全ての国民がその依拠する集団を持ってはいない。
めんどくさいことは好きではない大衆を引きつけるものは「演説」だ。新大統領は演説に優れていた。
しかし、翻訳された文章は実にまどろっこしい。漢文調のリズムからすると、何を言いたいの?といいたくなる。
ケネディ大統領は、自分を押し上げてくれた業界の利益を否定する路線を選択したが故に暗殺された・・・・という説がある。田中角栄総理は、中国との国交回復を急ぎ過ぎたが故にアメリカの国益を損なう可能性があったので、ロッキード疑獄で失脚させられた・・・という説がある。
新大統領を支援するグループは何?ただ、現状は立て直すべき全体の課題が迫っている。当面はそれを最優先しなければならない。報道では迅速な新大統領の施策が伝わる。日本も追随すべし・・・だ。
黒人のバラク・オバマ47歳を大統領に選んだアメリカの人々。その選挙制度はよくわからないが、民主党内での「女性大統領」との血戦を、オバマに勝利を与え、本戦では共和党を圧倒させた。
「YES WE CAN」が日本でもよく知られるフレーズとなった演説の巧みさが、この人の勝利の要因になったか。選挙資金は多くの大衆からの募金によって支えられた。インターネットが寄与した。インターネットは、民主主義という擬制を具体的パワーに変換するのに有効だ。アラク・オバマがどの程度の有名人だったかわからないが、ブッシュによってかきまわされ混迷に陥ったアメリカを変えたいという、アメリカ国民の情を注ぎ込むのに、最適な人間だと感じさせたに違いない。
その時代にふさわしい人物を選出する仕組み、その時代の潮流をつかめる仕組みが「民主主義」か。
日本の「選良」との比較では、必ず日本が格落ちとなる。議員内閣制で国民が直接選べない、国民の情が反映されない仕組みが、もどかしい日本の政治の原因といえる。それと、「霞ヶ関」の官僚の力を削がなければ、日本の活力は不完全燃焼だ。
民主主義は衆愚政治だ、という指摘もある。英邁な君主が統治するほうが幸せだという指摘もある。しかし、水戸黄門を生むのもその時代の人々の潜在意識の集約ではないか。なにかを求めている潜在意識が、それを触発する「キーワード」で一挙に表面化する。それを汲み取り、現実の制度に表せる。そういう「民主主義」であるための条件は・・・・。
いつ頃からか、更新期限が1ヶ月延びた。1月の初めが誕生日の者にとって、幸いな変更であった。今回は初めて「5年間有効」の免許証になる。昭和50年に免許取得以来初めて。
スピード違反、駐車違反、酒気帯び、一旦停止違反がこれまで経験した違反。罰金を払い後処理をする空しさよ。
今回更新したら次の時は66歳だ。まだいけるか。
緑化フェア オン ステージ。
つまり、3月20日から始まる岡山緑化フェアの西大寺会場に建つ「花と緑のテーマ館」のステージで「詩吟」を中心に発表することが決まった。4月2日午前10時40分から11時10分までの30分間。
1階舞台があるホールは、半分を活花などの展示に使い、半分を舞台の観客席に使うようだ。客席数は約200人。
「花と緑のフェア」におけるイベントだから・・・。
「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」の短歌を是非詠いたいと思って、作者の橘曙覧の「独楽吟集」を見て、あと5首選んだ。
「たのしみは 庭にうゑたる 春秋の 花のさかりに あへる時時」
「たのしみは 妻子むつまじく うちつどい 頭ならべて 物をくふ時」
「たのしみは わらは墨する かたわらに 筆の運びを 思いをる時」
「たのしみは 木の芽にやして 大きなる 饅頭を一つ ほほばりし時」
「たのしみは とぼしきままに 人集め 酒飲み物を 食へという時」
この短歌朗詠を始めにして、七言絶句、七言律詩の漢詩を吟じ、剣舞か扇舞を入れて、締めくくりに、もう一度「無かりし花の 咲ける見る時」を皆で詠ってみようか。
詩吟は難しいというイメージを少しでも減らしたい。
岡山デジタルミュージアムが会陽展を始めた。2月22日まで。西大寺文化資料館も会陽展を3月末までする。
今日デジタルのを見た。観音院からの寺宝ほか約50点が展示された力作だった。入場料600円。シルバー割引は無し。
資料館のほうは、50年前の会陽写真集から選んだ30枚ほどを展示。
新年元旦から2週間続く修正会の結願の日の行事として会陽がある。修正会は鎮護国家、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛などなど、衆生の安寧幸福を祈祷する。
修正会が始まった頃は陰暦の時代。正月はいまでいう「旧正月」のとき。昭和37年だったか、2月の第3土曜日に会陽・はだか祭をすることに決めた。観光路線。
旧暦だと会陽当日は、満月で、その月明かりでするお祭りだった。宝木投下の午前0時は、満月は中天にあり皓皓と輝く。
その昔、宝木投下の時間は「遅い方が良い」という声が強くて、午前2時ころになったこともあったそうだ。遅ければ遅いほど、飲食を始めとして商売の売り上げが上がったからだ。それが来年からは、宝木投下は「午後10時」になる。治安防犯安全上の問題か?
今日のデジタルの展示にもある。縁起ということが書き伝えられている。「縁起」は、「因縁生起」のこと。
来年が「宝木投下の会陽」が始まって500年という。いまいる我々も600年のころは「昔の人」になるわけだ。それはそれで、いま。いろんな「結願」が集まる2月21日が輝くように祈ろう。
今日夕方5時から、岡山で吟剣詩舞の市連の会合があった。ところが、5時頃まで文化資料館で展示づくりの作業があって、市連会合に遅れた。懇親会があるので自家用車では行けない。帰って着替えて歩いて5分のバス停に向かう。急ぎ足で歩いていたら、バスが側を通り過ぎる。あわてて走る。停留所は50mほど先。信号がある。「赤になれ」と思う間もなく、赤になった。しかし、残念ながら赤の時間が短い。信号の先15mほどのところに、停留所。
走った。一所懸命・・。でも、バスとの距離は縮まらなかった。地面を蹴る力が弱い。前に進まない。あー情けなや・・・。いまに始まったことではないにしろ、前に進まない。
ただ心臓の動悸は以前ほど激しくなかった・・・・・と思った。新聞配達1年半の効果か。
佐藤一斎のいうところ。「凡そ事を作すには、須らく天に事(つか)うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず」
行動の基準は、天の心に反しないこと。周りが反対であっても天心にかなうなれば進むべし。それに対して、人にたいして良い評価をもらおうとする行動は、間違いを犯しやすい。
ただ、その「天心」を知る、見極めるのが厳しい。天心とともに生きるには・・・。
昨今の政治業界の混迷を見れば、政治家が持つべき根底の思想は何ぞや・・・それを持って日々活動するセンスは如何に育つのか。
選挙の当落に基準を置いているレベルから脱するには。
狭い範囲の利益代弁で終わっている人が、脱皮するには。業界に慣れて、玄人感覚が勝り一般社会人に対して、優越心を持っていることに気がつかない議員がいるかもしれない。
自分が知っていて相手が知らなければ、相手がアホに見える。でも、ただ知っているかどうかだけのこと。覚えるきがあれば学ぶきがあれば、いま知っているかどうかなぞは、大したことではない。自分ができることは何かを追求して挑戦することこそ、大事な生き方。
いまは一人で暮している100歳のおばあちゃん。毎日スーパーに行く。食事は自分でつくる。肉は毎日食べる。お昼のおかずは7品・・・。
書を50歳から習い始め、これまで個展も何度か。いまも自宅で教えている。楽しみの一つが、稽古のあとのおしゃべり。30代のお弟子さんが言う。「同世代の仲間と同じような感覚でお話してます。むしろ、もっと幅が広いです」
米寿のときに「残り少ない時間を楽しもう」と思われたとか。
はやく60の手習いを始めよう・・・。
6時1分、行こう。
昨日の配達時。5時20分頃。そこは会社で建物の前は駐車場で、道路に面して2本のポールで鎖を吊ってある。玄関の郵便受けに新聞を入れ、いつものように鎖をまたいで上体を前に移したとき、右足のつま先が鎖をしっかりひっかけた。外そうとした。左足で調子をとろうとしたが・・そのまま頭から倒れた。ゴンと、ヘルメットがコンクリート舗装に打ち付けられた。左足のひざを強打。両手はバッタリとコンクリート舗装を叩いていた。
幸いケガはしなかった。しかし、ヘルメットをみると、5mmほどの深さ3cmほどの長さの傷が1本と、其の周りにも3箇所ほど凸凹の傷があった。膝は当ると痛い。手は手袋のおかげで無事。
暗闇の中、腹立たしいやら、情けないやら、ホットするやら、痛いやら・・・。
今朝は慎重に鎖をまたいだ。
よく転ぶようなら、脳梗塞・・・?そんなに転ぶわけじゃない。気をつけよう・・・。
封切りの頃新聞で話題になっていた。実話だから興味深かった。戦争が個人の生活を破壊していく。ドイツ兵が収容したユダヤ人を並べて、そこから8人ほど一歩前に引き出し、腹ばいにさせ、その頭に銃弾を打ち込み殺す。そのドイツ兵にしても、戦場に来る前は、ごく普通の家庭人であった。
ナチス・ドイツの侵攻に協力して同じユダヤ人を取り締まる仕事につくユダヤ人もいる。レジスタント活動をするポーランド人もいる。表面的にはレジスタントでも、ユダヤ人支援を看板にカンパ金を騙し取る人もいる。
主人公のピアニストが廃墟に隠れていて、ドイツ軍将校に見つかってしまう。しかしこの将校は、「一曲聞かせろ」と言い、軍に報告することもなく、食料も与える。
ユダヤ人の頭を銃撃したドイツ兵と、ピアニストに食料を与えたドイツ将校の違いは何?
儒教で「修身斉家治国平天下」という。仏教で「部分の総和が全体ではない」という。
考えよう・・・・。
佐藤一斎の一日一言を、去年毎日読もうと思って実行できなかった。そこで今年は、憶えていこうと始めた。ところが、なかなか頭に入ってこない。大脳の中に、受け皿が無いのか、あっても小さいのだ。音読を繰り替えすのだが、文章を見て読んでるだけでは頭に残らない。
記憶するように試みる。100回読もうとするのだが、20回も過ぎると、もういいだろう・・という気持ちが働く。
「憤の一字は、是れ進学の機関なり。舜何人ぞや。われ何人ぞや。是れまさに憤なるべし」と思い出した文章。1月3日の分だが、文章は違っているかも。
自分の中にある文章の形に、憶えた文章がすんなり当てはまれば憶えやすい。それが頭の中に無いことが、憶えられない結果でわかる。
記憶というのは、似たものが既に大脳内にあると、新たに入ろうとするものは、既にある記憶したものとの絡みで、記憶しずらいと感じたことがある。
知人の奥さんが別に知っている人とよく似ているので、その奥さんの顔がしっかり憶えられない経験をした。
記憶する鍵があるのだ・・・・。
今朝バイクに座ると、ケツの左が何か痛い。配達中も座り方を左にずらして運転。終わって触ってみるとデキモノ。デキモノはほとんど経験がない。なんでだろう・・・。どこか調子が悪いのか?帰りにドラッグで塗り薬を買って、家で手探りで塗った。
椅子に腰掛けるのがつらい。右に横座りのような格好で、腰の具合が悪くなりそう。早く治れよデキモノ君。
去年、「佐藤一斎」と「安岡正篤」のを買って、1日1日読もうと始めた。そのうち、読む日読まない日が出てきて、まとめ読み、まとめて読まない日が出てきた。
今年、もう一度挑戦。こういう内容は、まとめて読むとただ読んだというだけ。少し読んで反復しながら復習するものだ・・・と思ってはいるのだが・・・。おさらいのつもりで、元旦から今日までの一日一言。
1日「太上は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経を師とす。」
2日「凡そ事を作すには、すべからく天に事(つか)うの心あるを要すべし。人に示すの念有るを要せず。」
3日「憤の一字は、是れ進学の機関なり。舜何人ぞや、予(われ)何人(なんびと)ぞやとは、方(まさ)に是れ憤なり。」
4日「学は立志より要なるはなし。而(しこう)して立志もまた之れを強(し)うるに非ず。只だ、本心の好む所に従うのみ。」
5日「立志の功は、恥を知るを以って要と為す。」
6日「性分の本然を尽くし、職分の当然を務む。此くの如きのみ。」
7日「人は須らく自ら省察すべし。天何の故にかわが身を生み出だし、我をして果たして何の用にか供せしむる。我れ既に天物なれば、必ず天役あり。天役共せずんば、天咎必ず至らん。省察して此に到れば、すなわち我が身のいやしくも生くべからざるを知らん。」
最初に意味が解らなくても、繰り返し読む。読書ひゃっぺん、意おのずから通ず。
1年かけて読み続けよう。どれだけのこるか・・・・。
年末30日朝7時過ぎ、ネコではない動物が、背を丸くして4つ足を爪先立ちのようにして歩いているのが、前方に見えた。減速して道路の端を口で何かをひろいながら歩いているその動物に近寄った。逃げない。同じ調子で歩き続ける。その色、毛のたちよう、狸だ。
そこは金岡西町のエクスラン工場の近所。
どこに住んでいるのか、腹減って出てきたのか。
元旦に泊まった僧侶のOさんの話。「寺の一角に畑を作って野菜をいろいろ育てた。さてもう収穫かと言う頃に、ヌートリアにほとんどやられた。」「寺の池にツガイで棲んでるようだ。」
狸もヌートリアも同じ生活空間の仲間だ。「ようこそ」か・・・・。
1692人は4日までのボランティア登録者ののべ人数。2315万円は4日までの口座振込みを除くカンパ総額。
派遣村で検索して「年越派遣村」というHPを見た。マスコミでは伝わらないことがわかる。
派遣村ルールがある。基本ルールとして「おたがい『ようこそ』と言い合える村にしましょう」、「実行委スタッフも不慣れです。ボランティアスタッフ、入村者のみなさんも、人が足りなさそうな現場に、自主的に加わるなどしていただければ、助かります」
マスコミに一度流れると、「派遣村」という形が出来上がったかのように思いがちだが、「なんとかしよう」と思った人たちの気持ちが現れたもので、困っている者同士の支えあいがベース。「おたがいが、ようこそ、と言い合える村にしましょう」というのは、どこの町や村でも大事なことだ。神戸の震災のとき、復興がまだの頃は、おたがいが声かけあう、見知らぬ人とでも震災を共有したつながりがあったような気がする。復興が形になるに従い、建物ができて、震災前の日常が戻るに従い、町の人のつながりが消えていった。
「入村者499人、宿泊者489人」。TVインタビューで「派遣村がなかったら自殺してました」と話した人の画面を2度みた。
村長以下スタッフの行動力に脱帽だが、それだけではいけない、その後を追わなければ・・・。
「このままでは国が崩壊する」と大統領が国民に伝えたのが10月。一時期にはGDPがアメリカの50%増しとされたこともあった。
金利を上げて世界中から資金が集まり、アイスランドの銀行は、銀行業から投資・投機業に変わってしまった挙句の、世界金融恐慌であった。集まってきていた外資は一斉に引き上げた。
明治新政府がどうやって国家財政をつくっていったか・・・興味あるところ。
金融立国を目指したアイスランドの事情はあるのだろう。でも、投機はバクチだ。インターネットの普及は、金融商品の増加を手助けする結果となったようだ。決済のスピードと地球規模の動きを促進した。
私の失敗。商品相場にちょっかいを出して、自分の経済力を上回る損失でしんどいことになった。あっという間の借金。アイスランドのニュースに、かつてのあの空しさを思い出す。
地道に働いて、それで得た範囲の生活をする。ただなぁ・・・夢を見て走りたくなるときだってある・・・。順調だった頃のアイスランドでは、高級外車が売れ別荘もうれ、銀行トップは移動時間の短縮のため自家用ジェットを購入したそうだ。「いい夢を見たら、そこから覚めるのがこわくなる・・・」人間の難しさ。だから、「天心」と出会える自分をつかんでおかなければならないのだ。
いろんなことがある。諦める場合、こだわって執着する場合、なぜ思い通りにならないのか分析する場合・・・。
思い通りにならないときには、自信喪失になる。自分を知れば自信喪失などおこがましい・・と考えられるようにもなる。
自分を知る・・ということは、なかなか簡単ではない。自分の能力を知ることになる。ただ、自分はこういう人間だ・・・と決めてしまうのはまずい。
そこらあたりは、般若心経にある「空」ということを感応することだ。「自分」の「自」は私のことで、「分」は社会を構成する存在であることを示す。
西郷さんが「天を相手にして、人を相手にしない。天心を知れば、自分の足らないことがわかる。」として、「天を敬い、人を愛す」・敬天愛人を生活の基本とした。
とことん究める生活体験を持たなければ、周りから信頼を得ることはできないだろうな。
続いたことに喜び、奇しくもtoraニィーにブログスタートの初っ端出くわしたことに不可思議な奇縁を思う。知らない人は知らないと思うので明らかにしよう。私がブログを始めた一昨年の1月7日だったか。それにコメントを最初にくれたのが中学校からの親友のOさん。その後のブログの反応から、次第に奴じゃないかと思うようになって、あるとき本人しか知らない共有の事実を書いたら、判明した。
いまだに、なぜ初っ端のブログにコメントをくれたのかを聞いてはいない。
ブログをしていて、自分が書いたことと同じ興味を持っている人が全国にいて、検索で出会いがあるというのが面白い。アクセスが急に増えたこともある。TV番組のことを取り上げたときだ。
元日は、一昨年の脱水症状騒ぎのときにもお邪魔していたお坊様の先輩の家に行った。住持する寺待ちであったが、その寺が決まった。というので、元日自宅で祝杯を上げ二日に寺を訪問した。軽四乗用車に乗って、止まったところが、墓地のへりで、一瞬、どこにお寺が・・・と思った。いまある庫裏?は昭和十一年築。本堂は一棟。ブロック塀には突っかい棒。檀家無し、信徒20軒。という寺だった。
60才過ぎて坊さんになって空き寺を待っている・・・その答えがこういう現実だ。
わが先輩は、寺地の一隅に畑をつくり数種類の作物を植えていた。
なんの因果か、莫大に儲けた奴は儲けた銭を儲ける仕組みを利用してさらに儲けようとする。それが外れて大損をすることもある。問題は、その影響で迷惑を受ける大衆がいるということ。人は基本的には、自分の手の広がる範囲しか生産活動はできない。そうすると養える人口は少なくなるけど、混乱する人口は減る。
人が生きることは、人任せではいけない。人を楽しませること・・・それだ。
まずは平穏に2008年を終えることに感謝。
そして、2009年には根本の課題から解決していくことを誓おう。
皆さん、良い年にしましょう!2008年ありがとう、2009年しっかり行こうぜ!
元旦号は分厚いぞ。寒波がきついという予想。30分は早く出なければ。
皆さんお先にお休みなさい・・・。
富山県高岡市の老子製作所だったか。いまTVで見た。
泥で外枠を作って、内側の型にかぶせ、その隙間に1300度?で熱した銅と錫の合金=青銅を流し込み、一昼夜寝かせる。全工程は3ヶ月ほど。価格は300万~500万だそうだ。この会社には今回の不況は影響ないだろう。
昨日のTVか、トヨタのお膝元に西島機械?という機械製作会社があって、以前は専ら自動車部品を造っていたが、以前の不況のおり倒産寸前という苦渋をなめて、方針転換して、自動車以外の機械製造をてがけて、業容を改善していった。今回の不況騒ぎは別世界。
この会社の特徴は定年が無い。74歳、67歳の人が紹介されていた。「死ぬまでこきつかってやるからな・・・と社長から言われてますから、体がうごくうちは働かさせてもらいます」と笑顔で答えていたのが印象的。
老・壮・青の共同作業は、高い技術の継承を可能にして、また労働のモラルを高く保つ。
グローバルスタンダードとかいう言葉は最近聞かなくなった。この社会の主流かと誤解させるマスコミの軽挙妄動を見抜くには、日々、地道に生きることが大切なのだ。
易しくはないが、そうあらねばならない。
風邪をひいて調子よくないので、ネットで「風邪 ツボ」と検索した。
あったあった。「合谷と感冒点」。これらのツボは、親指と人差し指の骨の付け根の間にあり、ちょうど手の表裏にいちしている。手のひら側にあるのが感冒点で手の甲側にあるのが合谷。
効果的な刺激法は、反対側の手の親指と人差し指で両方のツボを挟むようにして、力を入れながらよく押し揉んでください・・・とのこと。
感冒点は呼吸器の働きを良くし、合谷はいろいろな症状に効く万能なツボ。
またこの2つのツボは、声の通りをよくする働きもあるそうだ。
もう1つ「風府」というツボ。首と頭部との境目よりやや上に位置するツボ。ここを親指を使い上に向かって押し揉んで刺激する。「押して、揉んで、押して、揉んで」の一連の動作を、約20~30回繰り返す。いままでぼんやりと重かった頭が、スッキリすること請け合いで、あとは温かい生姜湯やレモンティを飲んでぐっすり眠れば、次の日には元気な体に回復しているでしょう・・・とある。
「生命の全体性・・・」ということを心経の現代語訳で見た。「わかる」ということは「分ける」ことで、西洋文明の歩んだ道。分けすぎて混乱してきた。全体を壊す。
今の派遣切りにしても、企業は資本家、経営者、労働者、そして製品を買ってくれる人などによって成立していると考えるのが正常なはずだが、資本家のものだとする考えが幅をきかせてきた挙句、現在の混乱を招いたのだ。
億万長者たちよ、そんなに稼いでどうなるの。有れば有るほど失うことの心配が大きくなって、さらに走らなくてはいけない状況になるのではないか。稼いだことの無い者の小唄か。
鼻がつまり、唾を飲み込むとのどが痛くなってきたのが2~3日前か。今朝からは声が普通に出なくなった。電話応対の声が滑らかにでない。なので、帰ってからは専ら寝た。10時から11時30分。母親を病院に連れて行き、帰って又寝る。13時前。「終わった」の電話で起こされる。迎えにいったついでに買物と食事。ラーメンを汁もしっかり飲んだ。風邪薬の葛根湯を買った。
帰ったのが2時半?葛根湯を飲んでまた寝る。4時過ぎに目があいて又寝て、6時半頃晩飯。
こうして過ぎた時間をたどってみると、不確かなこと。認知症というのはこれがもっと不確かになることだろうな。
いま「般若心経の現代語訳」を読んでいる。読んでいるのではいけない・・・感じとらなくてはいけないのだが、まだ、体に染み込んでこない。
ただ「全体は部分の総和ではない」「固定した自分というのはない」「あらゆる関係性のなかで自分のありようが決まる」というあたりの表現が、いまでてくる。
「空」ということをつかみたい。般若心経を法事のときに滑らかに唱えたいという思いから始まって、写経をお手本をなぞらないで書きたいと思ったのがあって、暗記できたが暗唱できなくて、繰り返し繰り返しやって、ついに暗記も暗唱も自在にできるようになった。そこで、意味だ。対象において眺めてありがたがっているようなことではいけない。心経はこの身そのもののありようを示しているのだろうから、まさに「感応」をわがものとしなければ・・・・。
この風邪もまた意味ありか・・・・。
朝日放送朝6時半から9時までの「おはようパーソナリティー道上洋三です」のアシスタントをしているのが、秋吉英美ちゃん。アシスタント歴10年というのは大したもの。
たまに聴いていたころは、頓珍漢な受け答えと六甲おろしを歌う時に音がはずれるな・・・という印象だった。今年4月の番組改編で、定期的に聴くようになった。
年齢は、私の娘と同じ頃。生真面目な受け答えが、笑いを誘う。道上アナが「そんなん適当に答えといたらええのに・・・」と自分の質問を棚に上げてよく彼女の応対ぶりに注文?をつけている。
10年アシスタントが続いているということは、素晴らしい。
「らららクッキング」なる料理本を秋吉英美作で売り出して、視聴者を中心に6万部以上売れた。私も買った。どれか一つ作ってみよう。レシピの関心よりも、秋吉英美ってどんな娘?料理本に登場していたのを見て、あの音痴の生真面目応対の人がこの娘か・・・と納得した。野菜作りに精出しているお父さんにしたら、かわいくてしょうがないだろうな・・・と思わせた。
クリスマスの話題で、1歳半の甥っ子に歌を歌わされて、100回以上も歌わされて、喉ががらがらになった。そして、また今日も甥っ子から召集がかかって行かなくてはならない・・と言っていた。
最近は6時半から45分まで「基礎英語3」をNHKで聴くから、「おはパソ」を聴くのが15分遅れる。毎日聴いていると、会ったこともないのに、親しげになるものだ。
今朝のNHKで見た。中国の画家「張大千」。1899年生まれ1983年没。アメリカのメトロポリタン美術館にある「古代中国の画家の作品」が「贋作ではないか?」と論争になったそうだ。それは、「張大千」が描いたものだったらしい。
張大千の研究者によると、欧米の美術館など世界中で所蔵している中国の古代の画の中に、張大千によるものがかなりあるという。
中国の画家の修業は「模写」がすべて。先人の作品を模写をしてその技術を磨くそうだ。張大千は、幅広くその技法を習得して、中国絵画の通史を自分で描くことを思い立った。
また、1941年に敦煌の洞窟の壁画が発見されたときには、弟子を連れて誰よりも早く敦煌を訪れ、2年余りの間、壁画の模写に明け暮れた。100枚以上の模写を完成して、世界中に敦煌壁画の存在を知らしめることに尽力するところとなった。
彼の作品には、文献では記録されてはいても、作品は焼失して、どのようなものかわからないものを、文献を頼りに描いたものもある。
贋作騒ぎをする人たちとは次元の異なるところで生きていた人だと思う。すごい人がいたもんだ。
「模写」だ。「守・破・離」か・・・・。